カズTの城を行く

身近な城からちょっと遠くの城まで写真を撮りながら・・・

「幸田町史跡巡り⑤」城№292・・・岩堀城

2022-08-17 21:32:52 | Weblog

東部城から東へ向かうと東部の信号交差点があり、それを右折して川を過ぎると田畑の多い見晴らしの良い道を走ります。左手に多くの民家が見える手前のT字路を左折し、3本目くらいの路地を右折すると、お寺があります。

ここが城跡らしいので、車を停めて歩きました。

どこから見てもお寺です。西光寺と言うお寺です。

岩堀城。岩堀氏の築城。遺構はないとのことですが、目につくものだけでも写真に撮って来ました。

歩いたところはお墓ばかりでした。

ただ、ネットの地図で調べると、この辺りの字名が本丸でした。それだけでもお城みたいです。

ついでに話しますと、最近は、グーグルマップで下調べをします。以前は、現地に行ったら、思っていた地形と全然違い、場所を特定することが出来なかったりしていましたが、今はストリートビューでも確認して住所をメモして、細かい住所がない所は、登城口や周りの目印になる家などを決めて住所を調べてメモをし、その住所をナビに入れて訪問しています。

下調べをする時に出来る限り情報を得るために画像も多く見ておいて記憶しておくと、現地に行った時に役に立ちます。しかしその時点で城跡などの画像をたくさん見ているので、すでに城跡を訪問している気分になってしまいます。現地での新鮮さや苦労した甲斐などが半減してしまう気分もあるので、調べ過ぎもどうかなと思います。

さて、幸田町の史跡巡りもあと一か所です。また東へ移動して行きました・・・。

 

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「幸田町史跡巡り④」城№291・・・東部城

2022-08-15 22:14:55 | Weblog

野場西城から県道325号へ出て北上。新幹線のガードを潜ってその先の野場深田の信号を右折、田畑の間の見晴らしの良い道を走って行きます。カーブした道の先でまた右折すると、その先に東海道本線の踏切が見えました。ナビ通りに進むと、踏切を越え、橋を渡り、その先で右折。突き当りまで進んでまた右折、すぐに神社がありました。

道で分断された児童公園側も含めて市杵神社で、この辺りが城跡の様です。

東部城。酒井氏の築城。

少し見て回っただけなので、遺構があったのかどうかは分かりませんが、地図で見ると、西、南、北側に川があり、自然の堀に囲まれた場所ではあります。

周りは民家があり、訪問はこれで終了。次へ向かいました・・・。

 

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「幸田町史跡巡り③」城№290・・・野場西城

2022-08-14 15:38:16 | Weblog

六栗の城跡からそのまま進み、県道292号へ出て岡崎方面へ向かいました。しばらく走ると県道325号と交差し右折、小さな川を過ぎると左手に案内板があります。そこを入って集落の周りをぐるっと左へ回って行くと城跡です。

野場西城。大須賀氏の築城。

少し離れて土塁を眺めました。

土塁を鑑賞した後、次の目的地へ向かいました。

先程の県道325号へ出て、新幹線のガードを潜り、その先で右折して、再び東海道線を越えるコースです・・・。

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「幸田町史跡巡り②」城№289・・・六栗城

2022-08-13 10:44:25 | Weblog

芦谷陣屋から幸田駅前を通る県道へ出て、少し豊橋方面へ走ると新幹線の高架下に東海道線を潜る道があり右折、東海道線を潜ってスーパーの前を走り、六栗の交差点を右折し、次の路地を左折して進むとお寺があります。

このお寺の南側の道路脇に説明板があります。

三方ヶ原の戦いで敗走する家康の身代わりとなった武将。

六栗城。陣屋跡(屋敷跡)との表記もあり。後の時代なのか、小笠原氏の陣屋ともされているようです。

お寺の周辺を撮影し、移動しました。

・・・と言うのも、この辺りの地名が中屋敷とか、西ノ門とかがあります。そしてここから北西に進むと山屋敷と言う地名があり、そこが陣屋跡とされているからです。

250mほど来た所で車を停め歩きました。

土塁なのかな?と思いながら、反対側には行きませんでしたが、周りとはやや雰囲気の違うこの辺りが山屋敷と言う地名になります。

さて、道路脇周辺を散策して車へ戻り、ここからそのまま道なりに進んで次の目的地へ向かいました・・・。

 

