昨日まで、御田植神事の一連の行事の一コマ一コマを紹介してきましたが、実は見落としてしまったり、
多くの見物人がおられてどうしても撮ることができなかったものが幾つかありました。
そこで今日はその撮りこぼしの一番の大物「植女(うえめ)」を取り上げました。
植女にそぐわない化粧と衣装の謎
植女とは、本殿で神さまよりお預かりした早苗を御田中央の舞台で、替「植女」に手渡す役を担っている女性です。
植女は、古くは実際に御田で田植えをする女性が果たしていた役割だったようです。
ところが、
実際登場する植女は、白塗りの化粧をしているうえに派手な花笠と豪奢な衣装を纏うという
全くその役割にそぐわな格好をしているのです。
何故でしょうか?
その理由をほんのさわり程度ですが調べて見ました。
これを知るにはどうも住吉大社の明治維新の時代に遡る必要があるようです。
即ち、明治維新の混乱で、さすがの住吉大社もその余波を受けて、
この重要な神事である「御田植神事」でさえも、一時期中断を余儀なくされてしまいます。
住吉大社では、境内におわす全ての神さまにお供えする一年間のお米はこの御田植神事で
植えられた稲穂を秋に収穫したもので賄われているのです。
これは、
住吉大社にとっては御田植神事が中断するということは、大社の根幹を揺るがしかねない事態だったのです。
ここで登場するのが大阪新町郭 です。
江戸時代、大阪新町郭(現在の四つ橋筋周辺)は、
江戸の吉原・京の島原とともに江戸期三大郭の一つで、大変な財力を有していました。
大阪新町郭は、住吉大社のこの苦難を伝え聞き、これをお助け申し上げたいとして御供田(ごくうでん)を奉納したのです。
(※)御供田(ごくうでん):御供料を収穫する田地;広辞苑)
この縁から、「御田植神事」の植女は、これ以降、新町廓の芸妓が奉仕するようになったということです。
なるほどそう言われてみれば、白塗りの化粧といい、花笠や衣装そして振る舞いは、芸妓さんそのものです。
なお、
植女を務める芸妓さんは8名で、大阪花街連盟の審査を経て選ばれた、まさに選りすぐりの方々だそうです。
この日は、以前に比べれば、少し涼しさが戻ったとは云え、撮影したのは午後2時ごろで気温は高かく、
汗をかきながら撮影しておりました。
少し意地悪でいけませんが、
さぞかし芸妓の皆さんも厚い化粧と衣装で、お顔に汗が浮かんでいるだろうと
望遠でよってみましたが、皆さん全員が汗もかかず涼しい顔をして通り過ぎて行かれました。
時代劇の役者さんも年期を重ねるとそうらしいですが、
姿形が美しいだけでなく、さすが芸に生きるプロだなぁーと感心させられた一瞬でした。