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今日のうた

思いつくままに書いています

雪のなまえ

2021-05-18 10:28:51 | ③好きな歌と句と詩とことばと
村山由佳著『雪のなまえ』を読む。
これまで読んできた村山作品とは、あまりにも違うことに驚いた。
タイトルからして美しい。

小5の主人公・雪乃は、教室でいじめられている少女と話をした、
ただそれだけで今度は雪乃が標的にされる。
陰湿ないじめ、関わると自分が標的にされることを怖れて、
誰も雪乃に近づかなくなる。そして不登校。

この間に生じる両親と雪乃の苦悩や確執を丁寧に描いている。
そして編集者の母は東京に残り、雪乃と父は曾祖父母が住む
長野で暮らすことになる。
慣れない農業、都会とは違う人間関係。
こうした中で人の力を借りて、3人は自分の居場所を
見つけていく。

一日にしていじめの標的にされる怖さを、
この小説を読みながら思い出した。
私が小6の時に、町の有力者の娘と同じクラスだった。
父親は教育長も兼ねていて、先生も他の生徒たちも
彼女には一目置いていた。
当時、教室の椅子に腰かける時に、後ろからそっと椅子を引き
ずっこけさせる遊びが流行っていた。
後ろの席である彼女が、私にこれをしたのだ。
怪我はなかったものの、非常に危険な遊び、いや遊びでは
すまされないものだ。
彼女に抗議したところ、次の日からクラスの子たちは私を
避けるようになった。
そして誰も私に話しかけてくる子はいなくなった。
この状態はいつまで続いたのだろう。
記憶はそこで途切れているので、そんなに長くは
続かなかったと思う。

コロナ禍で大人も子どもも、いつ明けるとも知れない、
重く垂れこめた梅雨空の下で暮らしている。
こんな状態では、いじめが増えているかもしれない。
今、いじめを受けている子も、いじめている子も、
見て見ぬふりをしている子も、その子のお父さん、お母さん、
おじいちゃん、おばあちゃん、そして私とは関係ないと
思っている子にも、この本を読んで欲しいと思った。

この本の帯には次の言葉がある。
この言葉に癒される人が必ずいると思う。

 つらいことから、どうして逃げちゃ いけないの?

自然から学んだ曾祖父の宝物のような言葉を吸収しながら、
雪乃は自分の尊厳を守りつつ居場所を見つけていく。
曾祖母の次の言葉に、涙がとまらなくなった。

 だから、謝ることなんかちっともねえにょ。いいだかい?
 雪ちゃんはね、ずいぶん大人になっただけど、まだ子どもだに。
 そんでもって、子どもはね、大人っから心配してもらうのが
 仕事だに。あんたの父やんだって母やんだって、きっと
 そう思ってるだわ。な?          (引用ここまで)

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ライオンのおやつ

2021-04-22 10:28:01 | ③好きな歌と句と詩とことばと
小川糸著『ライオンのおやつ』を読む。本を開くと字が薄い。
もしかして視力が落ちたのでは、と慌てて別の本を開くと
いつもの濃さだった。
読み終わって作者の趣旨がわかった。

33歳で余命宣告を受けた女性が、瀬戸内海にあるホスピス
「ライオンの家」に移り住む。
暗い内容を想像しがちだが、小説全体がやわらかい光をまとっている
ようで、それでいて押しつけがましさはなく、満たされた気分になる。

毎日、目の前に人参をぶら下げて、それを楽しみに生きる。
主人公は朝に出るお粥や、日曜日に出るおやつを楽しみにしている。
「レモン島」というだけあって、島全体にレモンの香りがするようだ。
新型コロナで気持ちが萎えている今、読みながら心が少し軽くなった。

追記
午前中に上の文章を書いてから、何か違和感があった。
この小説は「死が怖くなくなる物語」だと言う。
新型コロナは未知の病だが、死も未知のものだ。
未知のものへの恐怖は計り知れないものがある。私は死が怖い。

この小説は全てが解りやす過ぎるのだ。
まるでハウツーもののように、死を扱っていると言えなくもない。
私がへそ曲がりなのかもしれないが、この小説には毒がない
食べやすくやわらかい、やさしい味だけで出来ている。
小豆を煮る時に塩をひとつまみ加えるように、もうひと味欲しいと思った。

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母影(おもかげ)

2021-03-05 10:00:35 | ③好きな歌と句と詩とことばと
尾崎世界観著『母影(おもかげ)』を読む。
ロックバンドのヴォーカル・ギタリストであり、この作品が
芥川賞候補にもなり・・・ということで、図書館から借りた。

変態マッサージ店で働く母と、小学校の低学年と思われる
少女の日常を描いている。
学校が終わると少女は、母が働くお店に行き、カーテンで仕切られた
隣のベッドで母を待つ。
カーテン越しに母の影が映り、声が聞こえる。

家でも学校でも店でも、鍵穴から覗くようにして
徹底して少女の目線で描かれている。
世間的には異常なシチュエーションでも、少女の目を通すと
それが至極当たり前に見えてくる。
その描き方は見事だ。そして
レジ袋の可燃ごみの中に縫い針が1本入っているような、
いつ針がレジ袋を突き破って指を刺すのか、読者は
はらはらしながら読み進める。

お母さんはお客さんのこわれたところを直している、と
少女は聞かされている。
少女はカーテン越しに起きていることが気になる。
たとえばお客が「あるんでしょ?」と聞く言葉もその一つだ。

終わりに近づくにつれて、同じクラスの男の子や
そのお母さんやお爺さんが出てくると、物語は一気に
フツーの小説になってしまう。
「あるんでしょ?」という言葉の意味を、少女に探らせるために
必要だったのだろうか。
物語のつじつまを合わせるために、必要だったのだろうか。
私としては少女の目線のまま、物語を進めて欲しかった。

少女はやっとお母さんに「あるんでしょ?」と聞くことができた。
お母さんは「あるよ」と答える。
「あるんでしょ?」が意味するものは推測できるが、この会話の
少女とお母さんのやり取りがよく理解できなかった。

心に残った言葉を引用させて頂きます。

元気よくはーいって答えて、コンビニに向かった。もらった
百円を落とさないように、強くにぎって歩いた。外は小さい
雨がふってて、風がなまぬるい。
水のにおいをすいながら、あったかい雨が体にくっつくのが
楽しかった。

コンビニに入ってすぐ左がアイス売り場だ。・・・
こうやってあたりのアイスを探すときはすごくおもしろかった。
ずっとさわってたせいで痛くなって、私はアイスから手をはなした。
手が元にもどるまでのあいだ、こごえそうな冬の中に頭を
つっこんで、つめたい空気をぱくぱく食べた。

やっと決めた一つを持って、レジでお会計をした。帰り道は、
おつりといっしょにもらったレシートをぬれたほっぺたに
くっつけて歩いた。あったかくてくすぐったくて、
私はちょっと笑った。

外はもうまっ暗になってた。ただ立ってるだけで、体が黒く
汚れてしまいそうな夜だった。まだ熱い私の体を、風がふいて
ふーふーさました。それは何かが私を食べようとしてるみたいで、
私はまっ暗な夜の中にいる何かをきょろきょろ探した。
お母さんの手はすべすべしてて、にぎってもにぎっても私の手から出て
いこうとした。私はやっと両手でつかんで、もうお母さんの
手をはなさないように歩いた。

