徳永二男(つぎお)のコンサートを聴いた。まずは略歴から。
1958年、小学校6年生の時、第12回全日本学生音楽コンクール全国大会で第1位を受賞。桐朋学園大学音楽科に進み、斎藤秀雄に師事。1965年、第34回日本音楽コンクールで第3位を受賞した。
1966年、当時日本楽壇史上最年少のコンサートマスターとして東京交響楽団に入団。1968年、文化庁在外派遣研修生としてベルリンへ留学、ミシェル・シュヴァルベに師事した。1974年、チャイコフスキー国際コンクールに出場し、ディプロマ賞を受賞した。
1976年、NHK交響楽団のコンサートマスターに就任。その後、首席コンサートマスターを経て、ソロコンサートマスターに就任した。1994年、退団。
現、桐朋学園大学特任教授、洗足学園大学客員教授。 by Wiki
微動だにせず3時間半のコンサートに聴き入る小学生がいるかと思えば、しばらくたつと飽きてきて自宅のリビングでテレビを見ている気分になりしゃべりだすババア。
誕生したときは差がなくとも、生きているうちにバカとまともの差は広がる一方だ。金銭の格差より知能の格差を心配せよ。
演奏は「シャコンヌ」、「ツイガーヌ」という超絶技巧の曲。やはり才能か、と思うとガックリもした。
弾けるというだけなら若ければ何とかなる。だが何とかなってもその曲数に限りがある。あれもこれも一ヶ月ぐらいで仕上げて人の前で弾けるようになることは、絶望的に困難だ。
通常凝った曲を仕上げるには1年かかる。そうすると人生が500年必要になる。でも、もし500年生きてバイオリンの修練に励んだとしよう。
それでも無理なことがある。それは安心感。2重音、3重音、ときに4重音。あたかも3、4丁のバイオリンで弾いているような錯覚をする。それは、弓をはねさせて短い音を出すときと、上げ弓と下げ弓を激しく繰り返し短い音を出すとき実感する。
たとえ間違えなくても下手は下手なのだ。いつ間違えるか心配で見ちゃあいられない。どうしても何回に一回は雑音が入る。左手がおろそかになり音が不安定化する。
徳永にはまったく不安がない。まったくないと言い切れるまでにはいかほどの努力があったろう。
「僕のバイオリンは汗と涙でできています。」
1968年。日本人が海外にいけるようになってほどない頃、文化庁在外派遣研修生になるとはいかほどのことか分かるか、八女のくそババア。
最近NHK本体は、野にして粗であり卑であるのが来て非常に下品な雰囲気だ。ところがNHK交響楽団は世界レベルだ。50年昔から。そこのコンサートマスターを20年近く勤めるとはなんと言う才能だろう。
その才能をもってしても、思いどおりに動いてくれない指と格闘した、ずっと格闘し今も格闘している。
僕は30分弾けばへとへとだ。70歳を越えた彼は3時間以上引き続けた。
彼の力強い音を聞いてほしい。日本の誇りとか言うみみっちい考えでは恥をかく。ヨーロッパで道を訪ねるときのように、徳永を知っていますか、というとかならず、Ja、と答える。世界の徳永なのだ。
高嶋ちさ子の先生。ドラゴンクエストもコンサートマスターとして弾いた。
八女ババアは冥土で反省しろ。