バラックが連なり闇市が広がっていたころ。浮浪児はそれぞれグループを作りケンカに明け暮れていた。まやかしの同情心は彼らを施設なるものに収容しようとする。そのお先棒を担いだのが警察だ。この低脳たちは昔から今までさじ加減というものを知らない。浮浪児は人間ではなくノルマだった。
進駐軍は人殺しを作業のように行いながらもふとしたところに気まぐれで、お遊びの善人ごっこをする。そこらの孤児を帝国ホテルに連れ込むと、バスタブにあふれんばかりの泡を立てすっかりきれいにし、散髪し、三越で服を新調し、少々の金を持たせ飯を食わせると、はいさようならと放逐する。
さあ、どっちが悪質か。警察からまわされた浮浪児は孤児院で偽善的気まぐれに戸惑う。イエス様の説く世界はあまりにも輝き夢に見た母の出現を約束するが大ウソだ。彼らにとっては闇市の意地の悪い婆どもがよっぽどマリア様だ。善人ぶることもなく余った野菜をくれた。人は居心地のいい方に流れる。だから孤児院を抜け出すのだ。ノルマ消化の警官にはわからんだろ。
そんな孤児の中にバイオリンのたしなみのある子がいた。子供だから大した音は出ない。第一、バイオリン自体が焼失している。
軍関係のバイオリン奏者がどこからかその噂を聞きだし、その孤児と会った。子供が弾くにはフルサイズの大きすぎるバイオリンだったが、才能を感じさせる音がした。軍のバイオリン奏者はいくばくかのカネと自分のあまり上等でないバイオリンを与えた。
といってもバイオリンの値段というのは郊外の住宅より安いものはない。弓もほぼ同額だ。二人は再会を期して別れた。
バイオリン奏者は目が出なかったようだ。アメリカの芝生の庭に出てたしなむ程度に弾くのを老後の楽しみとしていた。運命は残酷だ。浮浪児は成人した。世は高度成長を迎えた。だが彼は乞食のままだった。佐世保に流れ着く。
老人となった奏者は奇跡的に多くの協力者を得て彼を見つけ出す。この美談をマスコミが放っておくはずがない。四ヶ町のアーケードの下、冷たい地面に彼は寝ていた。カメラの放列は彼をせかす。ボロボロになったバイオリンケースを開けろと。
これを制したのは老奏者だ。
持っていてくれただけで十分だ。開けることはない。その中にボロボロのバイオリンが入っていることは明白だったのだ。残念ながら乞食が弾けるものじゃない、才能がないものが弾けるものじゃない。
ここに逆説がある。だからトップの奏者は代表なんだ。夢がかなわなかった人たちの代表なんだ。豊かさだろうが才能だろうがすべてに障害なく、かつ指導者に恵まれて初めて花咲くものだ。トップ奏者は心しなければならない。自分ひとりでそこにいると思ってはならない。