今日のうた

思いつくままに書いています

猫を棄てる

2020-09-23 10:34:04 | ③好きな歌と句と詩とことばと
村上春樹著『猫を棄てる 父親について語るとき』を読む。
村上氏と父親との間には確執があったようで、亡くなる少し前までの
20年間は会うことがなかったようだ。
父親のことはいつかまとまったかたちで文章にしなくては、との思いから
この本ができた。

父親との確執を書くことは不本意とのことで、そのことには触れていない。
また父親や母親についての記述は、抑えた文章になっている。
ページ数が少ないこともあってか、風がさぁっと通り過ぎたような
印象を受けた。中村文則著『逃亡者』を読んだ直後のせいもあり、
血がさらさらと流れていったように感じた。

辺見庸氏の『1★9★3★7★』の中にも、父親の戦争体験が載っている。
彼の文章は、血が滞っているように感じる。
以前にブログで取り上げた文章とともに、二人の言葉を引用させて頂きます。

村上春樹氏
①子供の頃、一度彼に尋ねたことがあった。誰のためにお経を
 唱えているのかと。彼は言った。
 前の戦争で死んでいった人たちのためだと。そこで亡くなった
 仲間の兵隊や、当時は敵であった中国人の人たちのためだと。
 父はそれ以上の説明をしなかったし、僕はそれ以上の質問をしなかった。
 おそらくそこには、僕にそれ以上の質問を続けさせない何かがーーー
 場の空気のようなものがーーーあったのだと思う。しかし父自身はそれを
 はばんでいたわけではなかったという気がする。もし尋ねていれば、
 何かを説明してくれたのではあるまいか。でも僕は尋ねなかった。
 おそらくむしろ僕自身の中に、そうすることを阻む何かがあったのだろう。

②いずれにせよその父の回想は、軍刀で人の首がはねられる残忍な光景は、
 言うまでもなく幼い僕の心に強烈に焼きつけられることになった。
 ひとつの情景として、更に言うならひとつの疑似体験として。
 言い換えれば、父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを
 ーーー現代の用語を借りればトラウマをーーー息子である僕が
 部分的に継承したということになるのだろう。
 人の心の繋がりというものはそういうものだし、
 また歴史というのもそういうものなのだ。
 その本質は〈引き継ぐ〉という行為、あるいは儀式の中にある。
 その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、
 人はそれを自らの一部として引き受けなければならない。
 もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるのだろう?

 父は戦場での体験についてほとんど語ることがなかった。
 自らが手を下したことであれ、あるいはただ目撃したことであれ、
 おそらく思い出したくもなく、話したくもなかったのだろう。
 しかしこのことだけは、たとえ双方の心に傷となって残ったとしても、
 何らかの形で、血を分けた息子である僕に言い残し、
 伝えておかなければならないと感じていたのではないか。
 もちろんこれは僕の推測に過ぎないが、そんな気がしてならない。 
 (引用ここまで)

辺見庸氏
①いつだったか、まだ子どものころ、酔った父がとつじょ言ったことが
 ある。静かな告白ではない。
 懺悔でもなかった。野蛮な怒気をふくんだ、かくしようもない、
 かくす気もない言述である。
 この記憶はまだ鮮やかだ。「朝鮮人はダメだ。あいつらは手で
 ぶんなぐってもダメだ。スリッパ(軍隊で「上靴(じょうか)」と
 よばれていた、いかにもおもそうな革製のスリッパ)で
 殴らないとダメなんだ・・・」。
 耳をうたがった。発狂したのかとおもった。
 いまでもわからないのだ。ニッポンという”事象”に伏在する病が、
 父をよくわからなかったように、よくわからない。
 わたしは父の戦争経験を忖度し、非難を抑制してきた。
 しかし、かれが激昂し、スリッパをふりあげてひとを打ちすえている
 図にはとても堪えられなかった。いまも堪えがたい。