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「幸田町史跡巡り①」芦谷陣屋

2022-08-10 23:03:48 | Weblog

暑い日が続いております。

私の方は、明日から盆休み。時々仕事をしながら城巡りをしたいと思っています。

さて今回から「幸田町史跡巡り」となります。

1月30日午前、豊橋から豊川、蒲郡と走り、愛知工科大学の前を過ぎて幸田町へ。国道248号へ出て昨年末に訪れた深溝地区を抜けて、岡崎方面を目指しながら23号バイパスを潜った所で文化広場側に左折、新幹線の高架下を通ってから駅前方面へ向かいました。ここで目的地の場所が分からず、通り過ぎたり戻ったりしていると、林の横に看板が見えました。

近くに車を停めて歩いて行きました。

江戸時代初期、内藤氏が構えた陣屋です。

林の間を進んで行きます。

振り返って歩いてきた道を確認。

再び前を向くと門が見えました。

幸田駅からこの周辺は、区画整理され新しい住宅や店が多くありますが、ここだけは林に囲まれた別世界です。

車へ戻ります。

お城ではありませんが、時代を感じる良い場所でした。

さあナビをセットして出発。東海道線の向こう側へ向かいました・・・。

 

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やっぱり天守、櫓が見たい!

2022-08-08 22:11:58 | Weblog

次回から再度幸田町の史跡巡りを載せていきます。

今年、1月に巡ったものですが、過去で言うと1月と言えば、年末年始の休みの間に訪問することがメインでした。

雪は降っていなくても、当然寒い環境での訪問が多かったですね。

(2008年1月・和歌山城)

(2008年1月・大和郡山城)

(2008年1月・伊賀上野城)

(2008年1月・亀山城)

(2013年1月・浜松城)

(2016年1月・彦根城)

数泊で遠出が出来れば、目当てのお城を目指しました。連休だから出来る贅沢です。

そして今は8月、当然以前は盆休みに遠出する城巡りを計画して、コースを決めていました。

(2008年8月・一乗谷)

(2008年8月・越前大野城)

(2008年8月・丸岡城)

(2013年8月・富山城)

(2013年8月・金沢城)

やっぱり天守、櫓のあるお城を訪問したい。高い石垣の上に立つ天守、櫓の姿を鑑賞したい。毎週のように山城などの城巡りをしていても、やっぱり天守、櫓のあるお城を見たい。

それも本音の一つかな・・・。

今も暑いけれど、盆休みの城巡りはとにかくいつも暑い。

連泊で行く旅行を今は計画出来ないけれど、天守や櫓のあるお城へも行かないけれど、近場の山城でも行きたい今日この頃・・・。

熱中症に気をつけながら行ってきます!

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「豊橋南部城巡り④」城№288・・・畔田城

2022-08-06 23:24:25 | Weblog

家政学校の高縄城から県道411号へ出て南下、そのまま表浜街道の国道42号まで向かいました。国道に突き当たると城下と言う交差点で、そのまま直進しても行けますが、ネットの地図で自分なりに分かりやすい行き方を選び、ここを右折して少し走った所の路地を左折して2本目の路地を左折、目印の家を探しながら、ここだろうと言うところで右折して、海岸方面に向かう畑の間の坂道を進んで行き車を停めました。実際にはもう一本先の路地でしたが、こちら側から城跡に向かって歩いて行きました。

