か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

拍車をかける

2016年06月25日 | あそび

 

マイナーなスポーツだが、思ったより頭も体も酷使するスポーツだ。馬場馬術。

(拍車、これで馬の腹を軽く押す、信頼関係のある馬には不要だ、しかし競技のときはきびきびした動きを得るために、拍車をかける、右の画像はウエスタン、拍車の歯車は回転する、印象とは逆に馬の腹をがりがり傷をつけないためにある)

 

どんなスポーツも日ごろの鍛錬、精進が栄冠を勝ち取るわけだが、欧州貴族は剣だろうがナイフだろうがヨットだろうがゴルフだろうがピストルだろうが、子供の頃から地獄のような訓錬を受ける。日本のナリキンどもは別として、真の上位層は厳しい教育を受ける。

特に馬の場合は試合までの訓練時間が長い。6年。そこらのオーバルなコースを一目散にかけっこするのとはわけが違う。3歳程度の馬が猪突猛進してあっという間に馬刺しになる。馬刺しはうまいからそれなりに良いがギャンブルはスポーツではない。

障害(障害物を跳び越す時間と形を競う)より馬場馬術は苦しい競技だ。たった一回の晴れの舞台のために8年間もブラシ、敷き藁、飼い葉、水、蹄の世話が出来る忍耐力と時間のゆとりが必要だ。障害ならある程度は人任せでもいいが、馬場馬術は、馬との深い信頼関係が無くてはならぬ。労働などしていては到底出来ない。

 

概して、貴族のスポーツはカネがかかる。レクサスがどんなに高くても馬には及ばない。ヨットに税金がない様に馬にも税金はなく、小型自家用ジェットは普通車より安い税金だ。ところが、庶民は初期投資が到底出来ない。金持ちは、合法且つ適切な税逃れをする。その分、本体にカネをかけることを税制が応援している。

そういう不平等を追求しない貧乏人の自業自得だ。初期投資の莫大な金額に目がくらみ、その額を聞いたら即死するか自殺する。

駄馬では競技に出られない。競技馬は200頭の中から選ばれている。

この事実に悔しがってばかりだからいつまでたっても貧乏なのだ。

もしも馬場場術という競技がなくで、75歳をこえた法華津寛(ホケツヒロシ)さんが活躍の場を奪われたら、日本のジイちゃんたちはどれほど落胆するだろう。1964の東京オリンピックに出た人だ。半世紀以上じっと馬と向き合い努力して来た人を、軽々しく金持ちのお遊びといってはならない。

法華津さんは再びオリンピック選手になった。(馬の体調がよくなく今回は断念した)

金持ちが楽をしているというたわごとは、Leninの時代の話だ。

一方で貧乏人よ。ビール飲んで野球を見てだらだら食事するおまいらに経営能力があるはずないだろ。何一つ創造しないのならせめて、金持ちのスポーツの特徴を知れ。おまいいらともっとも関係の無い「文化」というものなのだ。

輪廻の様に続く永劫回帰だな。

 

 

 

 

 

 


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