外に出るともうまっ暗で、お母さんのツメの赤はもうほとんど
見えなかった。道も自転車も水たまりも、色をなくして
元気がなかった。なまぬるい風がふくたび、私は口をしめた。
それでも心ぱいだったから、口に夜が入ってきて歯が黒く
ならないように手でかくした。      (引用ここまで)

電柱に貼ってある「いけやまよしひろ」の選挙ポスターが
物語の中で効いている。少女の目線で見ると、大人が見るのとは
違って見えるのだろうなと思った。

追記1
3月7日の「情熱大陸」に尾崎世界観が出ていた。初めて見たが、
ゆで卵みたいに顔の皮膚がつるんとしていて、真っ直ぐな印象を持った。
書き記していなかったので間違いがあるかもしれません。
以前、目つきが悪いと言われたとかで、そのせいかは知らないが
前髪が目に入るくらいに伸ばしていた。
BUMP OF CHICKENの藤原基央も以前、お父さんにそう言われたとかで、
前髪を伸ばしている。

お風呂に入らない時は、寝室に入らないと言っていた。
リビングでもなるべく寝室から遠いラグに坐る、と。
彼が憧れている柳美里に会った時に、次のように彼を語っていた。
「人が気づかないことに気づくのが、作家の才能だと思う。
 人よりいっぱい傷ついて、いっぱい吸収して成長する人だ」

彼のような繊細な神経で世界を見ると、いろいろなものが
見えてくるのだろう。
時に、見たくないものまで見えてくることもあるだろう。

この番組を観終わってからなぜか、55年前の記憶が蘇ってきた。
高校2年生の時に、入院しているクラスメートを女子全員で見舞った。
その時に何の犯罪かは忘れたが、ある犯罪者の話になった。
殺人を犯した人は、周りにはおとなしい人で通っていたと言うのだ。
武家屋敷跡に住み、田舎の高校にしてはめずらしく、周りには
お嬢様と一目置かれている人がいた。その彼女が、
「おとなしい人の方が犯罪をおかすのよね。〇〇さんなんか、一番
 危ないわよね」、と笑いながら私のことを言ったのだ。
周りの人たちは笑っていた。
高校時代の私は、人とコミュニケーションを取るのが苦手で無口だった。

彼女は次の日には言ったことさえ忘れているだろう。
だが言われた方は55年経っても、思い出す度に怒りを覚える。
「〇〇さん、あなたの予測は今のところ間違っているわよ。
 私はいまだに犯罪を犯していないのだから」と言えたら
どんなにスカッとするだろう。

自分もどれだけ多くの人を知らず知らずに傷つけてきたのだろう。
言葉は刃だ、と思った。             (敬称略)
(2021年3月8日 記)






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げいさい

2021-02-16 17:39:27 | ③好きな歌と句と詩とことばと
ツイッター上で、会田誠「げいさい」と書いてあるのを何度か
目にしたが、何のことか分からなかった。「げいさい」とは何ぞや?
図書館の新刊コーナーでそれが小説だということを知った。
会田誠著『げいさい』を読む。

会田さんの作品は、2013年に「天才でごめんなさい」を観ただけだ。
その時のことをブログに書いている。
        
「これでもかというくらい煩雑で残酷な作品にあっても、
 清浄で品のあるやさしさ、のびやかさを感じる。
 これは少女を描く時に際立つ。
 彼のやわらかい筆致や心根、そして男性ということにも拠るのだろうか」

この印象は小説を読んでも変わらない。
自分に誠実だという思いを、より強くした。
私は私小説として読んだのだが、違うかもしれない。
主人公は2浪して芸大を目指している。
1浪していた時の仲間の、「多摩美芸術祭ー通称「芸祭(げいさい)」
に加わった1986年の一日を描いている。

「行き交う人々の多くははしゃいでいる。無理もないーー年に一度の
 無礼講的なお祭りなのだ。この三日間だけは学生の自治が認められ、
 普段は地味なキャンパスが異空間に生まれ変わるのだ。
 何らかのビジュアルものを作るプロを目指す美大生なら、
 さぞや腕が鳴ることだろう」

「芸祭は・・・まさにオレたちの青春だった・・・クサいこと言っちゃう
 けどさ。それが終わっちまうってことなんだよォ!」

絵の予備校の仲間をはじめ、様々な人が出てくる。
これだけ登場人物が多いとごちゃまぜになるのだが、その一人一人が
くっきり浮かび上がってくる。そして時空を超えた展開にも、
すっと入っていける。余計な言葉を使っていないからなのか、
構成が見事なのか、気持ちよく読めるのだ。

主人公は予備校で、芸大に入るための訓練を徹底的に受ける。
だが入試の実技の課題は「自由に、絵を、描きなさい」
鎮魂のために絵を描く。

「廊下の方で試験終了の鐘が鳴り響いて、僕は我に返った。
 もはや自分の絵の良し悪しをあれこれ斟酌するような心境ではなかった。
 こうする他はなかったーーやれることはすべてやったーー
 という清々しい充実感だけがあった。こうして暫定的に描くことが
 終了した自分の絵を、僕は堂々と誇りを持って、真正面から
 見ることができた。にわかに感動がこみ上げてきて、
 落涙こそしなかったが、僕の目は涙で溢れ返った。

 こうして僕は芸大に落ちた。」     (引用ここまで)

誠実で繊細で品のあるやさしさ、あたたかさに満ちた文章は、
若い人たちが生きていく上でのマイルストーンになることだろう。
本のタイトルを、「芸祭」とせずに「げいさい」にした気持ちが
わかった気がする。

2013年4月2日のブログ「天才でごめんなさい」
           ↓
https://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/efdb5a424993e713b138caa6245d116f







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きみに贈る本

2021-01-30 10:21:25 | ③好きな歌と句と詩とことばと
2016年に出版された『きみに贈る本』を読む。
6人の作家(中村文則・佐川光晴・山崎ナオコーラ・窪美澄・
浅井リョウ・円城塔)が、自己紹介にかえて自作一作と、
お薦めの本9冊を挙げている。なかなか面白い。
こうした本を若い頃に読んでいたら、
少しは本好きになれたかもしれない。

中村文則
①自作は『教団X』を挙げている。その中の言葉が解りやすく
興味深いので引用させて頂きます。いつも思うのだが、
若い人に向けるまなざしがあったかい。

戦前・戦中の日本のことも書いたのには、現在の日本が少しずつ
右傾化・全体主義化していることへの僕なりの危惧があった。
だから小説の中で戦争を描き、第二次大戦に向かった日本について
の論争も大きく入れた。右傾化も、全体主義も、思想として持つ
のは別に自由だ。しかし、国全体をそれで覆うのは非常に危険
だと感じている。

東京裁判で問題にされた敗戦までの十七年間、実は日本の政権は
十七回も代わっている。
いくらトップが代わってもあの戦争の流れを止めることはできなかったし
一度全体主義の空気が出来上がってしまえば、一部が暴走し
(関東軍が起こした満州事変のように)、それに全体が巻き込まれてしまう。
現在の政権が信用できるかどうかではない。日本はシステムが
一度出来上がれば、もう誰がトップになっても止めることができなくなる。


(この本が書かれたのは2016年だが、国のトップが代わっても
 なんら変わらないということを痛感している)

現在の日本の流れは非常に危険だと思っている。作家として、
書くべきことは書かなければならないという思いがあった。
どんな戦争にも、裏には必ず利権があることは言うまでもない。

