恥ずかしいが世の日本人とともに狂乱して、ウイッシュボーン、ラダーフレーム、MT、グリスアップ、内装も誇らしげにバブリーでカセットテープを自慢した。さしたる故障もなく修理は家の車庫で間にあった。トランクは本当にトランクで今のようにゴルフバッグを重ねて入れさせるような乱暴なことはしなかった。
クルマにとって最も重要なことを忘れていないのがよかった。静かだったのだ。?で測るから現在の計測法ではエネルギーの小さい高音部はないようなものになってしまい、数値的には今のクラウンが低くなっても体感的に下品だ。繊細な日本人の感覚を持ちクラウンを乗り継いできた人は言う。うるさくなった。
フレームがあってぬるぬるっと走り静かな会話が成立する空間にはカネはいくら出してもいい。もともと高いじゃないか。シャーっという音のするふぐ提灯には乗りたくない。第一、人のゴルフバッグと重なって自分のが運ばれるなんて、そこまでしてゴルフをしなくていい。
バブルの話は皆さん聞きあきているだろう。だけど聞かなければならない。なぜか。学習していないからだ。
日本がバブルに突進するころ、この美しい日本のクラウンは生まれた。二度とできないクラウンが生まれた。
このころこの静かな、上品な、芯のある、鉄に守られたクラウンがあったように一人の作家がいた。今は作家が出ない。何だ、村上春樹とやら、クルマにたとえるとプラスチックでできた張り紙細工の車もどきは。こういう低脳を推薦するようなバカは死ね。
精緻な文体、深い愛情、登場人物それぞれの苦悩、葛藤。向田邦子さんだ。台湾の飛行機事故で死んだ。何というもったいないことをしたんだ。
今日の朝日新聞だ。朝日と聞いただけでそっぽを向く人には一生縁のない世界だ。
中学の教科書の載っている「字のないはがき」を覚えている人も多いだろう。照れ屋の父はまだ字の書けない娘が学童疎開するとき、自分宛のはがきの束を託す。元気な時は丸を一つづつ書いてポストに入れなさい。丸はだんだん小さくなっていく。・・・
掌編ではあるが不器用な父親の気持ちが描かれている。必死で子を思う姿がある。
村上が描くのはいつもうるさい。静謐な中に本物の愛情が流れる向田邦子の作品はまるで僕のクラウンのようだ。