高橋順子著『夫・車谷長吉』(くるまたに・ちょうきつ)を読む。
妻は詩人で夫は小説家、お互いに50歳近くになってからの結婚である。
出会いは5年ほど前の、長吉からの絵手紙に始まる。
その後、出家するという長吉を引き止めるために順子は手紙を書く。
「この期におよんで、あなたのことを好きになってしまいました」
長吉のふところに飛び込むのは怖かった。私は窮鳥ではなかったが、
「窮鳥ふところに入れば猟師もこれを撃たず」ということわざが
あるではないか。
長吉からは、「もし、こなな男でよければ、どうかこの世のみちづれにして下され」
という手紙がくる。
こうして彼は出家を断念して、二人は結婚することになる。
長吉は時々心臓発作を起こし、強迫神経症を抱える。
どんな結婚生活なのだろう。
お互いの作品の最初の読者は長吉であり、順子である。
そして誰よりお互いの作品を理解しているのも、長吉であり順子であった。
そのことを順子は次のように書いている。
「作品を見せあうことは別に約束したことではない。でもそれは私たちの
いちばん大切な時間になった。原稿が汚れないように新聞紙を敷くことも、
二十年来変わらなかった、相手が読んでいる間中、かしこまって側にいるのだった。
緊張して、うれしく、怖いような生の時間だった。
いまは至福の時間だったといえる。」
長吉のユーモアや愛らしさが感じられる逸話が楽しい。
特に「目もとうるおいパック」なるものを二人でしている場面を想像して、
大いに笑ってしまった。
また順子は、「結婚生活は修行のようでした」と書いている。
作品を生み出すということは、肉を削ぎ、血を流すほどの過酷なもののようだ。
遺品を整理して見つかったという長吉の手紙には、次のように書かれていた。
「去年は、正月明けに、まず失職の不安が身近に感じられるようなことがありました。
その不安から、次ぎ次ぎに原稿を書き続け、それが心臓発作を呼び込み、
さらに不安を深くしました。私は別に腹がすわっているわけではありません。
あと数篇、どうあってもこれを書きたい、と思うことがあるばかりです。
このまま原稿を書き続け、より衰弱するか、さりとて、書きたいことを書かないうちに、
書けなくなってしまうのも辛いし。命は一つしかありません。
いや、原稿こそが私の命だ、という思いがあります。
原稿は、己れの命と引き換えです。いや、何よりも、私は文学の
医す力なしには、生きて来れなかったし、これからも生きて行けません。
文学というものは、恐ろしいものです。世捨て、とか、はみ出す、とか、どうしても
そういう方向へ自分を押し流してしまいます。押し流されてしまいます。」
前田富士男さんという人は、「作家と詩人は狂気を養うところがちがうので、
いっしょにいられるのだろう」とおっしゃる。
それにしても長吉を受け容れる順子の生活は、私の想像を遥かに超えている。
自分に正直に生きることは素晴らしいが、それを貫くことで周りに不協和音が
生ずることもあるようだ。
これまでの水道料金4千円が1万5千円へと跳ね上がってしまうほどの
長吉の強迫神経症について、順子は詩に書いている。
ふるえながら水を
男が水を流している ふるえながら 深夜
流している
水を流すのは 男の意志である
意志ではあるが 水に切れ目を付けることができないので
水の意志に従わされているともいえる
男は穢れたものを洗っているのである
落ちない 落ちない 落ちない
女の目には見えない穢れである
見えないものは
恐怖である
水の音は恐怖の音である
幻覚にとらわれた男に
とらわれてしまった
ということは
女の幻覚ではない
男は手を洗っている
幻覚を洗っている
洗いきれない
いつまで いつまで洗うのだろうか
「動かないで!」
女が動くと すべてまた 一からやり直さなければならない
女は身をちぢめ
しかし出口へと跳躍する筋肉と神経を
覚ましつづけながら
坐っている
男の目が世界の穢れとしての女を見る
「あああ動いてしまった!」
ふたたび水だ
ふたたび
男が強迫神経症になったので
暮しは 水びたしである
この家も 出なければならないのだろうか
だが 今度は ひとりずつだ
大甕よ
結婚の甕よ
しずかに割れておくれ
沈丁花よ
朝までに 枯れておくれ
だが 朝は来るのだろうか
順子は次のようにも書いている
「私は長吉の狂気の原因の一つであり、治癒の条件の一つである」
そして「長吉は忘れない人だった。忘れないことは苦しいことである」
「赤目四十八瀧心中未遂」は書き終えるのに6年かかったそうである。
長吉は「赤目を書き上げたときから精子が出なくなった。ということは
あれがおれの子どもだったのだな」と突然ひとりごつ。 (引用ここまで)
荒戸源次郎監督も、この映画を作るのに6年かかったそうだ。