例えば十年後、さまざまな戦争に巻き込まれ、膨大な数の
外国の人達を殺害し、膨大な数の自衛隊員も死傷し、中東諸国
などからも強く敵視されるようになった無残な日本を見て、
こんなはずじゃなかった」と愕然とする事態が来ないように
僕たちは考えていかなければならない。  (引用ここまで)

②お薦めの1冊に、太宰治『人間失格』を挙げている。
その中の言葉を引用させて頂きます。

確かに、人間とは何か、みたいなややこしいことを考える
のには、精神的な体力がいる。もしかしたら、若い人たちの
中で、こういうややこしいことを考える精神的な体力のない
人が増えていて、その結果「それ中二病じゃん」と切り捨てる
風潮があるのだろうか。違うとは思うけど、もしそうだと
したらなかなか大変なことだ。

この本を嫌いという意見もよく聞くが、まあ文学なので、
好き嫌いというよりも「なるほど、こういう考え方もあるのか」
というふうに読んだ方が他者への想像力を養うことができる。

今の若い人たちも、友人から「中二病じゃん」といわれても、
そっと隠れて本を開いて、ちゃんと自分の精神に滋養を与える
時間を確保してほしいなと思う。
自分の内面まで他人に合わせる必要はない。

その方がきっと面白い人間になれる。
      (引用ここまで)

(「中二病」、なんて嫌な言葉なんだろう。誰が考え出したかは知らないが、
 私には「政治と宗教の話はタブー」という言葉同様、
 口封じ・思考封じにしか思えない。
 ついでに
 「〇〇させて頂く」、この言葉の多用はいつから始まったのだろう。
 私が〇〇する、という代わりに使うことで、主体性封じにしか思えない。
 決して丁寧でも美しい日本語でもない。
 以前、「寄席を観させて頂きました」、と言う若者がいた。
 おいおい、自分のお金で行ったんだろう。だったら
 「寄席に行きました」でいいのでは。
 「引用させて頂く」、これは作者の了承を得ないで引用しているので、
 敬意を払う意味で使っています。

 ついでのついでに
 「拝見する」という語は、見るの謙譲語だ。自分がへりくだることで
 相手を敬う。だから「拝見させて頂きました」は二重にへりくだって
 いるので、「拝見しました」でいいのでは。
 映画パーソナリティが「是非、拝見してみてください」と言っているが
 人に謙譲語を使うのはヘンですよ。「是非、観てください」でいいのでは。
 やたら言葉ばかり丁寧にするの止めようよ!

佐川光晴
①お薦めの1冊に秋山駿『歩行者の夢想』を挙げている。
副題に「二十五歳、飢えるように読んだ」とある。※飢(かつ)える
佐川は大学を卒業して出版社に就職するが、1年後には辞め、
以後10年半を屠畜場で牛の解体に従事する。
言葉を引用させて頂きます。

①ここには共感を示す傍線が引かれている。次の箇所にも鉛筆で
太い傍線が引かれている。
「私には何もなかった。ただ自分が現にいまここにいるという、
 わずかに私にとって真の唯一の現実と見えるものを一本の
 糸筋にして、当てもなく歩くという行為があるだけであった」
 秋山駿『小林秀雄の戦後』

歩行を思考の基盤においた文芸評論家。ひたすら抽象的である
がゆえに、頭と胸に直(じか)に響く秋山駿の内省的モノローグ
を読むと、私は二十五、六の頃に引き戻されたような切迫した
気分になる。

しかし、「歩行する」と「牛を屠る」は思っていた以上に性質の
異なる行為であり、ナイフを自在に操れるようになるにつれて、
わたしは秋山駿を読まなくなった。それは予期せぬ別離だったが、
わたしが秋山駿に救われたことに変わりはない。今回、傍線で
真っ黒になった氏の著作の数々を読み返しながら、わたしは
切羽詰まっていた二十五歳の日に秋山駿に出会えた幸せに
深く感謝した。
          (引用ここまで)




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青い花

2021-01-24 17:29:03 | ③好きな歌と句と詩とことばと
辺見庸著『青い花』を読む。
私は読む本の大半を図書館から借りている。
当然、期限が来たら返さなければならない。
心に残った言葉を書き留めて置きたいので、ブログに書いています。

この本は2013年に出版されたものを、2020年11月に
文庫化したものだ。
173頁に一字の空きもなく、びっちりと文字が埋められている。
登場人物は「国内無登録難民」と思われる男一人。
彼が線路上を歩いていく。戦時中に精神を病んだ叔父の言葉を
思い出しながら、戦時中のできごとを思い出しながら、
"きょうこ"を求めながら、ひたすら歩いて行く。
思いつくままに、言葉を氾濫させながら歩く。

「わたしはだれでもない。わたしはあるいている。
 わたしは線路をあるいている。
 ポラノン(ヒロポンのことらしい)がほしい」
 (引用ここまで)

1970年頃に私は学食で後輩とたまたま一緒になったことがある。
彼はアルミの大きな弁当を持ってきていた。
開けると中は一面海苔でおおわれていた。
「あれ、おかしいな。ご飯の真ん中に薄焼き卵が入っている
 かもしれない」
そう言いながらご飯をほぐしていっても、白飯とおかか以外は
何もなかった。彼は恥ずかしそうに食べていた。
授業のない時は「にこよん(日雇い労働者)」をしていることは
聞いていた。だが彼のお兄さんがヒロポン中毒で、
家は火の車だというはこの時に知った。
70年になっても、ヒロポンという言葉があることに衝撃を受けた。
戦後四半世紀が経っても、戦争の疵痕が残っていたのだ。

言葉を引用させて頂きます。

 人間というのは・・・という切りだしを好まない。だが、ひととは、
 どのような音にもひびきにも影にも、いったんはすくみ怯える
 にしても、いずれは哀しいほどに慣れてしまうものだ。
 たとえ聞いていても聞かなかったことにするのに慣れ
 見ていても見なかったことにするのに慣れて、こうじれば、
 見なかった、聞かなかったとさえ記憶したりする。
 身もこころも外部の条件を反映して、いかようにも変質してしまう。

 それはたくましい可変能力というより、ひとがひとであるために
 あらかじめ負うている病性なのかもしれない。それをして人間と
 いうものの「破滅的な習慣」と言ったりするが、ひととはほんらい
 ハメツテキナシュウカンという学名を付されるべき有機毒物である
 公算も大なのではないか、

 叔父はまた、世界になにもなくなること、なにものも存在しなくなる
 ことのしあわせと恍惚にかんしても真剣にかたろうとした。
 「ひとはだれひとりとしてなりたい色の花には咲けない」
 「善い樹ほど悪い花を咲かす」と教えてくれたこともある。だから狂う。
 なりたい色の花に咲くことができるのは神様だけだ。
 そのようなことも叔父は口走った。
 「人間に尊厳なんかありはしないよ」。自分に説くようにそう言った
 こともある。ひとはしきりに「尊厳」を口にしながら尊厳をみずから
 つぎからつぎへ壊す生き物なんだ。
 「それでもだ、もしも人間に最期の最期までのこされた尊厳という
  ものがすこしでもあるのだとしたら・・・
」。
 かれはふっと息をすってわたしの目を見た。なんだと思う?
 そう問うていた。わたしは首を横にふった。
 脳裡に闇夜の水切りを見ていた。黒い礫。黒い飛沫(しぶき)。
 叔父は語を継いだ。
 「げんに目の前に見えていることをインチキだ、うそだと
  言えることだよ。そう言えるかどうかだよ
」。

