松田賢弥著『絶頂の一族 プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』を読む。
↓
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062194341
本を開くと口絵が逆さまになっている。目次を含む16ページまでが逆である。
単なる乱丁だとは思うが、意図的なものかとドキッとした。
この本は大きく分けて、2つの要素から成り立っている。一つは、安倍晋三が岸信介の
遺志を継ぐことに政治生命を賭けていること。二つ目は、政治家岸信介の血を絶やさぬ
よう、その娘である安倍洋子(晋三の母)が画策し、それによって引き起こされる
周りとの確執である。
現在の安倍政権が目指しているもの、そして沖縄の現実は、すべて岸信介に遡ることが
できると理解できた。祖父のやり残したことや挫折したことを、公人である安倍首相が
権力を使ってやり遂げようとすることに、私は大いに違和感を覚える。
気になった言葉を引用したいと思います。(呼び名は本文通りとします)
岸が他のA級戦犯容疑者18名とともに幽閉の身から解き放たれたのは、
1948年12月24日のことだった。前日には東條ら7名のA級戦犯に絞首刑が執
行されていた。岸は獄に繋がれながら、獄中記「断想録」では「大東亜戦争を以て
日本の侵略戦争と云ふは許すべからざるところなり。之れ事実を故意に
歪曲するものなり」と記していた。
その岸はなぜ、釈放されるのか。
伏線はあった。岸は当時、巣鴨プリズンに面会に来た弟の佐藤栄作に対し、
「オレがここを出られるかどうかということは国際情勢が反映しているようだ、
米国とソ連が仲良くしているころは、いつクビをはねられるかと心配していたが、
米ソの間の仲が悪くなってからは、そんなことを心配する必要もなくなった」と
語っていた。
つまり、米ソ冷戦が激化する中で、日本が反共産主義陣営の一翼を担い、反共の砦
として復興させていくというアメリカの占領政策の転機を、岸は予見していた。
一方、占領政策が転換していく中で、GHQ内部で戦犯容疑者の扱いに変化が
見られた。民主化を進めるGS(民主局)と対立するG2(参謀2部)は、
48年4月24日、連合軍最高司令官・マッカーサー元帥に対し、岸の巣鴨プリズン
からの釈放を勧告していたのだった。
いずれにせよ、岸がなぜ釈放されるに至ったのか、その決定的な理由はわからない。
釈放前後、岸は何を思っていたのだろうか。その片鱗を窺えるのが次の言葉だ。
「(新憲法草案は)全体の条文がすべて分かっていたわけではないですよ。
第九条の『戦争の放棄』とか、第一条の『天皇の地位』について具体的なことは
分からなかったが、要するに何か押し付けられている、日本側の意向を無視した
ものをつくっているんだ、ということは感じていました。
戦争責任ということに関しては、アメリカに対して戦争責任があるとはちっとも
思っていないよ。しかし日本国民に対しては、また日本国に対しては責任がある。
ともかく開戦にあたっては詔書に副署しているし、しかも戦争に敗れたという
責任は自分たちにもある」
日本国憲法は岸が獄中にいる47年5月に施行された。岸にとって新憲法は戦勝国
アメリカから押しつけられたものという認識で捉えられた。
53年4月に総選挙が行われることになった。岸は4万票余りを得て当選し、念願の
政界復帰を果たす。公職追放の解除から1年が過ぎていた。
政界に復帰した岸は保守合同と憲法改正に奔走していく。
岸は保守合同当時を振り返り、
「政策協定で合意したことは、この30年間であらかた実行してしまった。
しかし、いまに至ってもできなかったものがある。日ソ交渉をやったがまだ
北方領土が返ってこない。それがひとつ。国内問題では、憲法改正、つまり
自主憲法の制定を謳いながら、それが見送られている。改憲には国会で3分の2を
制することが前提になるが、実際問題として3分の2を占めることはきわめて
困難だ。まあ、実情に照らして解釈の上で現憲法を運用していくしかないが、
保守合同の精神からいえば、残念なことのひとつといわなければならない」
昭和30年11月15日の「党の政綱」の中の「独立体制の整備」で、こう謳った。
「平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の
自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。
