偉そうに書いて恥ずかしいが、皆さんの参考に成ると思い書く。
恥ずかしいというのは、僕は数知れずモノにも人にも騙されてきたから。
まづ人。貸したカネは返らないというのは今や僕の信念だ。それどころか、哀れに思い情けをかけると必ず仇で返された。
人の本物は見分けにくい。なぜなら、あるとき全うな善人であっても、状況でコロッと転ぶ。小早川かイタリア軍で世はあふれている。
しかし情にほだされ、今度こそはと思い、また騙される。カネは人を悪にする。僕をひがんだ親戚達は、何とか不労所得を得ようと血眼になる。自分でカネを稼げないからだ。
次にモノ。これも人と同じくらいの確率で偽物が多い。ちゃんとした出所の正しいサファイヤでも法外な値段がついているとそれは人をだますニセモノの部類だ。モノ対価格に正当性が無い。
そこで、バランスよくかつ、見たことないデザインで、石(宝石)の配置がよく、やたら大きく見せようとしていないもの、下品なストリップ小屋の照明のようなイロで無いもの、台座やチェーンに十分なプラチナがあること・・・気に入った後で考えるといろんな条件をパスしたものを選んでいる。
石の発表会にニセモノがあるはずないが、上述のように値付けがふざけているものはある。
ただし、石は人みたいに、カネを目の前にして態度が変わることは無い。
皆さんのなかには石(宝石)の話になると、ねたみ心でいっぱいになって読む人がたまにいる。そういう心理状態じゃあ僕のいうことは伝わらない。でも一生石に無縁ではいられないのだ。婚約、結婚、子供の婚約結婚、夫婦で出るパーティにリカちゃん人形の指輪は出来ない。
ふざけた値段の石を買わされるのは悔しい。だが、本物は高くない。庭には、たぶんくされた軽があるだろう。3年乗るところを6年乗れよ。
そうすればショッピングモールの石屋で岩石標本みたいな結婚指輪を買うことは無くなる。彼女のようにブサイクな石を買うと、瞬間、世界が暗転する。
ホンモノは、自分が見つけるのではない。石が自分を呼ぶのだ。その声を聞き分ける教養こそ望まれる。
時計が僕を呼んだ。ボームメルシー。ホンモノはでしゃばらない。ホンモノは重厚である。・・・九州にはこれ1個しかないらしい。これをはめた横着そうな、しかし教養のある人を見たら私だ。
僕は歩くイヤミだ。