 朝鮮戦争にろくに反対もせず、戦争特需で大もうけし、戦争の苦しみを
 わすれ、浮かれ、かつ虚脱し、いちじは三百万人以上の潜在ヒロポン
 常用者がいたこと、すさまじい苦しみにのたうちまわっていたこと、
 一九五三年の医薬品総生産高は約七百五十六億円だったけれども、
 ヒロポンなど覚醒剤の売り上げは同年、一説に二百数十億円だったこと、
 ヒロポン生産に抗議した製薬会社のまじめな労働者たちが生産妨害者として
 解雇されたこと、理のとうぜん、精神科病院が超満員だったことを、
 セニョール、セニョーラ、ご存知ないのでありましょうか。
 と、叔父はあの芝居(注 「暗視ホルモンの夜」、という芝居。
 暗視ホルモンとはヒロポンのことらしい)で表現したかったのでは
 ないだろう、とわたしはおもう。
 叔父はだれかを告発したかったのではないはずだ。
 叔父はそんなひとではない。          (引用ここまで)






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A

2020-12-07 11:42:46 | ③好きな歌と句と詩とことばと
中村文則著『A』を読む。
2007年から2014年までの短編を集めたものだ。
坂上チユキの装画が繊細で美しい。
短編だとこんなにも自由に想像の世界に遊び、
感覚を肥大化させて書けるものかと、読んでいて楽しくなった。
特に自虐ネタが笑わせる。

実験的に書かれていると思われる短編「A」では、主人公が上官に
刀で支那人の首を切り落とすよう迫られる。
ここでの緊迫感は、後の小説『逃亡者』の中に活きてくるように思う。
最後の短編「二年前のこと」では、作者の生活や苦悩が描かれている。
心に残った言葉を引用させて頂きます。

①嘔吐
僕は穏やかに、上手く笑った。妻は唇を力なく緩ませ、静かに、
自分の部屋に戻ろうとした。彼女の痩せた肩の窪みに、小さな影が
溜まっている。妻は、その影をそのままにしながら、狭い廊下を
動いていく。妻は何も言わないが、自分がしばらく、妻にふれていない
ことに気づいた。

会社に着くと、いつも二人いる受付の女性が、一人足りなかった。
誰もいない椅子があり、それが黄色いことを初めて知ったように
思う。緑の観葉植物が、静けさの中で照明の光を反射している。
その葉の先は鋭く、何かを裂くようで、ふれる空気が微かに緊張している。

②妖怪の村
(町に黒い小鳥が異常発生する。新型コロナウィルスとあいまって
 恐怖がひしひしと伝わってくる)
夜になり、僕は耳を澄ます。微かな鳥の鳴き声はあるが、大分静かに
なっている。この部屋には僕しかいないのだが、座っている椅子の
肘掛に他人の気配を感じ、腕を離した。ベッドの布団のしわが少し
深すぎるように思い、目を逸らすと、壁に初めて見る染みを見つけた。
段々と、胸がざわついてくる。些細なことだとわかっているのに、
身体がなぜか反応してしまう。僕は現在の自分について考え、これからの
自分について考える。不安は意識を向けるほど終わりがなくなり、
僕は首を振ったりしながら、意味もなく部屋を見渡した。

彼はタバコに火をつけたが、その僅かな火でも、鳥達を気にしている
ようだった。
「多くの日本人が、海外に脱出しています。・・・・・・たくさんの
 金持ちが。でも、彼らが鳥を連れてくると風評が広がって、各地で
 迫害されて戻ってくるんです。酷いですよ。色々な国も、
 日本に深い同情を寄せると声明だけ出して、何もしない。どこも、
 自分達の国が巻き込まれないために必死です。・・・・・・それだけ
 深刻なんです。今全ての国のミサイルが、日本の方向に向いています。
 鳥の大群がもしやってきた時のために」

③三つのボール
パソコンの画面がつき、柔らかい、種類のわからない果物が映る。
その果物に、スプーンの形をした鉄が、ゆっくりと入っていく。
スプーンは回転しながら、ゆっくり果物を掘っていく。果実がだらだらと
滴り落ち、その粘り気のある液が、画面の中の床を濡らしている。
スプーンは優しく果肉を撫で、中の果汁をすくい上げ、床にたらし、
さらに奥へと入っていく。果物は、ヒクヒクと震えながら、
スプーンを中に受け入れていく。

④二年前のこと
こういう毎日からわかるのは、僕の人生で更新されているのが、
仕事しかないということ。僕の人生の一日分が、小説何枚、
エッセイ何枚、つまり文章というものに還元されるだけであること。
精神を安定させるために同じような日々を生き、ほとんど残る記憶もなく、
ただ文章だけが更新されていくこの生活とは何だろう?  
(引用ここまで)




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日没

2020-11-23 14:21:29 | ③好きな歌と句と詩とことばと
桐野夏生著『日没』を読む。
今の日本は、小説家の眼にはこのように見えるのか、と怖くなった。
近未来には、表現の自由がなくなるのではないか、
書いたもののことで罪に問われるのではないか、
そして拘束されて・・・と考えない小説家はいないのではないだろうか。
中村文則さんがインタビューで次のように答えていた。
「小説家がインタビューを受けなくなってきている。
 だが僕は、読者のためにも覚悟を決めて、言いたいことを言う義務がある。
 言っていいことなんか何一つないんだけどね」

金原ひとみ著『fishy』の中に次の言葉がある。
「不意に、昔読んだ作家の言葉が蘇る。
 『世の中が真っ当な時は、作家は愚かなことができる。
  でも世の中が愚かになってしまうと、
  作家は真っ当なことを言わざるを得なくなる。
  これは作家にとって最も悲しいことだ』」

『日没』の帯に次のような言葉がある。
「ありとあらゆる人の苦しみを描くのが小説なんだから、
 綺麗事だけじゃないよ」

インタビューを拒否したり、時事問題をスルーする人は多いだろう。
こういう人を私は信じない。
「言いたいことを言う義務がある」以上、いかに読むのがしんどくても、
「読む義務がある」と思って読んだ。


主人公に読者からの提訴があったと召喚状がくる。
そして「文化文芸倫理向上委員会」という政府の組織によって、
主人公は断崖に建つ海辺の療養所に収容されて、番号で呼ばれることになる。
提訴の理由は、「小説にレイプや暴力、犯罪をあたかも
肯定するかのように書いている」というものだ。

小説の一部を引用させて頂きます。

「コンプライアンスという言葉をご存じですよね?
 総務省の方でも、作家の表現に少しコンプライアンスを求めようと
 いうことになったのです。野放しはよくないという
 世論に準じた形です」

 私はまたも大きな声を上げたが、同時に背筋が寒くなった。
 愚昧な人間たちが、小説作品を精査して偏向もしくは異常だと
 断定し、小説を書いた人間の性格を糺(ただ)そうとしている。
 これほど怖ろしいことはなかった。療養所。そして精神鑑定。
 その先には、何があるのだろう。びゅんびゅんと回る風力発電の
 タービンの音を、間近で聴いているようで神経が麻痺しそうだった。

 かつて出版社は、良質な作品を書く作家を大事にした。それから
 しばらくは、作品の質は脇において、売れる作家を優先的に遇した。
 だが、最近は売れて、かつ正しいことを書く作家ばかりに仕事を
 頼む傾向にある。それは、正しいことを書く方が読者の支持を
 得やすい、ということだけでもないのだった。

