追記5
『宰相A』を読み終えた。
『宰相A』はもちろん独裁者である。この独裁者に捕まった作家Tの運命は?
この小説を読みながら、私は映画『1984』を思い出していた。
『1984』は、ジョージ・オーウェルの小説がもとになっている。
オーウェルはこの小説を1949年に書いた。(当時としては十分、近未来である。)
そして1984年にイギリスで映画が作られた。(何ともユーモアがある。)
映画では『ビッグ・ブラザー』という独裁者が、全体主義を布(し)いている。
恋愛も許されない管理社会である。
全体主義に反対する主人公は捕まり、いろいろな手段で洗脳されていく。
洗脳する一番有効な方法はなにか。それは恐怖を与えることである。
主人公はゴキブリに怖れを抱いている。どうも妹がゴキブリに危害を加えられたらしい。
電流を流しても、何をしても洗脳されない主人公に対し、最後の手段として取られたのは
ゴキブリが五万といる部屋に監禁し続けることだった。
ゴキブリ部屋から出てきた主人公は虚ろな表情だ。
だが集会では嬉々として、「ビッグ・ブラザー」「ビッグ・ブラザー」と
大声で連呼するのだ。
『宰相A』の作家Tは次の言葉で洗脳を迫られる。
「なぜ自分、などと考えなければならない?なぜ自分などという狭苦しい容器に入って
いなければならない?現にお前と同じ芸術家たちは我が国において、自分という貧弱な
価値観から抜け出し、国家に認められて、お前も言ったではないか、承認、を得て、創作
に全熱情を注いでいる。国家に尽し、純然たる日本国民としての承認を得る、アメリカと
我が国が協力して世界規模で行っている平和主義的戦争に資する、これ以上の喜びなどな
いのだと、なぜ気づかない?なぜ気づかないフリをする?」
作家Tは電流を何度も浴びるなどの拷問を受ける。その合間に、大スクリーンに映し出される
巨大な首相の顔、たるんだ皮膚、脂だけはたっぷり宿している顔を何度も
見せつけられるのだ。その後、Tはどうなったか。
「何か全く別の土地から日本に流れ着いたTが、日本軍に身柄を不当に拘束され
拷問を受けた・・・。なんでもTは、国家のための文芸表現という、全ての作家が
心得なくてはならない平和的、民主的創作態度を初めから放棄し、自らの欲求を満たす
目的で小説を書こうとした、だが発生した居住区暴動とその鎮圧に巻き込まれ、前述した
拷問を受け、人間として正常でなくなった、性的な能力も失われた、その過程の一部始終を
記した作品を残した筈だ、拷問によって記憶を断たれたTは、機械的に当局に
都合のよいものしか書かない御用作家になった・・・」
Tの弁
「旧日本人時代のTの原稿などどこにもないことは明白である。・・・そのような反国家的
作品はいまだかつて日本で書かれたことはない。書かれるわけがない。言論とはそのような
汚辱にまみれたものではない。重ねて申し上げる。そのような原稿はない。
存在理由もない。だから誰も目にしたことはない。
また私が拷問にかけられて正常でなくなったというのも
幻想でしかない。・・・私はいま、完全に自由なのだ。作家として望み得る限りの最上の
自由を手に入れたのだ。国の認可を受けて国のために作品を書く、これ以上の自由を
私は想像できない。我が国がアメリカとの対等な協力関係の許で進めている
戦争主義的世界的平和主義における戦争において一掃を目差している、反人類的非地球的
独裁国家並びにその影響下にある非人道的勢力は、芸術家に国の認可を与えずに創作活動を
許している。・・・国家の存立に寄与しない芸術など芸術ではなく、永久に自由とは無縁の
自己顕示に過ぎない」 (引用ここまで)
特定秘密保護法が閣議決定された時に、こんなちっぽけなブログをやっている私でさえ、
これからは今までのようには書けないのではないかと、本気で悩んだ。
罰則があるということは、関係のない人間でも萎縮し、自主規制してしまうものなのだ。
それが政権の狙いであり、ほぼその通りになってきていると思う。
田中慎弥さんの作家としての感受性からして、私とは比べようもないくらいの
危機感があったことは推察がつく。
近くの本屋の平積みを探したが、『宰相A』は無かった。
棚にひっそり一冊だけ置かれていた。
ジョージ・オーウェルは『1984』を、35年後のこととして書いた。
35年後に『宰相A』は、どう読まれているのだろう。
追記6
2015年5月23日、アメリカの天才数学者「ジョン・ナッシュ」が亡くなりました。
彼は統合失調症の病を持ちつつ研究を進め、ノーベル賞を受賞しています。
彼の半生を描いた映画「ビューティフル・マインド」を今、観終えました。
もう、素晴らしいのひと言です。
この中にも「ビッグ・ブラザー」という言葉が出てきますが、「政府」と
ルビが振ってありました。
(2015年7月3日 記)
追記7
11月14日に産経新聞に、翌15日には讀賣新聞に掲載された岸井成格さんへの
意見広告が、上に書きました映画、『1984』のビッグ・ブラザーの
レイアウトに似ていると話題になっています。両者を載せましたのでご覧ください。
(2015年11月30日 記)
『宰相A』を読み終えた。
『宰相A』はもちろん独裁者である。この独裁者に捕まった作家Tの運命は?
