今日のうた

思いつくままに書いています

Web Bellmark

2014-02-26 18:14:53 | ②一市民運動
2月25日の朝日新聞で、Web Bellmark の運動を知りました。
ウェブベルマークのサイトを経由して、協賛会社 ( 例えば楽天・yahoo等 ) のショッピングサイトで
買い物やサービスを購入するだけで自己負担なく、ショップごとに購入金額の一定割合の支援金が
協賛会社から支払われ、被災校支援にあてられるそうです。( 会員登録は必要 )

「 とめちゃいけない。東北の子どもたちへの支援 」 がキャッチ・フレーズです。
       ↓
https://www.webbellmark.jp/    

是非、見てください。
そしてこの運動がもっともっと拡がりますように!
Amazonさんも検討してね。





追記1

楽天や yahoo 等での買い物すべてに支援金が付くわけではありません。
協力してくれるショップは限られたものです。
ショップの数がもっと増えると、支援しやすくなるのですが・・・
それと買いたいものを検索すると、扱っているショップがわかる
検索機能があったら便利だと思いました。

追記2

私は楽天で買い物をしたので上のように書きましたが、
yahooではかなりの商品に支援金が付くみたいです。
生半可な知識で失礼しました。 m(__)m


追記3
支援金がつくまでに、かなりの日にちを要します。
私の場合、3月7日に購入したものに対して、5月6日に支援金が確定しました。バンザイ~!

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「 青春残酷物語 」

2014-02-24 09:44:42 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
大島渚監督の映画 「 青春残酷物語 」 を観る。
20~30分観ると胸が締め付けられるので、何回にも分けて、結局二日がかりで観た。

60年安保闘争の時代の、若いカップルの物語だ。
二人を通して、当時の閉塞感・怒り・苛立ち・虚無・貧しさがビンビン伝わってくる。
暴力と刹那にしか生きられない二人の生き様に、心がえぐられる。

川津祐介扮する若者が、中絶手術を終えて眠る恋人の枕元で
青い林檎に齧りつき、ひたすら喰い続けるシーンは圧巻だ。
林檎を喰うというだけで、若者の心情を見事に描き切っている。
大島渚は天才だと思う。

実写のデモと、それを見ている登場人物が重なり合う。
ヘルメットを被らずにスクラムを組む、フツーの学生や市民の数の多さに驚く。
だがどんなに抵抗しようと、岸信介内閣のもとで 「 日米安全保障条約・新条約 」 は
強行採決される。

この映画からは60年安保の時代背景が、70年安保の時とはかなり違っていることが分かる。

私は1969年に大学に入学し、70年安保の時代に青春を過ごした。
入学して直ぐに、授業はクラス討論に代わっていった。
田舎の高校で、世の中の動きを知らずに来た私には、「 世論 」 という言葉だけが残っている。
世論を味方にしないと、学生運動に勝利はないと論じていたのだと思う。
クラス全体でデモに参加するということは、一度もなかった。
それでも友達に誘われて一度、ひとりで一度、デモに参加した。

せっかく入学した大学も、夏休み前にはロックアウトされ、
半年という長い休みに入り、学生運動は下火になっていく。
これ以降、闘争は一部の学生のものとなり、より過激になっていった。
セクト、リンチ、大学構内で一人の学生が殺されたのもこの頃だ。

大島渚は 「 青春は世の中に対する怒りの代弁 」 だと言う。
今の若者は、怒りをどうやって処理しているのだろう。

DVDの最後に、大島渚と若者へのインタービューが入っている。
地べたに坐りこんでいる女性の言葉が心に留まった。

「 幕末は若者が政治を支配した。今はおじいさんばかりだ。57歳でも政治の世界では若い方だ。
  そこからして政治には関心が持てない。57歳と考えただけで疲れてしまう 」 と。

*岸信介は、安倍総理の母方の祖父に当たる。



(画像はお借りしました)


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この民の知性

2014-02-14 09:03:23 | ②一市民運動
2月14日の朝日新聞 「声」 に後藤乾一氏が、「大東亜戦争」 の直前に
南原繁氏が詠んだ短歌を紹介している。


 あまりに一方的なるニュースのみにわれは疑ふこの民の知性を   南原 繁


そして 「メディアに課せられた重い責任と、政治に向かう市民一人ひとりの知的勇気が、
今ほど試される時はない」 と結んでいる。

後藤氏がお書きのように、私も現在の日本がこの時代に近づきつつあるという危機感を覚える。
そして 人任せの民主主義が、独裁を容認することになってしまうのではないか
との思いがある。この国の変貌を、しっかり見届けていこうと思う。


追記1
ファシズムという言葉を広辞苑で引いてみた。

全体主義的あるいは権威主義的で、議会政治の否認、一党独裁、市民的・政治的自由の
極度の抑圧、対外的には侵略政策をとることを特色とし、合理的な思想体系を持たず、
もっぱら感情に訴えて国粋的思想を宣伝する。