 私は、ようやくヘイトスピーチと小説とが、同じレベルで捉えられる
 ようになったという事実に辿り着いて愕然とした。これは、同じ
 「表現物」として公平に見せかけた、国家権力の嫌がらせだ。・・・
 要するに、売れて人気のあるエンタメ作品は、テレビ番組と同じで、
 政治権力の干渉を受けやすいということになる。

 なぜなら、ここにおられる先生方は偏向しているのに、平気でそれを
 垂れ流している。異常なことを書いて、平気で金を稼いで暮らしている。
 そういうのを治してほしいんですよ。糺してほしい。先生方が無責任に
 書くから、世の中が乱れるということががわかっていない。
 猥褻、不倫、暴力、差別、中傷、体制批判。これらはもう、
 どのジャンルでも許されていないのですよ。

 それから基本的に、入居者同士の接触は禁止です。私語も手紙などの
 通信もすべて禁止。なので、所内はもちろん、外で入所者と擦れ違っても
 絶対に話さないでください。私語を交わしているのを見られた時は、
 共謀罪の適用も考慮されています。     (引用ここまで)

物語は始まったばかりだ。


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逃亡者

2020-10-13 17:30:32 | ③好きな歌と句と詩とことばと
中村文則著『逃亡者』を読む。
思い入れが強すぎると、何から書いていいか分からなくなるので、
「幻冬舎plus」のインタビューを参考にさせて頂きました。

この小説の中にも、インタビューの中にも、【公正世界仮説】という
言葉が出てくる。中村さんの言葉を引用するとこれは心理学の用語で、
「人々は社会が公正で安全であると思いたい。
なぜならそうでないと不安だから。だから、そうでないことが書かれて
いると”知りたくなかった”という感想になってしまう。それで別の理由を
つけて批判したりもする。ただ、公正世界仮説的な考えが行き過ぎると、
何があっても”お前が悪いからだ”という、個人批判の社会になって
しまうんです。今、まさにそうなっていますよね。これから世の中は
どんどんぎすぎすしていくと思いますよ」 (引用ここまで)

まさに今の日本を覆っている空気を言い当てている。
嫌なものは見たくない、聞きたくない、今の生活がこのまま続いて欲しい。
何か事が起きると、そうさせてしまったのは"自己責任"となる。
国の借金がどうなろうと、核のゴミで国が身動きできなくなろうと、
地球温暖化で将来、地上に住めなくなろうと、公文書が廃棄されようと
このままでは新型コロナウィルスが更に蔓延してしまおうと、
とりあえず今、自分に何事もなければいい。

この小説にはさまざまな問題が提起されている。
ヴェトナムから来た留学生の恋人を失うという事件をベースに、
中村さんのルーツが長崎にあるということから潜伏キリシタンや
外国人の労働問題、第二次世界大戦中の日本兵の過酷な状況や残酷な行為、
貧困問題、LGBT、ネトウヨ、差別団体によるデモ、従軍慰安婦や
南京大虐殺などの歴史問題、ジェンダー、格差、断絶、右傾化する日本、
新興宗教と政治などなど。
これらが物語の中に見事に溶け込んでいる。
そしてトランペットをめぐるスリリングな展開とミステリアスな内容に
押しつけがましさがなく、どんどん先が読みたくなる。
娯楽作品としても成功している。

特に感銘を受けた言葉は、第二次世界大戦を表わした次の言葉だ。
「この戦争は、他国を巻き込んだ日本のジトクだと思った。
 日本はジトクをしながら死んだのだった。」  (引用ここまで)
これ以上に、あの戦争の本質をずばり言い当てた言葉が
かつてあっただろうか!
しかも40代前半の作家が書いたとは・・・。私は度肝を抜かれた。
日本での彼への評価が低すぎると思う。
世界的にも、もっともっと評価されるべき作家だ。

心に響いた言葉に付箋を貼っていったら、付箋だらけになってしまった。
インタビューの最後の部分を引用させて頂きます。

「僕は政治に理想は求めていないんです。政治家は常識的なことさえできて
いればいい。新型コロナに上手く対処している台湾、韓国、ドイツは、
人権を重んじる政権という共通点がある。だから一人一人の苦しみから
政策を決められるし、普段人権に敏感な政府が自由を制限するから国民も
聞くことができる。日本は、何かあった時に、政権ではなく個人に責任を
押し付ける論客が多いのが問題。それは断絶を生むだけです。
公を擁護して、個人の責任に還元している言論人たちに考えを
改めてもらえたら、世の中がちょっとよくなると思います。
あとは基本的に、国民は政治家に文句を言いながら暮らすのが普通
だと思っています。僕は政治に興味はないけど、今の政権があまりにも
酷いからいろいろと意見を言っているだけです。
今後もそうやっていきます。」 (引用ここまで)

日本学術会議が推薦した会員候補6人が任命されなかった問題でも、
政権を擁護する意見があちこちからあがって跡を絶たない。
詭弁を弄してまで、事実を曲げてまで、仲間内で擁護し合う。
こうした狭い世界で、自分たちのいいように政治を回して来たのだな、
と改めて思った。

私はBS・TBSで「関口宏のもう一度!近現代史」を観ている。
ちょうど昭和に入ったところだが、戦争に突き進む当時の世相が
今の状況と驚くほどよく似ている。
順番が前後するが、インタビューの中でも中村さんがこのことに触れている。
引用させて頂きます。

「今の時代は、明治と昭和初期の劣化コピーが流行っていて、第二次
世界大戦の前と似ていると感じているんです。あの頃と今が呼応している、
と意識しながら書きました。従軍慰安婦のことなども、史実を書いています。
あれも、知りたくなかったという人はいるんでしょうけれど、過去を直視
しなければ改善も成長もない。ほかにも、日本軍の兵士たちは
相当残酷なことをしてしまった。兵士にもいろんなタイプがいましたが、
狂気までいかなくてもああいう死ぬか生きるか分からない状態で
聖人君子でいられなかった人は多いと思う。それはつまり、兵士個人個人
が悪いというより、戦争そのものがいけないという側面がある。
もの凄く過酷でしたから」      (引用ここまで)


楽しくないこと、面倒なことははなるべく避けていたいけれど、
これ以上、未来を悪くさせないためにも、まずは知ることだ。
(我ながらこの歳まで、何も知らずに生きて来てしまったものだと思う)
この本は楽しみながら読めて、しかも読み終わった後にたくさんのことを
学んでいたことに気づく。



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猫を棄てる

2020-09-23 10:34:04 | ③好きな歌と句と詩とことばと
村上春樹著『猫を棄てる 父親について語るとき』を読む。
村上氏と父親との間には確執があったようで、亡くなる少し前までの
20年間は会うことがなかったようだ。
父親のことはいつかまとまったかたちで文章にしなくては、との思いから
この本ができた。

父親との確執を書くことは不本意とのことで、そのことには触れていない。
また父親や母親についての記述は、抑えた文章になっている。
ページ数が少ないこともあってか、風がさぁっと通り過ぎたような
印象を受けた。中村文則著『逃亡者』を読んだ直後のせいもあり、
血がさらさらと流れていったように感じた。

辺見庸氏の『1★9★3★7★』の中にも、父親の戦争体験が載っている。
彼の文章は、血が滞っているように感じる。
以前にブログで取り上げた文章とともに、二人の言葉を引用させて頂きます。

