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「平和の礎」

2020-06-24 23:00:23 | 行事
6月23日 忘れてはいけない記憶・・
太平洋戦争末期の多くの住民を巻き込む激しい
地上戦で20万人を超える尊い命が奪われた沖縄戦から
75年 「慰霊の日」を迎えた。沖縄で生まれ育った者は
慰霊の日を体がその血がウチナ-ンチュ(沖縄の人々)で
あることを再認識させるのである。記憶の継承は未来永劫・・

ふるさとの沖縄は歴史に翻弄され、小さい頃から耳に
慣れ親しんだ時代の流れ詩がある。
唐の世から大和の世 大和の世からアメリカ世 ひるまさ
変わたるこの沖縄(世は方言でゆぅという)
中国の支配世から大和の世、大和の世からアメリカ世
不思議に変わった沖縄の意味

いまだにアメリカの言いなりに翻弄されている沖縄は
基地問題が山積し、コロナで中断していた辺野古の工事が
再開され9300億円もかかる工事に私達の税金が使われるのです!!
75年の月日は重く・昨日は平和を強く願う思いに包まれたことでしょう。

あの日の恐怖と絶望を経験した人々の記事に触れ、あの時代地獄を
見て死んでいった多くの人々の魂の叫びが胸に突き刺ささった。
私は戦争を知らない世代で基地と共存し成長した世代です。
大人になり矛盾だらけの現状に怒りがこみ上げてきますが
ただ嬉しく救いなのは沖縄のことが以前より広く知れ渡ったことです。
スポーツ・芸能・沖縄の観光等・・悲しみの歴史だけではないことも!!

👆先日、片付けの中から「平和の礎」に眠る伯父の刻銘案内書が
出てきました。
右の写メは鎮魂の光り「平和の光の柱」

2004年に義父を沖縄に案内したときに取っていたパンフレット類から
義父の思い出と共に、戦没者として名前が刻まれている伯父のお参り
の時のことが思い出された。「平和の礎」の前で義父の嗚咽を聞いた。
中国で壮絶な戦争体験をしたのであろう・・・としか・その時は・・
義父の涙を見たのは初めてでした・・その時初めて義父の重い心を知った。
寡黙な義父が亡くなる前に私の手を取り、息子の嫁になっくれて
「ありがとう・・」と言ってくれたあの言葉は今も忘れない。

8月は亡き義父の十三回忌・・慰霊の日は沖縄の祈りと「平和の礎」で
肩を震わせていた後姿の義父を想う。

👇
沖縄県立首里高校3年生の高良 朱香音(たから あかね)さんが
「平和の詩」を朗読した。
コメント (2)
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