女の子(!)だけの同窓会Ⅱ、
二次会は喫茶店でコーヒーとケーキだった。
幹事が手近で美味しいお店を見つけてくれてあって、
美味しくいただいたところで、
4時間かけて山梨から来たという女の子が席を立った。
それなら私も、と もうひとり席を立ったので
私もポンと立ち上がった。
もう少し、と思っていたけれど
ここで私も駅へ向かおうと。
駅まで3人で、そして駅の構内に入ってから
ふたりは上り、私は下りのホームに分かれた。
常磐線でもう少し先へ行き、
入院中の義母を見舞うためだった。
タクシーで向かった病院の 教えられた階の
ナースセンターの近くに
義母の病室はあった。
義母はベッドの上でおとなしくしていた。
誤嚥事故以後にグループホームから移った老健で
高熱を出し、
その後も熱がなかなか下がらないので
老健と提携した近くの病院に入院していたのだ。
それからもなかなか微熱が下がらずにいた。
検査の結果、
どうやら誤嚥性の肺炎による発熱らしい、
とのことだった。
義母は流動食でも誤嚥を起こしたのだ。
発熱以後は 食べ物を受け付けないので
点滴で栄養をとっているとのことだったが
私が行った時には 点滴は何もされていなかった。
うとうとしていたらしい義母に挨拶をして
私は義母の手をとった。
院内は暖かだったけれど
薄い毛布の中の義母の手は冷たかった。
「お義母さん、寒い?」
と聞くと コクリと首を振る。
毛布を肩までかけてやり、
私は義母の手をマッサージした。
両方の手を揉んだり押したりしながら
取り留めのないおしゃべりをした。
義母の脳は どれほど正常なのか?
わからないけれど、
全てがダメになっているわけでもないだろう。
「息子はねえ。文系でねえ。数学がねえ。
せめてもう少し 英語ができたらいいんだけど。」
「娘はねえ。
今、息子が通ってる同じ塾で、
アルバイトで先生をしてるのよ。
中学生に、英語を教えてるの。」
離れて暮らしていてさえ
この人とはいろいろあった。
一緒に暮らしていたら違う感情が湧いていたろうけれど
最近では 義父が車を運転して 我が家にやって来る、
という事もなくなって久しい。
まして アルツハイマー、
まして 熱を出して入院中とあって
私は精一杯 優しい嫁になった。
時々顔を見せる看護士や看護助手らしい人にも
嫁として挨拶をし、
挨拶で中断されては また 義母に語り続ける。
義母は 私が話す娘や息子の話を
綺麗な潤んだ瞳で じっと私を見ながら 聞いてくれた。
義母の両手がほかほかになったところで、
「お義母さん、寒い?」
と聞くと 義母は 首を横に振った。
私は満足して 今度は義母の足をさすった。
毛布を上げて右足を見て、軽くさすった。
足は冷たくはなかった。
今度は左、と ベッドの反対側に行き、
左足をさすろうと 毛布を上げた。
びっくりした。
義母の右足は パンパンに腫れて、
今にもパンクしそうだったからだ。
少しさすってみたが、
さすりながら「やってもいい?」と聞くと
手を揉んだ時とは違って、首は横に振られた。
これだけ浮腫んでいたら だるかったり
触っただけでも不快だったりするのだろう、と
無理はしなかった。
帰りの時間には まだ少し間があったので
もう一度 手を揉んだ。
はじめの頃 うつらうつらしていた義母も
だんだん顔つきがハッキリしてきていた。
「あ゛~」と声を出した事も2、3度あったが
何を言いたいのかは わからなかった。
ただ 義母の手を揉んでいる私の手を
もう一方の手でつかまえては
力強く握り締めてきた。
何かを訴えたいのかもしれなかったが
表情は暗いものでも悲しいものでもなく
静かな、そして明るいものだった。
義母の言いたい事がわからないのは悲しいが
機嫌がいいのは私も嬉しかった。
そんなこんなを1時間半ほどして
「じゃあね。」
と別れた。
この日は土曜日、
義弟が 単身赴任先から 戻って来て
義父を連れて病院へ見舞いに行ったはずだったが
私とはすれ違いになって 会えなかった。
**************************
画像フォルダに 偶然 取り込んであった 椿。
これまで あまり目立たない存在だったが
私が注目してから
綺麗な花を咲かせてくれるようになった気がする。
その割には汚い?(笑)
いつ頃開花するのか わからなかったが
これで
2月末から3月末が花の季節だと やっとわかった(苦笑)。
