か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

人情の紐帯

2018年10月08日 | 日常

僕の祖母と母が出た女学校だ。石碑はもう一本古いのがあるので目立ちたがりの下品な奴が名を残すつもりで恥を残したものだ。

 

戦後は隣の学校と合併したが、バカとバカが合併しても賢いのは出て来ない。50°のお湯に50°のお湯を足すと、やはり50°だということ。

男子校の旧制中学の方は、血の気が多いのとか、命がけで自己中心なものが際立っていたし現在でもそうだ。したがって九州大学も20名程度しか合格しない。

問題はその後だが、やはり際立って自分だけがよければよいとする人間になっている。いつも後ろからこそこそついてきていたくせに文部省に入ると突然ケンカが強くなる。頂点まで上り詰めたが晩年はさみしかった。

利己主義の集合には助け合いがない。何百人も取り巻きがいたが、汚職がバレると潮が引くようにいなくなった。

 

平和主義とか言うことで戦前の天才たちは無理に記録や記憶から消されている。現在東大は定員5000人、九大は4000人が合格する。ところが海軍兵学校には大正時代の軍縮の時代には30人だった。伝習館中学は多くの合格者を出している。

誇るべきだ。僕は入試問題を見た。半端な頭じゃ通らんぞ。微積がないと到底解けない。それを今の中3に解けというのだ。こう書くと戦前をほめていると思って右翼が喜ぶが、お前はこの程度に合格したか。

宮崎鼎・・・電気溶接の父 伊藤整一・・・戦艦大和艦長 白秋とか言う飲んだくれのエロ本作家をこのごろはやたら持ち上げる。白秋は伝習館を卒業してない。それでも大学に行けたのだから時代がおおらかだ。

 

浮立(ふりゅう)は各地各様のスタイルがある。こちらのはドンキャンキャンと言って鬼に扮した青年が子供を泣かせて回る。なんとなく異国の風情を感じるのはここが長崎に近くシュガーロードに位置しているからだろう。

チンをたたきすぎて折れた木づちが散らばる。

きょうは祭りには暑すぎた。

 

女学校の壁だ。僕らは細い電柱をもち体当たりをして肉弾三勇士ごっこをした。仲間に歴史好きがいたのでこんな名前が付いたが当然僕は意味は分からない。中国人を爆殺するのだろうということぐらい。

 

ツルみそはかろうじて営業していた。昔このあたりはトントコ町といっていた。由来は不明だがとくに友達の多い街だった。が、

 

味もそっけもない立派な集合住居になっていた。これが発展か。そんな発展、僕はいらんな。

 

日本のプロバンスと僕一人で呼んでいる。もう行くことはない。灰になって上空から見たらいいかな。汚くてしょうがない大川のような街になった。


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