②「上靴バッチ」を朝鮮人にたいしてやった父と、それをやったことはない、
 父の長男であるわたしのかんけいとはなんなのだろうか。
 かんけいはないのか。やはり、ある、とおもう。
 わたしが想起したくなくても想起するかぎりにおいて、
 父の歴史とわたしの歴史は交叉せざるをえないのだ。
 ひとが歴史を生きるとはどういうことなのだろうか。
 歴史的時間を生きるとは。
 それは、ニッポンジンでも朝鮮人でも、韓国人でも、自己の生身を
 時間という苦痛にさらし、ひるがえって、時間という苦痛にさらされた
 他者の痛みを想像することではないのか。
 わたしの記憶と父の記憶は、傷んだ筏(いかだ)のように
 繋留されたままである。
 からだに時間の痛みとたわみを感じつつ、自他の「身体史」を
 生きること――それが歴史を生きることなのか。

③父も、ほとんどの初年兵がそうであったように、
 「皇軍」でんとうのシゴキをうけていた。
 ビンタはしょっちゅう。左右の頬を殴打する「往復ビンタ」は日常茶飯事。
 「革帯」(ベルト)をつかうシゴキもあった。二等兵二人を相対させて
 たがいにビンタをはらせる「対抗ビンタ」もあたりまえ。……
 すこしでも手をぬきでもしたら古参兵のリンチをうける。
 兵士らはたがいにたがいをおとしめ、身体的な苦痛と屈辱感を
 味わわせることによってシステマティックにかつ徹底的に
 「個」と「私」をうばいつくし壊しつくした。
 殴られる被害者は、じゅんぐりに殴る加害者になっていった。
 きちんとそれを継承し踏襲した。そこに論理はなかった。

 「ぼくという人間の基本的権利はいっさい消滅した」という
 父の文をわたしはうたがわない。
 「あの戦争はなんだったのだろう……」とひとりごち、昭和天皇に
 問うてみたいという父の心情もわからぬではない。
 だが、これはたかのぞみだろうか、かれの自己表白には、この国では
 あまりにもいっぱん的な、だからこそいつまでもひきずる黒い穴のように
 無神経な欠如があるとおもうのだ。それは、みずからを
 「加害者」ではなく、「被害者」の群れのなかに、ほとんど
 ためらいもなく立たせてしまう作用をはたす、意識の欠落である。  
 (引用ここまで)

※私のブログ『1★9★3★7★(イクミナ)』①~④
        ↓
https://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/8fa6ec4795f78412a95d743568d18710



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若者の7年8カ月(元SEALDsメンバー)

2020-09-19 05:22:00 | ②一市民運動
少し前にWebプラウザーを替えた。
そうなると字数が違ってきて、文字が次の行にはみ出てしまうことがある。
それを修正していると、以前の投稿が目につくようになった。
2015年~2018年にかけては、こんなこともあった、
あんなこともあったと、思い出していた。
今は新型コロナの影響があって仕方のないことかもしれないが、
それだけではなく、あのうねりは何処に行ってしまったのだろう。
SEALDsの人たちは今、どうしているのだろうと気になっていた。

そんな時に9月17日の朝日新聞の〈オピニオン&フォーラム〉に、
元SEALDsメンバーの諏訪原健(たけし)さんの
インタビューが載っていた。

①「(インタビュー)若者の7年8カ月 元SEALDsメンバー・
  諏訪原健さん 9月17日 朝日新聞デジタル」

https://www.asahi.com/articles/DA3S14624791.html

共感した言葉を引用させて頂きます。

安倍政権は民主国家としての最低限のモラルをことごとく壊した政権でした。
憲法解釈の変更で集団的自衛権の限定行使を認めたり、
強行採決を繰り返したり、多数派の声だけで決まることのないよう
配慮すべき国会が機能せず、民主主義の基盤が失われた。