世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、
国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える」
ここから岸の憲法改正へのグランドデザインは描かれた。
岸の宿願だった憲法改正は現在、孫の安倍晋三総理に引き継がれている。その陰で、
晋三の母で岸の娘の洋子が「今の自民党は父・岸信介が作った、その偉大な足跡を
決してわすれてはならない」と、晋三に噛んで含めるように口伝えしていたとしても
何ら不思議ではない。(引用ここまで)
(岸がやり残した北方領土問題と憲法改正を、60年が経った今、孫の晋三が完成させよう
としているのだ。それにしても昭和30年に、「駐留外国軍隊の撤退に備える」とある
のは驚きだ。日本の防衛を自国で考えていたことが窺える。晋三は岸が目指していた
ことをしようとしているようだが、その方向性は違うと、私は思う。岸は自ら自国の防衛を
考え、そのためにはアメリカとどう向き合っていくべきなのかを考えていた。
だが晋三は、始めからアメリカの庇護のもとでの防衛しか考えていないのでは
ないだろうか。アメリカが求めることを率先して行うことにより、日本がどこに
向かうことになるのかを考えているのだろうか。私には全く見えない)
2につづく (敬称略)
※週プレNEWSより
『絶頂の一族 プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』の作者・松田賢弥氏への
インタビューをブックマークに入れました。本の内容がよく解りますので
是非、ご覧ください。残念ながら削除されました。(2016年2月12日 記)
※『絶頂の一族』が文庫本になりました。(講談社+α文庫・799円)この本の
紹介文を引用します。「『昭和の妖怪』と言われた祖父岸信介、大叔父佐藤栄作、
『岸の娘婿』と呼ばれた父晋太郎とその父安倍寛ら、安倍晋三をめぐる血脈は、
養子縁組と結婚によって固められてきた。
岸の悲願であった憲法改正の実現を目指す力の源とは何か。
母洋子の執念と影響力など、関係者への取材と多数の資料から描く。
今のこの時期に、必読書だと私は思います。
(2015年11月3日 記)
↓
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062194341
本を開くと口絵が逆さまになっている。目次を含む16ページまでが逆である。
単なる乱丁だとは思うが、意図的なものかとドキッとした。
この本は大きく分けて、2つの要素から成り立っている。一つは、安倍晋三が岸信介の
遺志を継ぐことに政治生命を賭けていること。二つ目は、政治家岸信介の血を絶やさぬ
よう、その娘である安倍洋子(晋三の母)が画策し、それによって引き起こされる
周りとの確執である。
現在の安倍政権が目指しているもの、そして沖縄の現実は、すべて岸信介に遡ることが
できると理解できた。祖父のやり残したことや挫折したことを、公人である安倍首相が
権力を使ってやり遂げようとすることに、私は大いに違和感を覚える。
気になった言葉を引用したいと思います。(呼び名は本文通りとします)
岸が他のA級戦犯容疑者18名とともに幽閉の身から解き放たれたのは、
1948年12月24日のことだった。前日には東條ら7名のA級戦犯に絞首刑が執
行されていた。岸は獄に繋がれながら、獄中記「断想録」では「大東亜戦争を以て
日本の侵略戦争と云ふは許すべからざるところなり。之れ事実を故意に
歪曲するものなり」と記していた。
その岸はなぜ、釈放されるのか。
伏線はあった。岸は当時、巣鴨プリズンに面会に来た弟の佐藤栄作に対し、
「オレがここを出られるかどうかということは国際情勢が反映しているようだ、
米国とソ連が仲良くしているころは、いつクビをはねられるかと心配していたが、
米ソの間の仲が悪くなってからは、そんなことを心配する必要もなくなった」と
語っていた。
つまり、米ソ冷戦が激化する中で、日本が反共産主義陣営の一翼を担い、反共の砦
として復興させていくというアメリカの占領政策の転機を、岸は予見していた。
一方、占領政策が転換していく中で、GHQ内部で戦犯容疑者の扱いに変化が
見られた。民主化を進めるGS(民主局)と対立するG2(参謀2部)は、
48年4月24日、連合軍最高司令官・マッカーサー元帥に対し、岸の巣鴨プリズン
