昭和17年になると戦局は最初の3カ月をのぞき月ごとに悪化した。戦争は理系が考え文系が死ぬ。大本営は、それは違うなどというウソをつく。
そんなら理系から学徒出陣してみろ。理系の先生を徴兵してみろ。すべて死んだのは学のない貧乏な、ただあるのは浮かれた愛国心だけの農民兵だ。
もちろん例外はある。炭坑技術者、技術官僚、医療従事者、鉄道技術者はその技術が高度であるとき徴兵を逃れた。だからなんだ。そんな屁のツッパリにもならん例外をあげつらっても本質を覆すことにはならん。
理系のスーパーエリートたちを戦にとりだした時点で負けだ。バカはオリンピックと戦争の区別がつかんだろ。参加することに意義があると思っているだろ。クーベルタンが笑うぞ。
農民兵は産めばできる。理系は違う。中学(旧制)で首席をとり、全国でモノになるたった5校の高校(旧制)で上位5%に入り、さらに大学での研究に耐えた者たちだ。
たとえば、造船官800名がいなかったら大和は絶対に出来ていない。電気溶接は夢の夢だ。給弾システムの水密構造は機械屋、数学、冶金、電気屋、の総合芸術だ。
この800名を前線に送ったら戦争はどうなるか。劣勢ではあるがまだパンチの余力があるのに、わざわざ顎を差し出すことになる。
前回書いた栃の木温泉。孫文はそこに一カ月泊った。昭和18年だから孫文の投宿からは40年後。ゼミ旅行でこの温泉に泊まり大騒ぎをして旅館からひどく叱られた学生たちがいる。引率の先生は日本の航空発動機(飛行機エンジン)の権威である。彼は本来2ストローク主義だったが時代は戦闘機用以外のエンジンの開発を禁じた。
ゼミの学生はどの子も独特の可愛さを持っている。優れた頭脳に、「先生!」と言われると僕はシャキッとなる。この優れた頭脳を人殺しに使った時代があった。
東洋の島国の敵を知らぬお猿の隊長は、ついに最高にバカなことを始める。このゼミからも徴兵を始めた。ゼミ生は下級将校となったが魚雷が将と兵を区別して当たる筈ない。一人は内地勤務となり残りはみんなバシー海峡の魚のえさになった。
先生と魚雷逃れの学生は福岡に移り渡辺鉄工所で働いた。先生はそのまま大学教授として、学生は技術将校として。
バシー海峡に希有の才能を捨てることが戦争か。
一人残ったその渡辺鉄工所付き技術将校は今も生きている。ほとんど南方を意味した召集令状に延期という判が押してある。その汚い紙を仏壇にあげて皆にわびている。僕のじいちゃんだ。ラクダが針の穴を通るより困難な召集延期。だが彼は悔やみ続けて戦後を過ごした。生死を分けたハンコ一つ。最もほしくなかったものだ。