ソチオリンピックで、期待した結果が出せなかった選手を誹謗中傷する書き込みや、
安倍政権の靖国参拝への批判を表現した彫刻の一部が、東京都美術館から撤収されるなど、
もう始まっているのではと危惧するような事柄が、最近やたらと目につく。
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NHKの公共性

2014-02-04 09:52:39 | ②一市民運動
2014年1月31日、朝日川柳へのボツ句です。

   権力という名のスポンサーが付き

NHK会長の、就任会見における発言が問題になっている。
そもそも、なぜNHKだけ受信料を払わねばならないのかを、会長は考えたことが
おありだろうか。

政府からも企業からも圧力を受けずに、国民の目線に立った番組づくりが
出来るようにと、国民に負担を求めているのではないのか。
政府が右と強要しても、それが左と信じるなら、政府と対峙しても左を貫いて欲しい。
そのために国民は、不平不満を言わずに高い受信料を払っているのだから。

3・11以降、私はNHKのドキュメンタリー番組を観るようになった。
NHKスペシャルやBSプレミアムなどの、原発問題や太平洋戦争の戦時下における
国の状況や人々の姿、あるいは 「オリバーストーンが語るもうひとつのアメリカ史」 など
良質なドキュメンタリー番組に感動した。
こうした番組が、政府からの圧力を受けることなく続いて欲しいし、続けるべきだと思う。
そのために国民が受信料を払い、NHKは公共放送として成り立っているのだから。

追記1
「ニュース7」 は安倍チャンネル?と感じることが多く、視聴をやめた。

追記2
NHK経営委員の人選がすごい。お友達を見れば、あの人が分かる。

追記3
これはあくまでも仮定の話である。
強い母により、身近な人間と比較されながら、あるいは目標とするようにと
言われながら育った男がいるとする。
母の期待に応えようとするが、叶わず、強いコンプレックスを抱えたまま大人になる。

この男がある日、権力というものを持ち、何でも自分の思い通りに出来ると
錯覚するとどうなるか。
それまでの鬱積を晴らすべく、周りの意見には耳を貸さず、自分の信じる道を突き進む。
もう誰も歯止めを掛けることが出来ない。そして・・・

これはあくまでも私の妄想の話である。

追記4
2015年2月22日の新聞の新刊広告に面白い本を見つけた。
松田賢弥著『絶頂の一族 プリンセス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』
Amazonでの紹介文は

「すべては偉大なる岸信介の血を残すために――。安倍晋三の母・洋子の執念は、
 この華麗なる政治家一族の姿をいびつなものにしている。
 養子縁組を繰り返し、家を守ることによって何が生まれたか?
 孤独な政治家・安倍晋三にとって、祖父の宿願を達成することこそ、唯一、
 洋子に認められる術になる。
 幻影安倍家三代を丹念に取材し、幻影に追い回された安倍ファミリー・六人の姿を丹念に
 分析することによって、「安倍晋三」なるものの正体に迫る。政治取材の
 トップランナー・松田賢弥が放つ、衝撃の書」

私は以前から安倍晋三という人は、何かに操られているような気がして仕方がない。
なぜならば、言葉と行動に一貫性が無いことがよく見られる。
自分が考え出したものなら、そうぶれることがないのではないだろうか。
アメリカに対しての憲法のスタンスと、外交・防衛に対してのスタンスがまるで別人のようだ。
また天皇に対してもしかり。
知らないことがあり過ぎるので、早速、この本を申し込んだ。
(2015年2月22日 記)
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道徳教育よりディベートの時間を

2014-02-02 14:58:06 | ②一市民運動
2014年1月27日、朝日新聞 「声」 に投稿したボツ原稿です。


 いつからだろう。若者の間にKYという言葉が流行り、
自分の意見を言わなくなったのは。自分だけが目立たないように、
周りの空気を読むことに汲汲として見える。


 人と違う意見を言わず、自己主張をしない若者は、
為政者にとって都合のよい存在になりはしまいか。
まして道徳教育という一つのベクトルが与えられるようになると、
更にこの傾向は強まるのではないだろうか。


 世の中には絶対的な 「正」 は無い。正しいと思うことも、
見方を変えれば、違う側面が見えてくる。
人と違う意見を言ったり、聞いたりすることで、物事を複合的にあぶり出し、
自分の意見をより相対的に見ることができるようになるのでは
ないだろうか。


 こうした訓練の場として、道徳教育よりディベートの時間を
取り入れて欲しいと、切に願う。


* 「ディベート」 という言葉に拘り、 「反対意見」 という言葉を使いましたが、
  「反対意見」 を全て 「人と違う意見」 に改めました。
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