チェルノブイリ・ハート(2003年アメリカのドキュメンタリー映画)を観る。
監督・制作はマリアン・デレオ。
2012年、日本でDVD化するにあたり、マリアン・デレオは冒頭で次のことばを贈っている。
日本のみなさまへ
私の映画をご覧いただく前に
一編の詩をみなさまに捧げたいと思います
トルコ生まれの詩人
ナジム・ヒクメット(1902~63)による
「生きることについて」
1
生きることは笑い事ではない
あなたは大真面目に生きなくてはならない
たとえば 生きること以外に何も求めないリスのように
生きることを自分の職業にしなくてはいけない
生きることは笑い事ではない
あなたはそれを大真面目にとらえなくてはならない
大真面目とは
生きることがいちばんリアルで美しいとわかっているくせに
他人のために死ねるくらいの
深い真面目さのことだ
真面目に生きるとはこういうことだ
たとえば 人は70歳になってもオリーブの苗を植える
しかしそれは 子どもたちのためでもない
つまり 死を怖れようが信じまいが
生きることが重大だからだ
2
この地球はやがて冷たくなる
星々の中のひとつでしかも最も小さい星 地球
青いビロードの上に光り輝く一粒の塵
それがつまり
我らの偉大な星 地球だ
この地球はいつの日か冷たくなる
氷塊のようにではなく
まして死んだ雲のようにでもなく
クルミの殻のようにころころと転がるだろう
漆黒の宇宙空間へ
そのことをいま 嘆かなくてはいけない
その悲しみをいま 感じなくてはいけない
あなたが 「自分は生きた」というつもりなら
このくらい世界は愛されなくてはいけない
-ナジム・ヒクメットー
1986年4月26日、ソビエト連邦(現在のウクライナ共和国)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で
爆発が起き、190トンの放射性ウラニウムと放射性黒鉛を空気中に拡散させた。
のべ60万人のリクビダートル(清掃人)が駆り出され、大量の放射能を浴び、その後に
1300人以上のリクビダートルが亡くなった。
避難民の総数は40万人を超え、汚染地区内では2000以上の集落が廃村となった。
900万人もの生活を奪った。その半数が5歳以下の子どもたちです。
放射性降下物は、ウクライナ・白ロシア(ベラルーシ)・ロシアに拡がっていった。
(チェルノブイリから8000キロ離れた日本でも、放射性物質が確認された。
当時は子どもが小さかったので、洗濯物を外に干すのが怖かった)
チェルノブイリの住民は、広島原爆の90倍もの放射能を体に受けている。
ひときわ大きな被害を受けているのは、子どもたちである。
ベラルーシ共和国・ミンスク市には、世界最大の甲状腺治療専門病院があり、
治療のための手術が行われている。だが子どもたちには病名は知らせていない。
現在も汚染された地域には多くの住民が住む。
チェルノブイリから200キロ範囲内の汚染地域では、ベラルーシ放射線学研究所の
科学者2人が、高校生たちの体内にあるセシウム137のレベルを計測していた。
1人の高校生を調べたところ、1キロあたり137ベクレルが検出された。
主な感染源は、キノコ・シカ類・野イチゴ・魚などである。
この高校生は、汚染されたキノコと野イチゴのジャムを食べていた。
放射能は人体の免疫システムと遺伝子に悪影響を与える。
ありとあらゆる心臓病やガンが発生する可能性がある。だが汚染された地域に住み続けるのは
なぜだろう。住民の一人は、次のように語っている。
「生まれ育った故郷を捨てるのは嫌ですね。
我々の魂がしみ込んだ土地です。見知らぬ場所に引っ越すのはつらい。
だいいち、ベラルーシ国内でも、外国でも、仕事を変わるのは大変ですよ」
この住民は、汚染のレベルが低いということで、国からの支援を打ち切られている。
そして娘のターニャ(13歳)は、重度の心臓疾患を抱えていた。
この映画のタイトル「チェルノブイリ・ハート」は、ウクライナ人の心臓疾患を指している。
ターニャの心臓には、生まれつき二つの穴が開いている。
だが病院では、手術は不能と言われていた。
2002年、「チェルノブイリ子どもプロジェクト」は、恵まれない子どもたちに
人道・医療支援を提供すべく、ベラルーシ共和国を訪れていた。
アメリカの医師14名によるボランティア手術チームがミンスクを訪れ、
最重篤な子どもたちの心臓手術を行った。
ターニャも、右心室と左心室の穴を塞ぐ手術を受けることができた。
ゴアテックスでできたパッチを貼る手術だが、医師の平均月給が100ドル以下なのに対して、