この小説を読みながら、私は映画『1984』を思い出していた。
『1984』は、ジョージ・オーウェルの小説がもとになっている。
オーウェルはこの小説を1949年に書いた。(当時としては十分、近未来である。)
そして1984年にイギリスで映画が作られた。(何ともユーモアがある。)
映画では『ビッグ・ブラザー』という独裁者が、全体主義を布(し)いている。
恋愛も許されない管理社会である。
全体主義に反対する主人公は捕まり、いろいろな手段で洗脳されていく。
洗脳する一番有効な方法はなにか。それは恐怖を与えることである。
主人公はゴキブリに怖れを抱いている。どうも妹がゴキブリに危害を加えられたらしい。
電流を流しても、何をしても洗脳されない主人公に対し、最後の手段として取られたのは
ゴキブリが五万といる部屋に監禁し続けることだった。
ゴキブリ部屋から出てきた主人公は虚ろな表情だ。
だが集会では嬉々として、「ビッグ・ブラザー」「ビッグ・ブラザー」と
大声で連呼するのだ。
『宰相A』の作家Tは次の言葉で洗脳を迫られる。
「なぜ自分、などと考えなければならない?なぜ自分などという狭苦しい容器に入って
いなければならない?現にお前と同じ芸術家たちは我が国において、自分という貧弱な
価値観から抜け出し、国家に認められて、お前も言ったではないか、承認、を得て、創作
に全熱情を注いでいる。国家に尽し、純然たる日本国民としての承認を得る、アメリカと
我が国が協力して世界規模で行っている平和主義的戦争に資する、これ以上の喜びなどな
いのだと、なぜ気づかない?なぜ気づかないフリをする?」
作家Tは電流を何度も浴びるなどの拷問を受ける。その合間に、大スクリーンに映し出される
巨大な首相の顔、たるんだ皮膚、脂だけはたっぷり宿している顔を何度も
見せつけられるのだ。その後、Tはどうなったか。
「何か全く別の土地から日本に流れ着いたTが、日本軍に身柄を不当に拘束され
拷問を受けた・・・。なんでもTは、国家のための文芸表現という、全ての作家が
心得なくてはならない平和的、民主的創作態度を初めから放棄し、自らの欲求を満たす
目的で小説を書こうとした、だが発生した居住区暴動とその鎮圧に巻き込まれ、前述した
拷問を受け、人間として正常でなくなった、性的な能力も失われた、その過程の一部始終を
記した作品を残した筈だ、拷問によって記憶を断たれたTは、機械的に当局に
都合のよいものしか書かない御用作家になった・・・」
Tの弁
「旧日本人時代のTの原稿などどこにもないことは明白である。・・・そのような反国家的
作品はいまだかつて日本で書かれたことはない。書かれるわけがない。言論とはそのような
汚辱にまみれたものではない。重ねて申し上げる。そのような原稿はない。
存在理由もない。だから誰も目にしたことはない。
また私が拷問にかけられて正常でなくなったというのも
幻想でしかない。・・・私はいま、完全に自由なのだ。作家として望み得る限りの最上の
自由を手に入れたのだ。国の認可を受けて国のために作品を書く、これ以上の自由を
私は想像できない。我が国がアメリカとの対等な協力関係の許で進めている
戦争主義的世界的平和主義における戦争において一掃を目差している、反人類的非地球的
独裁国家並びにその影響下にある非人道的勢力は、芸術家に国の認可を与えずに創作活動を
許している。・・・国家の存立に寄与しない芸術など芸術ではなく、永久に自由とは無縁の
自己顕示に過ぎない」 (引用ここまで)
特定秘密保護法が閣議決定された時に、こんなちっぽけなブログをやっている私でさえ、
これからは今までのようには書けないのではないかと、本気で悩んだ。
罰則があるということは、関係のない人間でも萎縮し、自主規制してしまうものなのだ。
それが政権の狙いであり、ほぼその通りになってきていると思う。
田中慎弥さんの作家としての感受性からして、私とは比べようもないくらいの
危機感があったことは推察がつく。
近くの本屋の平積みを探したが、『宰相A』は無かった。
棚にひっそり一冊だけ置かれていた。
ジョージ・オーウェルは『1984』を、35年後のこととして書いた。
35年後に『宰相A』は、どう読まれているのだろう。
追記6
2015年5月23日、アメリカの天才数学者「ジョン・ナッシュ」が亡くなりました。
彼は統合失調症の病を持ちつつ研究を進め、ノーベル賞を受賞しています。
彼の半生を描いた映画「ビューティフル・マインド」を今、観終えました。
もう、素晴らしいのひと言です。
この中にも「ビッグ・ブラザー」という言葉が出てきますが、「政府」と
ルビが振ってありました。
(2015年7月3日 記)
追記7
11月14日に産経新聞に、翌15日には讀賣新聞に掲載された岸井成格さんへの
意見広告が、上に書きました映画、『1984』のビッグ・ブラザーの
レイアウトに似ていると話題になっています。両者を載せましたのでご覧ください。
(2015年11月30日 記)