二次会は喫茶店でコーヒーとケーキだった。
幹事が手近で美味しいお店を見つけてくれてあって、
美味しくいただいたところで、
4時間かけて山梨から来たという女の子が席を立った。
それなら私も、と もうひとり席を立ったので
私もポンと立ち上がった。
もう少し、と思っていたけれど
ここで私も駅へ向かおうと。
駅まで3人で、そして駅の構内に入ってから
ふたりは上り、私は下りのホームに分かれた。
常磐線でもう少し先へ行き、
入院中の義母を見舞うためだった。
タクシーで向かった病院の 教えられた階の
ナースセンターの近くに
義母の病室はあった。
義母はベッドの上でおとなしくしていた。
誤嚥事故以後にグループホームから移った老健で
高熱を出し、
その後も熱がなかなか下がらないので
老健と提携した近くの病院に入院していたのだ。
それからもなかなか微熱が下がらずにいた。
検査の結果、
どうやら誤嚥性の肺炎による発熱らしい、
とのことだった。
義母は流動食でも誤嚥を起こしたのだ。
発熱以後は 食べ物を受け付けないので
点滴で栄養をとっているとのことだったが
私が行った時には 点滴は何もされていなかった。
うとうとしていたらしい義母に挨拶をして
私は義母の手をとった。
院内は暖かだったけれど
薄い毛布の中の義母の手は冷たかった。
「お義母さん、寒い?」
と聞くと コクリと首を振る。
毛布を肩までかけてやり、
私は義母の手をマッサージした。
両方の手を揉んだり押したりしながら
取り留めのないおしゃべりをした。
義母の脳は どれほど正常なのか?
わからないけれど、
全てがダメになっているわけでもないだろう。
「息子はねえ。文系でねえ。数学がねえ。
せめてもう少し 英語ができたらいいんだけど。」
「娘はねえ。
今、息子が通ってる同じ塾で、
アルバイトで先生をしてるのよ。
中学生に、英語を教えてるの。」
離れて暮らしていてさえ
この人とはいろいろあった。
一緒に暮らしていたら違う感情が湧いていたろうけれど
最近では 義父が車を運転して 我が家にやって来る、
という事もなくなって久しい。
まして アルツハイマー、
まして 熱を出して入院中とあって
私は精一杯 優しい嫁になった。
時々顔を見せる看護士や看護助手らしい人にも
嫁として挨拶をし、
挨拶で中断されては また 義母に語り続ける。
義母は 私が話す娘や息子の話を
綺麗な潤んだ瞳で じっと私を見ながら 聞いてくれた。
義母の両手がほかほかになったところで、
「お義母さん、寒い?」
と聞くと 義母は 首を横に振った。
私は満足して 今度は義母の足をさすった。
毛布を上げて右足を見て、軽くさすった。
足は冷たくはなかった。
今度は左、と ベッドの反対側に行き、
左足をさすろうと 毛布を上げた。
びっくりした。
義母の右足は パンパンに腫れて、
今にもパンクしそうだったからだ。
少しさすってみたが、
さすりながら「やってもいい?」と聞くと
手を揉んだ時とは違って、首は横に振られた。
これだけ浮腫んでいたら だるかったり
触っただけでも不快だったりするのだろう、と
無理はしなかった。
帰りの時間には まだ少し間があったので
もう一度 手を揉んだ。
はじめの頃 うつらうつらしていた義母も
だんだん顔つきがハッキリしてきていた。
「あ゛~」と声を出した事も2、3度あったが
何を言いたいのかは わからなかった。
ただ 義母の手を揉んでいる私の手を
もう一方の手でつかまえては
力強く握り締めてきた。
何かを訴えたいのかもしれなかったが
表情は暗いものでも悲しいものでもなく
静かな、そして明るいものだった。
義母の言いたい事がわからないのは悲しいが
機嫌がいいのは私も嬉しかった。
そんなこんなを1時間半ほどして
「じゃあね。」
と別れた。
この日は土曜日、
義弟が 単身赴任先から 戻って来て
義父を連れて病院へ見舞いに行ったはずだったが
私とはすれ違いになって 会えなかった。
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画像フォルダに 偶然 取り込んであった 椿。
これまで あまり目立たない存在だったが
私が注目してから
綺麗な花を咲かせてくれるようになった気がする。
その割には汚い?(笑)
いつ頃開花するのか わからなかったが
これで
2月末から3月末が花の季節だと やっとわかった(苦笑)。