村上春樹氏
①子供の頃、一度彼に尋ねたことがあった。誰のためにお経を
 唱えているのかと。彼は言った。
 前の戦争で死んでいった人たちのためだと。そこで亡くなった
 仲間の兵隊や、当時は敵であった中国人の人たちのためだと。
 父はそれ以上の説明をしなかったし、僕はそれ以上の質問をしなかった。
 おそらくそこには、僕にそれ以上の質問を続けさせない何かがーーー
 場の空気のようなものがーーーあったのだと思う。しかし父自身はそれを
 はばんでいたわけではなかったという気がする。もし尋ねていれば、
 何かを説明してくれたのではあるまいか。でも僕は尋ねなかった。
 おそらくむしろ僕自身の中に、そうすることを阻む何かがあったのだろう。

②いずれにせよその父の回想は、軍刀で人の首がはねられる残忍な光景は、
 言うまでもなく幼い僕の心に強烈に焼きつけられることになった。
 ひとつの情景として、更に言うならひとつの疑似体験として。
 言い換えれば、父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを
 ーーー現代の用語を借りればトラウマをーーー息子である僕が
 部分的に継承したということになるのだろう。
 人の心の繋がりというものはそういうものだし、
 また歴史というのもそういうものなのだ。
 その本質は〈引き継ぐ〉という行為、あるいは儀式の中にある。
 その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、
 人はそれを自らの一部として引き受けなければならない。
 もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるのだろう?

 父は戦場での体験についてほとんど語ることがなかった。
 自らが手を下したことであれ、あるいはただ目撃したことであれ、
 おそらく思い出したくもなく、話したくもなかったのだろう。
 しかしこのことだけは、たとえ双方の心に傷となって残ったとしても、
 何らかの形で、血を分けた息子である僕に言い残し、
 伝えておかなければならないと感じていたのではないか。
 もちろんこれは僕の推測に過ぎないが、そんな気がしてならない。 
 (引用ここまで)

辺見庸氏
①いつだったか、まだ子どものころ、酔った父がとつじょ言ったことが
 ある。静かな告白ではない。
 懺悔でもなかった。野蛮な怒気をふくんだ、かくしようもない、
 かくす気もない言述である。
 この記憶はまだ鮮やかだ。「朝鮮人はダメだ。あいつらは手で
 ぶんなぐってもダメだ。スリッパ(軍隊で「上靴(じょうか)」と
 よばれていた、いかにもおもそうな革製のスリッパ)で
 殴らないとダメなんだ・・・」。
 耳をうたがった。発狂したのかとおもった。
 いまでもわからないのだ。ニッポンという”事象”に伏在する病が、
 父をよくわからなかったように、よくわからない。
 わたしは父の戦争経験を忖度し、非難を抑制してきた。
 しかし、かれが激昂し、スリッパをふりあげてひとを打ちすえている
 図にはとても堪えられなかった。いまも堪えがたい。


②「上靴バッチ」を朝鮮人にたいしてやった父と、それをやったことはない、
 父の長男であるわたしのかんけいとはなんなのだろうか。
 かんけいはないのか。やはり、ある、とおもう。
 わたしが想起したくなくても想起するかぎりにおいて、
 父の歴史とわたしの歴史は交叉せざるをえないのだ。
 ひとが歴史を生きるとはどういうことなのだろうか。
 歴史的時間を生きるとは。
 それは、ニッポンジンでも朝鮮人でも、韓国人でも、自己の生身を
 時間という苦痛にさらし、ひるがえって、時間という苦痛にさらされた
 他者の痛みを想像することではないのか。
 わたしの記憶と父の記憶は、傷んだ筏(いかだ)のように
 繋留されたままである。
 からだに時間の痛みとたわみを感じつつ、自他の「身体史」を
 生きること――それが歴史を生きることなのか。

③父も、ほとんどの初年兵がそうであったように、
 「皇軍」でんとうのシゴキをうけていた。
 ビンタはしょっちゅう。左右の頬を殴打する「往復ビンタ」は日常茶飯事。
 「革帯」(ベルト)をつかうシゴキもあった。二等兵二人を相対させて
 たがいにビンタをはらせる「対抗ビンタ」もあたりまえ。……
 すこしでも手をぬきでもしたら古参兵のリンチをうける。
 兵士らはたがいにたがいをおとしめ、身体的な苦痛と屈辱感を
 味わわせることによってシステマティックにかつ徹底的に
 「個」と「私」をうばいつくし壊しつくした。
 殴られる被害者は、じゅんぐりに殴る加害者になっていった。
 きちんとそれを継承し踏襲した。そこに論理はなかった。

 「ぼくという人間の基本的権利はいっさい消滅した」という
 父の文をわたしはうたがわない。
 「あの戦争はなんだったのだろう……」とひとりごち、昭和天皇に
 問うてみたいという父の心情もわからぬではない。
 だが、これはたかのぞみだろうか、かれの自己表白には、この国では
 あまりにもいっぱん的な、だからこそいつまでもひきずる黒い穴のように
 無神経な欠如があるとおもうのだ。それは、みずからを
 「加害者」ではなく、「被害者」の群れのなかに、ほとんど
 ためらいもなく立たせてしまう作用をはたす、意識の欠落である。  
 (引用ここまで)

※私のブログ『1★9★3★7★(イクミナ)』①~④
        ↓
https://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/8fa6ec4795f78412a95d743568d18710



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STRAY SHEEP

2020-08-09 15:11:34 | ③好きな歌と句と詩とことばと
70歳にして生まれて初めて、米津玄師のCD「STRAY SHEEP」を予約した。
届くまでの約2ヶ月間は、しばし憂き世を忘れさせてくれた。
早速聴いてみると、音楽の世界が拡がりを見せ、完成度の高い作品だ。
特に「カンパネルラ」と「PLACEBO+野田洋次郎」は音楽がずっと
頭の中で響(な)っていて、口ずさみたくなる。
米津は宮沢賢治に影響を受けたと語っているが、「カンパネルラ」は
彼へのオマージュだ。MV(ミュージックビデオ)も素晴らしい。

私が好きな「Flamingo」や 「TEENAGE RIOT」が入っていた。
この2曲だけは彼自らがアレンジしている。
その他に番組とタイアップした曲がいくつか入っているが、
どれも成功している。
要望に応えて作るのは、さぞかし苦労が多いと思うし、
それをこなすのは並々ならぬ才能だと思う。
だが私は、彼の内から湧き出るような曲が好きだ。

たとえば、「ひまわり」は「TEENAGE RIOT」の延長線上にある曲だと
思うが、こうしたひりしりした痛みを感じる曲が、私は好きだ。

これまでもラブソングは数多く聴いてきたが、その中でも
「カナリヤ」は究極のラブソングだと思う。
若さからの繊細で柔らかな感性で作られていて、聴きながら泣いてしまった。
ラブソングで泣いたのは初めてだ。
普遍性のある曲として、ずっと歌い継がれていくだろう。
私はチューリップ・財津和夫の「青春の影」の次の歌詞を思い出していた。
「今日から君はただの女 
 今日から僕はただの男」

米津は昨日(8月8日)のテレビ対談で次のように語っていた。

「(今はコロナで)不要不急が叫ばれているが、それを判断する鍵を
 人に委ねてはいけないと思う」     (引用ここまで)

今も、音楽を含む芸術や娯楽に救われている人が大勢いることだろう。
こうしたものに価値を見出せない国は、文化国家とは言えない。
またこのことを政治家が理解できないのであれば、あまりにもお粗末だ。
この非常時に、文化や芸術に予算をつけない国があろうとは!
高齢者で持病のある私は、日々コロナに怯えつつ、音楽や映画、小説などに
救われながら生きている。