安倍政権は、人がものを言うことをよく思わない政権でした。

自分の境遇を自分で語ることは普遍的なことで、ツールが何かより、
言えるということが大事です。
SEALDsは一人ひとりが名前と顔を出して『私』を主語に街頭で語りました。
一人の個人がつぶやいたことが拡散され、小さい方から大きな方へ
流れをつくることは、今後も増えていくでしょう。

外から語られる『若者』と実態にはギャップがあるし、そんな違和感は
みんな持っているんじゃないかな。
私を主語に、個人がネットワークでつながり、社会にものが言える
ようになってきた感じはあります。


 ーーー第2次安倍政権は、諏訪原さんが20歳になってすぐのころに発足。
    大人になってからずっと安倍政権下で過ごした世代です。

一般化はしにくいですが、僕自身の感覚としては、好景気を実感せずに
育ち、ずっとレールを踏み外さないようにという抑圧に近い
息苦しさを感じてきた。

震災は僕が大学生になる直前。目の前にあるあたりまえの社会で勝ち抜こう
としていたところに、その『あたりまえ』が崩れるような感覚をおぼえた。
デモには警戒心しかなかったけど、大学3年の時に特定秘密保護法について
知った時に、声を上げようと思いました。

僕はひたすら自分の周りの5人くらいに『選挙に行こう』と呼びかけます。
投票が生活と直結していると実感できる人を地道に増やす方が
大事なんじゃないかな。


奨学金を受けない選択はなかった。家庭に経済力がないと教育を受けられない
日本の制度はアンフェアで、個人の問題として片付けるべきではないと
理屈では分かっていた。でも本当は話したくなかったです。
自分自身の話をするのはしんどい。無防備の中で、野ざらしにされて
攻撃を受けるようなきつさがありました。

特につらかったのは、『私は働きながら大学に行った。甘えるな』
といった批判。いわゆる自己責任論で、貧しい者同士がぶつかり合う。
自分のせいなんだから仕方がないじゃん、という考えが染みついている。

でも、政治が変わりさえすれば、社会がすぐに変わるとも思いません。
結局は、個人がどう変わるかに帰着する。

特定秘密保護法が成立した時『日本の民主主義は終わりました』と
口にした人がいましたが、もし終わったとしても、この社会で生きて
いかないといけないのが僕たちです。

いろんな人がいろんな場で、いろんな形で取り組むのが、
実は一番強いのではないかと思っています。
見えにくいんですけどね。
        (引用ここまで)


「政治と宗教の話はタブー」とか、「すべて自己責任」とか、
「甘ったれるな」とか、「人様に迷惑をかけるな」とか、
さまざまな言葉で若者を縛ろうとする人がいる。
確かに楽しいパーティの場で政治や宗教の話はしない方がいいのかも
しれないが、全ての場所でそうだと思い込んでいる人の、何と多いことか!

菅氏は【自助】を真っ先に掲げたが、それだったら政治は要らない。
働いても働いても、あるいは働きたくても働けない人のために
手を差し伸べるのが、政治ではないのか!

「私が若い頃は・・・」と言うおじさんがいたとしよう。
あなたが若い頃に比べて、教育費がべらぼうに上がっているのを
ご存じだろうか。
たとえば、今70歳の私の高校の授業料は、1カ月860円だった。(公立)
1969年の国立大学の授業料は、1カ月1000円。(理科系も)
私立大学は学校により差があるが、年次統計によると
1969年・・・76400円。(年間)
これを今の物価に換算すると・・・306299円。(年間)
30万円では、今はどの私大にも通えないだろう。
単純計算しても、国立大学の授業料は私大の6分の1ほどだった。
今は国立大学も私大も、それほどの違いはないだろう。