パッチは1枚300ドルする。手術を受けたくても受けられないのが現状だ。
今回、ノヴァック医師のチームは、13人の子どもたちの手術を行った。
だが、年間300人の子どもたちが、心臓手術を必要としている。
順番待ちのこどもたちの大多数が、2年から5年の間に亡くなる。
アメリカの医師団の一人が、次のように語っている。
「見ての通りどう受け止めてよいのやら 当惑しています
私は職業を全うしただけ むしろ私のほうが彼らに感謝している
何といおうか 彼らにとってはちょっとした「奇跡」だが
私にすれば普段やっているのと同じ仕事だ こんなに感謝されると
どうこたえたらよいのか 困ります
なぜなら 私たちはこの子たちの将来に 責任を感じてますからね
後年この活動の経験で自分も変わるでしょう
でも子どもたちはきっと治る」
(日本は発展途上国に原子力発電所を輸出しようとしているが、将来、事故が起きても手術を
受けられない子どもたちのいることを、安倍首相はじめ政治家は考えたことがあるだろうか。
3・11が起きるまで、私たちは原発について余り知らされていなかった。
政府は発展途上国の人々に、危険性も含めて原発についてど
れだけ知らせるつもりなのだろうか)
国連の推計によると、汚染地区には いまなお600万人近くが居住を続けている。
1986年チェルノブイリ原子炉爆発事故は 放射性物質を含む雲を
ウクライナ北部からベラルーシ ロシアに拡散させた。
基準値をはるかに超える量の放射線量が 遠くスウェーデン・アイルランド・
ギリシャ・アラスカでも検出された。
現在ベラルーシの国土の99%は 放射能に汚染されている。
(全てのデータの数値は、この映画で使われているものです)
最後にマリアン・デレオは、私たちにメッセージを贈っている。(省略)
※この映画は、2004年のアカデミー短編ドキュメンタリー映画賞を受賞しました。
また、2006年4月28日には国連総会で上映されました。
ブックマークに入れましたので、興味のある方はブログの一番右下にある
「チェルノブイリ・ハート」をクリックしてください。
追記1
ジョン・F・ケネディーの次の言葉は、言い得て妙である。
我々は糸でぶら下がった核の下にいる
事故・誤算・狂気がその糸を切断する
(2014年9月4日 記)
監督・制作はマリアン・デレオ。
2012年、日本でDVD化するにあたり、マリアン・デレオは冒頭で次のことばを贈っている。
日本のみなさまへ
私の映画をご覧いただく前に
一編の詩をみなさまに捧げたいと思います
トルコ生まれの詩人
ナジム・ヒクメット(1902~63)による
「生きることについて」
1
生きることは笑い事ではない
あなたは大真面目に生きなくてはならない
たとえば 生きること以外に何も求めないリスのように
生きることを自分の職業にしなくてはいけない
生きることは笑い事ではない
あなたはそれを大真面目にとらえなくてはならない
大真面目とは
生きることがいちばんリアルで美しいとわかっているくせに
他人のために死ねるくらいの
深い真面目さのことだ
真面目に生きるとはこういうことだ
たとえば 人は70歳になってもオリーブの苗を植える
しかしそれは 子どもたちのためでもない
つまり 死を怖れようが信じまいが
生きることが重大だからだ
2
この地球はやがて冷たくなる
星々の中のひとつでしかも最も小さい星 地球
青いビロードの上に光り輝く一粒の塵
それがつまり
我らの偉大な星 地球だ
この地球はいつの日か冷たくなる
氷塊のようにではなく
まして死んだ雲のようにでもなく
クルミの殻のようにころころと転がるだろう
漆黒の宇宙空間へ
そのことをいま 嘆かなくてはいけない
その悲しみをいま 感じなくてはいけない
あなたが 「自分は生きた」というつもりなら
このくらい世界は愛されなくてはいけない
-ナジム・ヒクメットー
1986年4月26日、ソビエト連邦(現在のウクライナ共和国)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で
爆発が起き、190トンの放射性ウラニウムと放射性黒鉛を空気中に拡散させた。
のべ60万人のリクビダートル(清掃人)が駆り出され、大量の放射能を浴び、その後に
1300人以上のリクビダートルが亡くなった。
避難民の総数は40万人を超え、汚染地区内では2000以上の集落が廃村となった。
900万人もの生活を奪った。その半数が5歳以下の子どもたちです。
放射性降下物は、ウクライナ・白ロシア(ベラルーシ)・ロシアに拡がっていった。
