どうしてこうも小学校の教員というのは、ぶっちぎりの、ずば抜けた、類を見ないバカなのか。女が7割の世界なので男は気違いでない限り教員採用試験に合格する。そして男は、普通にしていれば校長になる。女も頑張れば管理職になる。女はこの頑張り方を勘違いして細かいことがよく仕事をしていると思っている。その細かさに迷惑しながらも、男は首輪をつけられ女が垂らす蝋燭に狂喜する。
学校は、倒錯した密室だ。
ある学校に行ったとき、よほどコンプレックスがあったのだろう。「からけん先生はこんなことも知らないのですか。」、と言った。教員でもあるまいし知る筈なかろうが。また、いろいろ屁理屈をつけ流行語のように「~のめざめ」とか「~へのきづき」とかやたら臭い言葉を使いたがる。
だがまあ夫婦で学校の先生をすれば、子供はどこの医学部でも金銭的には進学できる。つつましくも悲しい庶民の、爪に火をともす生活だ。
友達の友達に小学校の先生がいた。迂闊だった。サツマイモのようにずるずる日本のゴミを、僕の船に連れてきた。全部学校の先生だ。僕は、こいつらの上から目線が大嫌いだ。
いろいろ屁理屈をこねる前に船上では、僕の指示に従え。
この勘所がバカはまるでなってない。今は徹底的に質問して理解する喜びを得てもいい時だとか、あるいは無条件に従い民主主義が成立してはいけないない時だとか。この二つの判断が原腸動物のように渾然一体となっている。原腸動物には脳がない。
小さいころ、石をサイドスローで川面に投げて遊んだ。そのときのように、船は海面をすべって進む。「つかまれ」「うごくな」これだけすら守れないバカがいる。先生とかいった奴らだ。時速60キロのクルマから上半身を出してみるがいい。落水、風下に転舵、デッドスロー(微速前進)で接近、フックで救助。世話が焼ける。サメは何をゆっくりしてたんだ。一時間あったのに。
それでも女はまだましだ。料理は下手だが、「きづき」だの「めざめ」などという世界から脱出している。男はいかん。目を離すと学習指導報告書の話をしている。これには不愉快も極値に達した。
あとで燃料費の請求が行って泣くぞ。約束だから払ってもらう。
海で遭難した時よりも辛かった。船なんかいつ沈んでもいい。バカと一日いたことが嫌だ。
同じ先生でも医者の先生は全く不愉快さがなく楽しく釣りをしてバーベキューをして、水着の看護婦の乳を眺めた。水着の看護婦の乳。三位一体、完全無欠のパラダイス。