とりあえず、表題通り。
少し思うところがあり、手じまいをしようと思う。
ブログを始めたそもそもの理由は、ホームページのアップがしんどいこととホノルルにトライアスロンしにいった備忘からのスタートだったのかな。それが、もう8年も前の2005年の3月。そこからトライアスロン周りの競技ごとへのチャレンジへの一進一退と肉を焼いて食うことを、「必要以上に面白おかしく」書くことが日常生活のモチベーションとなり、すこしづつのエスカレーション。
ブログ興盛の時代とあいまって、すこしづつ閲覧いただく方も増え、またブログを通じてのおともだちもできてきたりして、そうなるとまたモチベーションもエスカレート。ともさかりえも真っ青だ。
仕事をして、泳いで走って肉やいてキャバっとしたところに入り浸り、、、あんまり人間的な位が高いとは思わんけども、ブログでそれを適度に記述することで、記憶や思い出が明確な形で血となり肉となり、人格の形成がここでなされていったことは間違いない。そういや消えたね長井くん。
おそらく、人生で一番いい時代だったはず。そして、明るい未来のみが眼下に広がっていたんですよきっと。つーか、明るい未来が見えなかったのはケンゾースズキだけだろうね。
しかしながら、いろんな意味で時はたちます。時間は残酷だとまではいわんが。
仕事上の責任が重くなること、家庭を持つこと、身体の劣化、毛根の脱北、、、かつてほどの自由の謳歌はもはやあり得ず、また、何かを記述しようとも、「必要以上に面白おかしく」書くことはもはや不可能な状況になってきた。イメージも何もあったもんじゃない。
毎日更新していたのが、2-3日に一度となり、気づいたら一か月も更新はなく、やってることといえば”写真でひとこと”みたいな顔本にちょっと何か書いて、身内プラスアルファみたいな方々から義理でイイネとか押してもらうようなもんだ。気持ち悪い。だいたい、はっきりいって、ネット上で日記なんて公開する人間なんてあり得ないんだよ本来は。一方で、日記に毛が生えたくらいのを喜々として「記事」なんてアップしていた人種とは志が違うんだよベイベなんてほざきながら、自分で体験してきた事実と主観とブログにかくことで人格形成だとかのたもうたやつが、顔本でLike!ってボタン押してもらいたいために軽蔑してた連中と同様の行動をして時代に迎合してこれでいいやと思ってやがったりするんだ。
もちろん、ブログメディアももはや著名人のステマツールになり下がっている昨今においてちくちく書くことがどうか、みたいなものがないわけではありませんが、忙しいのにかまけてちまちま作ってきた自我を自分で崩してるんだわ。
それで、ブログ書かなくなって何が起こったか、というとエントリーしていた青梅高水山トレイルのレース日を一週間勘違いしてて気づいたら終わってたなんてことがあったんですよ。まああほかって話ですが、かつては年始にレーススケジュールを立てて目標考えてそれに向かって突っ走る、なんてことやってたのが仕事忙しいのにかまけてkonozama。せっかく3月に青梅に試走にいってたのに、その辺のブログさえ知恵ひねって書くという楔入れるだけですべて解決してたんですよ本来なら。
そんなこんながgdgdしきって筋肉も弛緩しきって今に至ってしまった。そういうわけなんです。
もう、ドリームジャーニーはおわりだ。しっかりと現実を見ないと。時代はオルフェを超えてゴールドシップ、、、ってベタだな。
***
とまあ壇蜜、じゃなかった断筆みたいな書き方してますが、ここまで一時間くらいかけて文章を書いてやっぱり意欲が沸いて、、、もあるけど。それよかネタがないのよ。ネタが。もう少しいうと時間もだけどさ。あとは一日中建物の中にいてディスプレイに向かっていると流石にブログなんてむりむりかたつむり、なんてのもありますが。
とりあえずは、「必要以上におもしろおかしく」書くことからは卒業します。というか、アウトプットのトレーニングの一環でどうしてもやりたいことがあるんで、いったん一区切りしたかったんですよ自分の中で。
keih先生の次回作に乞うご期待!なんていってはいサヨナラサヨナラということになる気もしてなりませんが、まずは気持の整理ということで。
顔本に移行?