(チェルノブイリから8000キロ離れた日本でも、放射性物質が確認された。
当時は子どもが小さかったので、洗濯物を外に干すのが怖かった)
チェルノブイリの住民は、広島原爆の90倍もの放射能を体に受けている。
ひときわ大きな被害を受けているのは、子どもたちである。
ベラルーシ共和国・ミンスク市には、世界最大の甲状腺治療専門病院があり、
治療のための手術が行われている。だが子どもたちには病名は知らせていない。
現在も汚染された地域には多くの住民が住む。
チェルノブイリから200キロ範囲内の汚染地域では、ベラルーシ放射線学研究所の
科学者2人が、高校生たちの体内にあるセシウム137のレベルを計測していた。
1人の高校生を調べたところ、1キロあたり137ベクレルが検出された。
主な感染源は、キノコ・シカ類・野イチゴ・魚などである。
この高校生は、汚染されたキノコと野イチゴのジャムを食べていた。
放射能は人体の免疫システムと遺伝子に悪影響を与える。
ありとあらゆる心臓病やガンが発生する可能性がある。だが汚染された地域に住み続けるのは
なぜだろう。住民の一人は、次のように語っている。
「生まれ育った故郷を捨てるのは嫌ですね。
我々の魂がしみ込んだ土地です。見知らぬ場所に引っ越すのはつらい。
だいいち、ベラルーシ国内でも、外国でも、仕事を変わるのは大変ですよ」
この住民は、汚染のレベルが低いということで、国からの支援を打ち切られている。
そして娘のターニャ(13歳)は、重度の心臓疾患を抱えていた。
この映画のタイトル「チェルノブイリ・ハート」は、ウクライナ人の心臓疾患を指している。
ターニャの心臓には、生まれつき二つの穴が開いている。
だが病院では、手術は不能と言われていた。
2002年、「チェルノブイリ子どもプロジェクト」は、恵まれない子どもたちに
人道・医療支援を提供すべく、ベラルーシ共和国を訪れていた。
アメリカの医師14名によるボランティア手術チームがミンスクを訪れ、
最重篤な子どもたちの心臓手術を行った。
ターニャも、右心室と左心室の穴を塞ぐ手術を受けることができた。
ゴアテックスでできたパッチを貼る手術だが、医師の平均月給が100ドル以下なのに対して、
パッチは1枚300ドルする。手術を受けたくても受けられないのが現状だ。
今回、ノヴァック医師のチームは、13人の子どもたちの手術を行った。
だが、年間300人の子どもたちが、心臓手術を必要としている。
順番待ちのこどもたちの大多数が、2年から5年の間に亡くなる。
アメリカの医師団の一人が、次のように語っている。
「見ての通りどう受け止めてよいのやら 当惑しています
私は職業を全うしただけ むしろ私のほうが彼らに感謝している
何といおうか 彼らにとってはちょっとした「奇跡」だが
私にすれば普段やっているのと同じ仕事だ こんなに感謝されると
どうこたえたらよいのか 困ります
なぜなら 私たちはこの子たちの将来に 責任を感じてますからね
後年この活動の経験で自分も変わるでしょう
でも子どもたちはきっと治る」
(日本は発展途上国に原子力発電所を輸出しようとしているが、将来、事故が起きても手術を
受けられない子どもたちのいることを、安倍首相はじめ政治家は考えたことがあるだろうか。
3・11が起きるまで、私たちは原発について余り知らされていなかった。
政府は発展途上国の人々に、危険性も含めて原発についてど
れだけ知らせるつもりなのだろうか)
国連の推計によると、汚染地区には いまなお600万人近くが居住を続けている。
1986年チェルノブイリ原子炉爆発事故は 放射性物質を含む雲を
ウクライナ北部からベラルーシ ロシアに拡散させた。
基準値をはるかに超える量の放射線量が 遠くスウェーデン・アイルランド・
ギリシャ・アラスカでも検出された。
現在ベラルーシの国土の99%は 放射能に汚染されている。
(全てのデータの数値は、この映画で使われているものです)
最後にマリアン・デレオは、私たちにメッセージを贈っている。(省略)
※この映画は、2004年のアカデミー短編ドキュメンタリー映画賞を受賞しました。
また、2006年4月28日には国連総会で上映されました。
ブックマークに入れましたので、興味のある方はブログの一番右下にある
「チェルノブイリ・ハート」をクリックしてください。
追記1
ジョン・F・ケネディーの次の言葉は、言い得て妙である。
我々は糸でぶら下がった核の下にいる
事故・誤算・狂気がその糸を切断する
(2014年9月4日 記)