追記1
YouTubeで、「STRAY SHEEP Radio」を聴いた。
米津がこのアルバムに入っている曲を中心に、独りで語るラジオ番組だ。
私のような凡人でも生きにくい世の中なんだから、繊細で感受性の強い彼は
さぞや生きるのがしんどいのでは、と聴きながら思った。
世の中の様々な出来事をよく知っていて、それを自分のこととして
深く考える。更にはどうしたらいいのか考え抜く。
こうして生まれた曲も、誰かを傷つけてしまうのではないかと悩む。

自分は永久に苦しみ続けるしかないと腹をくくった、と語っていた。
たとえそこから逃れて晴耕雨読のような生活を選んでも、
自分はそれでは満足できない。
もっとイージーな曲作りをしたのでは、自分が飽きてしまう。
苦しみながら作り続けるしかないようだ。
才能があることは、ある意味、苦しみと同義語なのかもしれない。
それにしてもいつも思うのだが、彼は豊富な語彙を用いて自分で考え、
自分の言葉で語っている。
孤独な時間がこうした土壌を築き上げたのだろうか。
孤独であるからこそ、お互いに解り合える。
(2020年8月29日 記)

追記2
是枝裕和監督「カナリヤ」のMVが、YouTubeで観られます。
田中泯さんが出ています。
自分が思い描いていたイメージとは違いましたが、
美しいMVです。

https://www.youtube.com/watch?v=JAMNqRBL_CY

(2020年11月19日 記)

追記3
アルバムの中では「カナリヤ」が一番好きで、何十回となく聴いている。
YouTubeにも感動的なコメントが多数、海外からも寄せられている。
あるカップルの物語が10代、30代(?)、70代と3代に分けて
描かれていて感動的だ。
特に30代と思われるカップルがベッドの上で戯れるシーンや、
最後に米津が空を見上げるシーンはとても美しく描かれていて、大好きだ。

だが、私には何か違和感があった。
MVは音楽がメインだと思う。
MVはあくまでも音楽のイメージを膨らませるもので、
映像に独自の物語が必要なのだろうか。
音楽を聴いた人が、それぞれの物語を自由に作り上げて
いけばよいのではないだろうか。
MVが一つの物語に誘導しようとしているように感じる。
これではMVというより、是枝ワールドになってしまうのではないだろうか。
特にさびの次の部分で、私はなんど泣いたか分からない。
ここでも映像が曲のじゃまをしているように感じる。

「いいよ あなたとなら いいよ
 もしも最後に何もなくても 
 いいよ いいよ いいよ」

私は是枝作品が好きだし、「カナリヤ」の映像も素晴らしい。
だが、ひとつの曲の中で語り過ぎているように思う。
ひとつの映画は多くて数回しか観ないが、MVは一日数回観ることもある。
そうなると、その度に物語をなぞることになる。

映画「真実」を観た時も、素晴らしい作品だが
物語を語りつくしているように感じた。
映画もMVも、もっと観客に委ねて欲しいと、僭越ながら思った。
(2020年11月22日 記)

追記4
2021年6月にリリースされた「Pale Blue」のMVは
素晴らしいものだった。
「Lemon」、「馬と鹿」、「カンパネルラ」には高校生と思われる集団の
群舞(?)が出てくるので、作者のサインのようなものだとは思っていた。
だが私が一番好きなMV「Flamingo」、それに「カンパネルラ」と
「Pale Blue」までもが山田智和の作品だったとは。
30代前半、底知れぬ才能を感じる。
(2021年6月7日 記)





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ひこばえ

2020-08-07 16:47:50 | ③好きな歌と句と詩とことばと
重松清著『ひこばえ』を読む。
朝日新聞に連載されていたことは知っていたが、読んだことはなかった。
以前、彼の小説『とんび』をTBSがドラマ化し、内野聖陽と佐藤健が
親子を演じていた。
幼少期を演じていた子役があまりにも可愛く、母親を早くに亡くして
親子が健気に生きている姿に、なんど涙したか分からない。

『ひこばえ』は、小2の時に別れて音信不通になった父親と、主人公が
55歳の時に対面する。父親は引き取り手のいない遺骨になっていた。
そこから、殆ど記憶のない父との思い出探しが始まる。
細やかな記憶を手繰り寄せ、少しずつ父との思い出がよみがえってくる。
人情の機微を描くのが実にうまい。この小説でもなんど涙腺を
刺激されたことか。

だが下巻になると少しずつ息苦しさを感じるようになった。
お金にだらしのない父親が、どこでもトラブルを起こしていたことが分かる。
離婚理由も、お金に対するだらしのなさが原因だった。
その父親を周りの人たちは、無償の愛で受け容れていたことも分かる。
登場人物の多くが善人なのだ。
それにあんなにお金にだらしのなかった父親が、500万ものお金を通帳に
残していた。決して子どもたちに遺したのではなく・・・。

父親は優しい人たちに囲まれて最期は幸せだった。
私がへそ曲がりなのかもしれないが、父親の周りの人たちや主人公の周りの
人たちがみないい人過ぎて、不自然なものを感じ、ついていけなかった。

それと一つ気になったのは、「ひこばえ」という言葉の多用だ。
明鏡国語辞典によると、ひこばえ=木の切り株や根元から生え出る若葉。
「孫(ひこ)生え」の意、とある。
生命体としてのみならず、いろいろなものが子や孫に受け継がれて
いく意味に使っている。
主人公がその都度、「これもひこばえ」、「あれもひこばえ」と指摘する。
読者が「ひこばえ」と気づく余地を残しても
よかったのではないか、と思った。

心に残った言葉を引用させて頂きます。

「悲しさには、はっきりした理由やきっかけがあります。病気で言えば、
 急性のものです。でも、寂しさは慢性なんです。
 ふと気づくと、胸にぽっかり穴が空いていて、いつの間にかそれが
 当たり前になって、じわじわ、じわじわ、悪化していって・・・・・・」

「親子っていうのはたいしたもんだ。親が死んでからも子どもには
 思い出が増えるんだ。いまみたいに」

「・・・・・・はい」

「いなくなってから出会うことだってできるんだ、親子は」   
 (引用ここまで)

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小説 安楽死特区 (1)

2020-07-20 17:37:43 | ③好きな歌と句と詩とことばと
長尾和宏著『安楽死特区』を読む。
現在、大西氏の命の選別発言が問題になっているので、興味深く読んだ。
この小説は2020東京オリンピックが終わった後の、荒廃した
日本を描いている。あの人とおぼしき政治家が出てきたりして、
「さもありなん」とやけにリアルで、ぞっとする。
この小説が出版されたのは2019年12月、新型コロナウィルス感染前
なので、現実の日本の悲惨さはこれを上回ることになるかもしれない。
心に残った言葉を引用させて頂きます。

東京オリンピック以降、日本は本当に貧しくなった。
とうとう国会は、75歳以上の透析(とうせき)治療を一律に保険適応
から外すことを決議した。・・・
そんななかで末期がん患者のための光免疫療法が保険適応になったら、
透析患者はもっと怒るだろう。病気によって差別があってはならないと。
しかし、光免疫療法はそんなに効果があるのだろうか。今までもそんな
夢みたいなことを謳(うた)ってにわかに患者を期待させ、気がつけば
世間から忘れられている治療法はいくらでもあった。