細い坂道を横入りするように上がって行きました。

一度下へ降りてから、また上って行きました。

海岸に近い林の中を、周りを観察しながら進んで行きます。

おっちょこちょいの私などが足を踏み外さないように、所々柵が作ってありました。

所々木漏れ日の入る、山城とは少し違った雰囲気の城跡を進みます。

ちょっと不安な橋を渡りました。

何処まで行くんだろうと思っていたら、広い所に出たようです。

ここが主郭の様です。

畔田城。畔田氏の本城。すぐ向こうは太平洋、波の音も聞こえます。自分が訪城して来た中でも、珍しい場所にある城跡でした。

主郭を一回りして戻りました。

行きとは違う場所から橋を見てみました。

これが崖と崖の間の橋だったら、怖くて渡れないかもしれません。

案外行きと帰りでは、同じ場所でも景色が違うものです。味わいながら進みました。

ここから左へ出て車へ戻りました。

今回の「豊橋南部城巡り」はこれで終了となります。最後の畔田城は、見て回る中身のある城跡で訪問し甲斐がありました。

冬場の1月から毎週のように城巡りを出来たのは、コロナで大人しくしていた反動でしょうか?さらに少しでも体力が向上しているのか、いないのか?週に一度くらいで体力が上がるはずもありませんが、スマホの歩数計が大きな数字になると嬉しいものです。

今後も楽しく、新しい発見もしながら、史跡や城跡、名勝などいろいろ巡って行きたいと思います。

ただ、今は近場を中心にですが・・・。

 

 

 

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「豊橋南部城巡り③」城№287・・・高縄城

2022-08-05 22:00:03 | Weblog

北裏城から老津町を縦断するように国道259バイパス、小学校脇、国道と南下し、渥美線を越えて進むと、その先に家政学校があります。

学校の門の前を見ると、城跡碑があります。

高縄城。戸田氏の築城。

学校一帯が城跡のようなので、移動して周辺を見て回りました。

ネットの情報とは、城跡碑や周辺の状況が多少変化しているようですが、ここのように学校が城跡だったりすることも時々あります。

城跡を調べる時、小中学校や役所のある所に注目すると、城跡に当たることもあるんじゃないかと思います。

豊橋南部城巡りは、もう一か所を目指してさらに南下して行きました・・・。

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「豊橋南部城巡り②」城№286・・・北裏城

2022-08-03 21:18:15 | Weblog

祥雲寺から水路側の道へ戻り田原方面に向かって走り、3本目辺りの路地を左折して緩い坂道を上がり、また3本目辺りの路地を今度は右折して急坂を上がって行くと、民家もありますが畑も多い高台に出ます。

辺りを見回し、目的地の集会所を探しました。調べた情報の中の似たような風景を思い出し、それらしき場所へ向かいます。

(ここから一部画像取り込みに失敗したため、後日再度撮影した画像)

青い外壁の建物が集会所の様です。

遺構は無いとのことですが、この辺り自体が高台にあり、城跡であってもおかしくない所です。

北裏城。戸田氏の支城。

秋葉神社の祠があり、その裏手畑のある所一面が城跡だろうと言うことです。

時々画像の取り込みに失敗し、慎重に作業を進めない自分に後悔します。

(城巡りをした当日は、最初の画像とこの画像の様に快晴でした)

遠くない所だと再度撮影に出かけられますが、遠くだったらそう簡単にはいかないので気をつけたいと思います。

さて、城巡りに戻ると、ここから国道259号の向こう側、同じ町内の城跡を目指しました・・・。

 

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「豊橋南部城巡り①」城№285・・・浪入江城

2022-08-02 21:25:56 | Weblog

今日も非常に暑い日でした。この暑さで昼間はエアコンが効きません。休みに史跡巡りをしていても、少し歩いただけで全身汗でびしょ濡れになります。それでも仕事柄汗を掻かないので、城巡りでの汗は気持ちいいものです。
が、家に居てただ汗を掻くのは気分が悪いです。熱中症にならないように気をつけましょう。

そんな暑さを忘れるため、城巡りのブログを続けていきます・・・。

豊橋市の南部と言えば、田原市に隣接するような位置となります。国道で言うと259号線を豊橋市街地から南下して、梅田川を渡ってさらに進み、さらに23号バイパスを潜って大崎町、そして老津町となります。今回は、国道側ではなく、大崎町の小学校の前を通る道路を道なりに走って老津に入り、食品工場の前を目指すと前に林が見えます。工場の前を通って左折し、その林の反対側へ。

そこに祥雲寺と言うお寺があり、この辺りが城跡と言われているようです。

浪入江城。城主は、戸田氏だったようです。遺構は無いと言うことですが、遺構ぽく見える所を撮ってみました。

広く見れば、寺を見渡す駐車場辺りも、縄張りだったかもしれない、かもしれない、かもしれない・・・。

さあ、次へ行きましょう・・・。

 

 

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