物価の上昇分を差し引いても、今の教育費、とりわけ
国立大学の授業料は高すぎる! 
税金を教育に回さなくなったからだろう。
また当時は東京でも3畳~6畳の下宿が4500円~6000円で
借りられた。贅沢を言わなければ、それなりに生活できた。
今はそうした物件がほとんど無くなり、地方から出てきた人が東京で
生活するには、あまりにもお金がかかり過ぎる。
昔出来たことが、今に当てはまるわけではないのだ。

私は50歳で仕事を辞めるまで、ずっと働いてきた。
昼も夜も働いていた時期がある。
こうなると新聞を読む時間も気力もない。
現在、こうした状況にある人は大勢いるのではないだろうか。
政治について考える時間も余裕もない人が増えること、
これは為政者にとって願ってもないことだ。
こうした状況を改善するために政治はあるのだが、
こうした人たちが声を上げられない矛盾。

また時間も余裕もあるのだが、政治なんて難しくて分かんない、
そんな面倒くさいことは偉い人に任せておけばいい、
私はノンポリだから政治に興味がない、などなどの考えの人もいるだろう。
世の中が比較的安定している時代ならそれもいいだろう。
だが今の日本は、独裁政治を容認してしまうかどうかの、
まさに分水嶺に来ていると思う。

諏訪原さんが言うように、
個人が変わらなければ、社会は変わらない!

そしてこれは私の考えだが、
政治を人任せにすることは、独裁政治でもかまわない!
ということだ。私は生きてあと5年。
若い人はこれから何十年も生きていかなければならないのだ。
情報を鵜呑みにせずに、自分で調べて自分で考える。
こうした若者が増えることを願っています。

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新型コロナウィルスの ワクチン投与は慎重に!

2020-09-09 21:01:20 | ②一市民運動
英製薬大手アストラゼネカは、英オックスフォード大と開発している
新型コロナウィルスのワクチンの治験を中断したそうだ。
治験は英国や米国、ブラジル、南アフリカで行われているが、
ある治験参加者に深刻な副反応の疑いが確認されたという。
副反応の詳細や治験の中断がいつまで続くのかは明らかになっていない。
日本も来年初頭以降、1億2千回分の供給を受けることで、
同社と基本合意している。

子宮頸がんワクチンの副作用が日本では問題になっているが、
欧米では問題視されていないという。
このワクチンは東南アジア系の人々に副作用を引き起こすと
聞いたことがある。
同じように、新型コロナウィルスワクチンが欧米では副作用が
確認されなくても、日本では起こることも考えられるのだ。
人の命に関わることなので、政府は慎重に対処して欲しい。

私は難治性喘息を患っているが、3年前から高額な新薬の注射を受けている。
(とは言っても支払いは限度額があるので助かっている)
最初の薬は起きていられないほどの倦怠感があった。
次の薬はアストラゼネカと英オックスフォード大が開発した薬だが、
注射をして直ぐに、生まれて初めて帯状疱疹ができた。
その痛さに悲鳴を上げた。また蕁麻疹にも悩まされた。
3度目となる今の薬は、軽い副作用だけで済んでいる。
これらの薬は正規の治験を経たものだが、それでもこのように
薬によって、使う人によって、副作用はさまざまなのだ。

日本で新型コロナウィルスのワクチンを使う場合は、
日本独自の数多くの治験を行い、慎重にも慎重を期して
欲しいと思います。
成果を急ぐあまり、こうした手順をないがしろにすることの
ないよう求めます。


オリンピック開催が大前提となり、人命が二の次になるようなことは
絶対にあってはならない!


それにしても、私は西暦を使っているが、お薬手帳には
元号しか載っていない。
薬がいつ処方されたのかを調べるのに、平成30年は西暦何年?
令和元年は?と分からなくなってしまった。
結局、和暦西暦早見表をプリントアウトすることになった。
病院関係も、官公庁も、教育現場も、そのほか
私たちの生活に関わることは西暦で表記して欲しい。
元号を使いたい人は使えばよいのだから。
政府はグローバル化をしきりに言っているが、まずは年号表記から
取りかかって欲しい。

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