か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

さあ、胡弓を聞こうじゃないか。・・・孫文、郭沫若、大日本帝国の懐は深い。

2013年02月10日 | 旅行

シャングリラ ホテル 杭州の写真

シャングリラホテル(トリップアドバイザー提供)

現代の偏狭無学の愛国者たちには信じられないことだろう。帝国は、敵あるいは敵になりそうな者まで優秀であれば無条件に内地への留学を許した。そのころの日本人は一高がどれほど狭き門か、海兵が、陸士がそうであるかよく知っていた。

そこで一般の日本人は、自分たちが逆立ちしても通らない学校にやすやすと合格し留学する朝鮮人や支那人を尊敬した。九州、とくに福岡佐賀に関係した中国人に孫文、郭沫若(かくまつじゃく)がいる。九州大学は簡単に入学できる大学で、とくに文科系は3次募集までして全員を合格させても定員に満たない状況だった。ところが、医学部だけは例外だった。現在も東大理Ⅲに遜色ない。

四川省生まれのある男がまさにやすやすと九大医学部に合格した。彼の興味は多岐にわたり、白亜の塔に籠る気はさらさらなかった。祖国の危機を感じると急いで帰国し蒋介石とともに闘う。しかし国民党のでたらめな軍規と蒋介石の反動的姿勢に愛想をつかせ、南昌蜂起に参加し毛沢東とともに闘う。蒋介石のしつこい性格を知っていた彼は、危険を感じ再度来日し千葉県に身をひそめる。

帝国は鷹揚だ。そのころすでにこの小帝国は大陸の一角に食いつき日の丸を立てていた。いわば敵の子分に逃げ場を提供したのみならず研究の場まで与えた。蒋介石が刺客を送る恐れがあるので彼は一時佐賀県の古湯温泉に避難した。古湯温泉にお礼に書を残した。住民はそれを石碑にした。戦後日中友好協会の名誉会長になった彼は再びこの地を訪れる。中国古代史の研究、詩人、翻訳、戯曲「屈原」、内戦、文化大革命。彼は万感胸に迫りその碑を見ただろう。「日中友好」

彼は200年、300年分の人生を生きた。郭沫若その人である。

孫文については「一兆円ください」のタイトルで書いていますのでそちらも読んでください。

「杭州飯店」と入口にあるのは彼、郭沫若の字だ。このホテルはニクソンも来た。マンデラさんも来た。ニクソンは実は派手なことが嫌いだ。中国はよくホテルを選んだ。杭州香格里拉飯店(杭州シャングリ・ラ・ホテル)。

日本人はベッドだけの部屋に将棋盤程度のテーブルがあると満足する。モーテルばっかり泊まっていると精神を病むぞ。

ここのVIPルームに泊まれ。世界一働く国民はこれくらいいい目にあっていいはずだ。ケバいモーテルのニセ大理石に喜ぶな。腐敗したジャンクフードを食うな。世界一の国民は世界一くつろごう。

さあ、胡弓を聞こうじゃないか。

Posted at 2013/01/09

最新の画像もっと見る