からの釈放を勧告していたのだった。
いずれにせよ、岸がなぜ釈放されるに至ったのか、その決定的な理由はわからない。
釈放前後、岸は何を思っていたのだろうか。その片鱗を窺えるのが次の言葉だ。
「(新憲法草案は)全体の条文がすべて分かっていたわけではないですよ。
第九条の『戦争の放棄』とか、第一条の『天皇の地位』について具体的なことは
分からなかったが、要するに何か押し付けられている、日本側の意向を無視した
ものをつくっているんだ、ということは感じていました。
戦争責任ということに関しては、アメリカに対して戦争責任があるとはちっとも
思っていないよ。しかし日本国民に対しては、また日本国に対しては責任がある。
ともかく開戦にあたっては詔書に副署しているし、しかも戦争に敗れたという
責任は自分たちにもある」
日本国憲法は岸が獄中にいる47年5月に施行された。岸にとって新憲法は戦勝国
アメリカから押しつけられたものという認識で捉えられた。
53年4月に総選挙が行われることになった。岸は4万票余りを得て当選し、念願の
政界復帰を果たす。公職追放の解除から1年が過ぎていた。
政界に復帰した岸は保守合同と憲法改正に奔走していく。
岸は保守合同当時を振り返り、
「政策協定で合意したことは、この30年間であらかた実行してしまった。
しかし、いまに至ってもできなかったものがある。日ソ交渉をやったがまだ
北方領土が返ってこない。それがひとつ。国内問題では、憲法改正、つまり
自主憲法の制定を謳いながら、それが見送られている。改憲には国会で3分の2を
制することが前提になるが、実際問題として3分の2を占めることはきわめて
困難だ。まあ、実情に照らして解釈の上で現憲法を運用していくしかないが、
保守合同の精神からいえば、残念なことのひとつといわなければならない」
昭和30年11月15日の「党の政綱」の中の「独立体制の整備」で、こう謳った。
「平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の
自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。
世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、
国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える」
ここから岸の憲法改正へのグランドデザインは描かれた。
岸の宿願だった憲法改正は現在、孫の安倍晋三総理に引き継がれている。その陰で、
晋三の母で岸の娘の洋子が「今の自民党は父・岸信介が作った、その偉大な足跡を
決してわすれてはならない」と、晋三に噛んで含めるように口伝えしていたとしても
何ら不思議ではない。(引用ここまで)
(岸がやり残した北方領土問題と憲法改正を、60年が経った今、孫の晋三が完成させよう
としているのだ。それにしても昭和30年に、「駐留外国軍隊の撤退に備える」とある
のは驚きだ。日本の防衛を自国で考えていたことが窺える。晋三は岸が目指していた
ことをしようとしているようだが、その方向性は違うと、私は思う。岸は自ら自国の防衛を
考え、そのためにはアメリカとどう向き合っていくべきなのかを考えていた。
だが晋三は、始めからアメリカの庇護のもとでの防衛しか考えていないのでは
ないだろうか。アメリカが求めることを率先して行うことにより、日本がどこに
向かうことになるのかを考えているのだろうか。私には全く見えない)
2につづく (敬称略)
※週プレNEWSより
『絶頂の一族 プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』の作者・松田賢弥氏への
インタビューをブックマークに入れました。本の内容がよく解りますので
是非、ご覧ください。残念ながら削除されました。(2016年2月12日 記)
※『絶頂の一族』が文庫本になりました。(講談社+α文庫・799円)この本の
紹介文を引用します。「『昭和の妖怪』と言われた祖父岸信介、大叔父佐藤栄作、
『岸の娘婿』と呼ばれた父晋太郎とその父安倍寛ら、安倍晋三をめぐる血脈は、
養子縁組と結婚によって固められてきた。
岸の悲願であった憲法改正の実現を目指す力の源とは何か。
母洋子の執念と影響力など、関係者への取材と多数の資料から描く。
今のこの時期に、必読書だと私は思います。
(2015年11月3日 記)