軽々に批判した自分を恥じた。 (敬称略)
妻は詩人で夫は小説家、お互いに50歳近くになってからの結婚である。
出会いは5年ほど前の、長吉からの絵手紙に始まる。
その後、出家するという長吉を引き止めるために順子は手紙を書く。
「この期におよんで、あなたのことを好きになってしまいました」
長吉のふところに飛び込むのは怖かった。私は窮鳥ではなかったが、
「窮鳥ふところに入れば猟師もこれを撃たず」ということわざが
あるではないか。
長吉からは、「もし、こなな男でよければ、どうかこの世のみちづれにして下され」
という手紙がくる。
こうして彼は出家を断念して、二人は結婚することになる。
長吉は時々心臓発作を起こし、強迫神経症を抱える。
どんな結婚生活なのだろう。
お互いの作品の最初の読者は長吉であり、順子である。
そして誰よりお互いの作品を理解しているのも、長吉であり順子であった。
そのことを順子は次のように書いている。
「作品を見せあうことは別に約束したことではない。でもそれは私たちの
いちばん大切な時間になった。原稿が汚れないように新聞紙を敷くことも、
二十年来変わらなかった、相手が読んでいる間中、かしこまって側にいるのだった。
緊張して、うれしく、怖いような生の時間だった。
いまは至福の時間だったといえる。」
長吉のユーモアや愛らしさが感じられる逸話が楽しい。
特に「目もとうるおいパック」なるものを二人でしている場面を想像して、
大いに笑ってしまった。
また順子は、「結婚生活は修行のようでした」と書いている。
作品を生み出すということは、肉を削ぎ、血を流すほどの過酷なもののようだ。
遺品を整理して見つかったという長吉の手紙には、次のように書かれていた。
「去年は、正月明けに、まず失職の不安が身近に感じられるようなことがありました。
その不安から、次ぎ次ぎに原稿を書き続け、それが心臓発作を呼び込み、
さらに不安を深くしました。私は別に腹がすわっているわけではありません。
あと数篇、どうあってもこれを書きたい、と思うことがあるばかりです。
このまま原稿を書き続け、より衰弱するか、さりとて、書きたいことを書かないうちに、
書けなくなってしまうのも辛いし。命は一つしかありません。
いや、原稿こそが私の命だ、という思いがあります。
原稿は、己れの命と引き換えです。いや、何よりも、私は文学の
医す力なしには、生きて来れなかったし、これからも生きて行けません。
文学というものは、恐ろしいものです。世捨て、とか、はみ出す、とか、どうしても
そういう方向へ自分を押し流してしまいます。押し流されてしまいます。」
前田富士男さんという人は、「作家と詩人は狂気を養うところがちがうので、
いっしょにいられるのだろう」とおっしゃる。
それにしても長吉を受け容れる順子の生活は、私の想像を遥かに超えている。
自分に正直に生きることは素晴らしいが、それを貫くことで周りに不協和音が
生ずることもあるようだ。
これまでの水道料金4千円が1万5千円へと跳ね上がってしまうほどの
長吉の強迫神経症について、順子は詩に書いている。
ふるえながら水を
男が水を流している ふるえながら 深夜
流している
水を流すのは 男の意志である
意志ではあるが 水に切れ目を付けることができないので
水の意志に従わされているともいえる
男は穢れたものを洗っているのである
落ちない 落ちない 落ちない
女の目には見えない穢れである
見えないものは
恐怖である
水の音は恐怖の音である
幻覚にとらわれた男に
とらわれてしまった
ということは
女の幻覚ではない
男は手を洗っている
幻覚を洗っている
洗いきれない
いつまで いつまで洗うのだろうか
「動かないで!」
女が動くと すべてまた 一からやり直さなければならない
女は身をちぢめ
しかし出口へと跳躍する筋肉と神経を
覚ましつづけながら
坐っている
男の目が世界の穢れとしての女を見る
「あああ動いてしまった!」
ふたたび水だ
ふたたび
男が強迫神経症になったので
暮しは 水びたしである
この家も 出なければならないのだろうか
だが 今度は ひとりずつだ
大甕よ
結婚の甕よ
しずかに割れておくれ
沈丁花よ
朝までに 枯れておくれ
だが 朝は来るのだろうか
順子は次のようにも書いている
「私は長吉の狂気の原因の一つであり、治癒の条件の一つである」
そして「長吉は忘れない人だった。忘れないことは苦しいことである」
「赤目四十八瀧心中未遂」は書き終えるのに6年かかったそうである。
長吉は「赤目を書き上げたときから精子が出なくなった。ということは
あれがおれの子どもだったのだな」と突然ひとりごつ。 (引用ここまで)
荒戸源次郎監督も、この映画を作るのに6年かかったそうだ。
軽々に批判した自分を恥じた。 (敬称略)