芭蕉が尾花沢に滞在した鈴木家の所蔵品に花鳥風月の屏風がありその一部を紹介します。
俳人松尾芭蕉の足跡を訪ねる旅は、前回昨年の同時期に、古川まで行った。今回は古川以降の山形県内を巡る旅で、新幹線で山形駅まで行き、駅前のレンタカーショップでレンタカーを借りた2泊3日の行程であった。走行距離は200km位で、ノンビリとした旅であった。自宅を8時に出発し、山形駅には11半には着き、同僚2人と落ち合った。
余り鉄道の旅はしてこなかったため、バックパック(33リットル)を用意し、カメラを入れたため、若干重たくなったが、カメラ本体と広角レンズだけにした。バックパックは背負うため、両手が自由に使える。背中にフィットするので歩く旅では片手に持つバックでは不自由する。自宅近所の友人のアドバイスもあり、東北の朝夕は寒いとのことを聴いていたため、ウインドウブレーカーを持っていった。2泊3日では着替えも少なく、バックパックは便利であった。
山形市内から近いところに山寺(立石寺)があり、丁度、山形市の北方である。慈覚大師円仁によって創建(860年)された天台宗の古刹である。山寺というのは山岳仏教の霊場であることに由来する通称で、洞窟や奇岩もあらわな急峻な山肌に多数のお堂が点在し、奥の院までは千段もあるので、登るのは止めたが、自然と相まって景観はすばらしかった。芭蕉が奥の細道で行脚の途中に立ち寄り、「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の句で有名である。
一日目は、山寺から尾花沢に向かい、芭蕉が泊まったとされる鈴木清風歴史資料館に立ち寄った。尾花沢は交通の要所であり、紅花の栽培と取引で財をなした豪商の代表が鈴木清風である。芭蕉とも交流があり、残月軒と名乗った風流を解する文化人でもあった。芭蕉は尾花沢に10泊していてその内の3日は鈴木清風宅に泊まったそうである。
尾花沢から鳴子温泉に向かい、温泉駅から徒歩20分ぐらいの仙台領に接する新庄領境にある尿前の関としての封人の家に立ち寄った。封人とは、藩に雇われた村役場の事務方で、当時の庄屋が当たっていたそうで、小国馬産の小国駒と同居する300年以上前の建物が残っていた。風雨が烈しく、気温は11℃であり、寒い見学となった。ここで館長から、山刀伐(なたぎり)峠の名前の由来を聞いた。
ここからは新庄に向け、国道17号線の山道を走った。新庄は雪が多い地区、路上の融雪装置から鉄分の多い水が出るせいか、どこも真っ赤の路面である。