平成が終わって早5年、世界的に医療技術は発展している。最近は中国や
インドからも瞠目(どうもく)するような研究発表が続いている。
そのせいか、中国人の日本への医療ツーリズムも最近は影を潜めつつある。
特にオリンピックの後、日本人の健康格差は中国を嗤(わら)えない状況に
ある。国民皆保険はかろうじて続いているが、企業年金制度はほぼ破綻状態、
若い世代において保険料未払いは増える一方である。新しい薬の開発が進ん
でも、なかなか保険適応にならないから市民の手には届かない。
先日の大手新聞社のアンケートでは、この国に希望を感じないと答える
20代が8割、百歳まで生きたくないと答えた70代以上も8割に上った
という。生涯未婚率も上がる一方であり、5年前は年間4万人といわれていた
孤独死は、今や10万人超と言われている。

副編集長の話
「まだここだけの話ということで〈安楽死特区〉構想についてざっくり
説明しますね。国家は、安楽死法案を通そうと目論んでいますよ。なぜなら、
社会保障費で国が潰れそうだからです。しかし国民皆保険はどうしても
維持したい。それならば、長生きしたくない人に早く死んでもらった
ほうがいい、そう考えています。
だから本格的に法制化を議論する前に、今現在、病気に苦しむ、もう
これ以上生きていたくないという人を若干名募集し、実験的に都内に
〈安楽死特区〉を作ろうと。

来年早々、特区構想は実現化します。そうでもしなきゃ、東京オリンピック
の財政的な失敗を未だ国も都も尻拭い出来ずにいる今、日本は社会保障費で
崩壊しかねない。これ以上は消費税も上げられないですし、だからといって
法人税を上げる気は、与党には毛頭ないですからね。国民皆保険制度撤廃
では選挙に勝てない。だから、あ・ん・ら・く・し。これが社会保障費
削減の本丸になったんですよ」            2につづく

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小説 安楽死特区 (2)

2020-07-20 17:32:17 | ③好きな歌と句と詩とことばと
そう、その時は反対でも、なんとなく決めてしまえば、反対したこと
自体を早々に忘れるのが人間というもの。この国でずっと膠着(こうちゃく)
状態のままだった安楽死法案だって、間もなくそうなるだろう。
平成の世であれだけ反対していた国会議員や医者たちは一体なんだったのだ?
もうすぐ日本人全員が首を傾げるはずだ。喉元過ぎれば熱さを忘れすぎる
のが、この国の最悪なところであり、いいところでもある。

(ニュースキャスターから政治の世界に移り、国会議員や都知事をやってきた
 池端貴子が安楽死第一号として名乗り出る)

一番最初に池端貴子が安楽死宣言をするとは・・・・・・。
ニュースキャスター時代から、いつも新しいことを言い出し、その都度
国民の関心を集め、拍手と称賛を浴びて生きてきた女。そして、ややこしい
事態とわかると不意にそこから梯子(はしご)を外すようにしてはずれ、
さらに新しいものに飛びつき、再び称賛を求める。    

政府は、多死社会、超高齢化社会からの脱却案を見い出せずにいるが、
我が国の社会保障問題、さらには終末期医療を巡るさまざまな問題に
対しての解決策の一案として、東京オリンピック以降活気を失くした
中央区銀座のホテル及び、築地再開発地区にありゴーストタウンと
化した一部のタワーマンションを国と東京都が買い取って〈安楽死特区〉
を立ち上げることを正式に発表した。

その後、〈安楽死特区〉は問題だらけであることが発覚する。
そして池端貴子は事件により亡くなるが、亡くなる前日に
次のことをこっそり話していた。

「国と東京都が、この〈安楽死特区〉を作った、もうひとつの目的です。
〈安楽死特区〉には、今、認知症の人も少なからず入居されています。
終末期ではない認知症の人を、「回復の望みがない」「耐えられない精神的
な痛みを伴う」ことを前提に、〈安楽死特区〉への受け入れを国が認可
したのは、なぜだと思いますか。それは、おひとりさま(家族のいない)
認知症の人の財産を狙ってのことだと、池端さんは私に打ち明けました。
認知症患者が保有する金融財産は、今や200兆円もあり、我が国の
家計金融資産全体の1割にあたります。内、おひとりさまの認知症の人が
保有する金融資産はその半分近いのです。おひとりさま認知症の人の
お金が、社会に回らないままでいるのは、この国の大きな損失である、
だから国は、孤独担当大臣を作ったのだ。
孤独死対策の本当の狙いはそっちにある」

安楽死を選ばなくとも、あなたらしい最期をもう一度、考えてください。
この国は、命と経済を天秤にかけて〈安楽死特区〉を作ったのです。
そんな場所で死ぬことが、本当に自分らしい最期だといえますか。
                         (引用ここまで)



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ふたご

2020-07-06 17:14:13 | ③好きな歌と句と詩とことばと
図書館が使えるようになり、藤崎彩織著『ふたご』を読む。
以前、この小説を予約したのはベストセラーになっていたのと、
私の歌集『ふたりご』に似ていたので親近感を覚えたからだ。
作者のことは全く知らなかった。
読み始めて次の言葉にくぎ付けになった。

 自分が誰かの特別になりたくて仕方がないことを、
 私は「悲しい」と呼んでいた。
 誰かに必要とされたくて、誰かに大切に想われたくて、
 私は泣いた・・・・・・。
 
 十四歳の夏のことだった。        (引用ここまで)

同じ中学に通う月島と夏子は、月島が「ふたごのようだ」というくらい
分かりあえる言葉を持っている。
だが、月島のハチャメチャな行動に夏子は振り回されていく。
この先もずっと。
それでも夏子は「いやだ」と言えない。
彼が望むことに最大限努力してしまうし、そのことで傷つき苦しむ。
読んでいて歯がゆいし、痛々しくなるほどだ。
彼との関係を切ることだってできるのに、と読みながら
何度思ったかしれない。
月島が彼女に求めているのは愛情なのだろうか、
それとも母性のようなものか。


私は母親にたっぷり愛された記憶がない。
それでなのかは分からないが、若い頃は誰かのために何かをしたい、
誰かのために尽くしたいという意識が人一倍強かった。
相手に「違う」と言えない、相手に「NO」と言えない。
いつも相手からどう思われているのか気になる。
他者を通してしか自分の存在意義が見出せない。
つまり自己肯定感が低いのだ。

こういう人間は厄介な人間と関わりがちだ。
「この人のことを分かってあげられるのは、私しかいない」と思い込む。
すると相手は、初めて自分の自由にできるおもちゃを手に入れたように、
「こいつには何を言っても、何をしても許される」と勘違いし、増長する。

自分が何がしたいのか、どうしたいのか、もっと主体的に考えて生き、
自分を大切にしないと、人からも大切にされない、このことに気づいたのは、
高齢者になってからだ。
藤崎さんの感情を抑えた論理的な文章に、そんな自分を重ね合わせていた。


藤崎さんが「SEKAI NO OWARI」というバンドで、
ピアノを担当していると後で知った。
YouTubeのライブ映像を観ると、まるでディズニーランドに行ったような
華やかさで、楽しい。
彼女は一本芯が通っていて、自信に満ちているように見えた。
Fukaseさんは、彼女とほぼ同世代とは思えないくらい
あどけない顔をしていた。
それより前の「幻の命」というミュージックビデオを観ると、
彼は壊れてしまいそうなくらい、壊してしまうそうなくらい、
ピュアは青年に見えた。

「SOS」 美しい曲です。
      ↓
https://www.youtube.com/watch?v=NYbZ4nR0g38

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