べつにアウトプットだからといって日常的に泥酔してゲロはくわけじゃないので、そこんところはお間違えなく。
会社と家の往復で終始する一週間になってしまうと、そこには以前と同じようなブログは書きようがないうんぬんはいいや。一般的には妻子がいて家庭がある時点で、自分ワールドな電脳世界がそれを凌駕することはあり得なく、まあ破綻は必然の道だったんでしょうか。
唐突ながら話は変わりますが、最近「本を読むこと」を心がけるようになりました。
読書の効用なんてもんはいろいろあるんでしょうけど、その一つとして、読書により人の体験を自分のものとして味わえることが挙げられます。横山さんの本を読むことで三国志の主人公になることもできれば、世界遺産ガイドブックを開いて読んで目を閉じることでそこへトリップしてみたり。
実はそんな読後感のよいリフレッシュ系の読書は志向してなくて。余暇の使い方としてもちろんそういうのはありですが、正直時間がないんですよ。日常的に、いままでとはちがって目と手で感覚を生ませるのではなく、圧倒的に想像力を働かせる必要があるし、一方で実行力ももちろん欠かせない。だとすると、そんなのを研ぎ澄ますものとして短期的に効果があるのがまさに先人の知恵とかで、自分のものにする手段は読書とそこからのアウトプットをどうやるかしかないんですよ。それを自分のなかでだけ収束させるのもありかもしれませんが、幸運にもこういう自己表現の場所があればそれを使わない手段はない。コメントやトラックバックというものがなくても、「ひとめに晒している」って思いは間違いなくちゃんとやらないとっていうガソリンになるんですよこれが。
そうはいっても、あいにくkeihさんは教養がなければ文章力も欠如してるので、レビュー系のエントリーなんて論外だ(カテゴリーはbookreviewとかだけど)。密林に行けばそんなのわんさかいるし。それではなく、読んだ本の中身を可能な限りミニマム化してアウトプットってのは、自分の血肉とするにはかなり効果的だし、アウトプットを意識して読むことがより良い結果をもたらすことはいうまでもない。それは新しい旅かわからんけど、限りある時間を使うに値する行為であるとは強く思う。そのアウトプットにいままでのようなテイストをまとわせれば、作成行為自体も楽しくなるし。まあ、家人のかたもそうですがなんというか無駄に蔵書が多いだけに、それにいちど向き合うってのもいいかもというのあります。
で、まずはここからいってみるとします。
マルクス エンゲルス 『共産党宣言』 大内兵衛・向坂逸郎訳 岩波文庫
なんかかなり無謀な気がしてなりませんがそれはそれだ。きにすんな。