連日 テレビでワールドカップを楽しんでいる。
当然、少々、寝不足気味(笑)。
サッカーのゲームが好きだから、
日本以外の国の戦いも 楽しめている。
それから、
以前は 顔を云々するのは恥ずかしいこと、と思っていたが
オバサンになってから
遠慮なく顔で 歌手でも俳優でも好きになっているが
サッカー選手にも各国にいろいろなタイプの美青年がおり、
その点でもかなり楽しめている。
スポーツだから、
試合だから、
勝ち負けがある。
どちらかのチームに肩入れして
本気で応援していると
どの国が試合してても
すごく緊張したり嬉しかったり
それはそれは楽しい。
この 勝つチームと負けるチームとの差は
いったいどこにあるのだろう?
見ていて
勝ちそうなチームと 負けそうなチームとは
何故かわかる。
それはわかるけれど、
そこにある<差>は、私にはわからない。
今回のワールドカップは
世界各地の代表国の実力の差が
あまりないように私は思った。
アフリカもヨーロッパも
北米も中南米も。
みな、とても上手い。
それなのに
勝負だから、勝つチームと負けるチームに分かれる。
そして そこには
どこかは 私にはわからないけれど
確かに<差>がある。
わずかな<差>ではあるけれど、
確かに、ある。
それは
サッカーの歴史かもしれないし
ハングリー精神かもしれないし
モチベーションかもしれないし
スポンサーの協力かもしれないし
後押しする国民の声援かもしれないし
選手ひとりひとりの体力の差かもしれないし
技術の差かもしれないし
集中力の差かもしれないし
何かの厳しさ、何かの甘さの差かもしれないし
あるいは監督の経験や技量かもしれない。
それらの差は どのチームも さほどないように
私には思われた。
思われたけれど
その<差>は
どうしようもなく埋められないものであるようにも
感じられた。
サッカー大国と呼ばれる国に挑戦する各国の代表チームにも
攻撃のスピードが素晴らしかったり
主力選手がヨーロッパのクラブでで活躍していたり
地区予選では守備が素晴らしかったりしていて
それなのに
勝てない、惜しくも敗れる、あるいは 大差で負ける、
そんな結果がついてくる。
そんな試合を見ていて
私は 埋まらない「わずかの<差>の大きさ」を
画面を通して感じていた。
こんなに上手なのに、どうして勝てないのだろう、と。
日本は そんなチームの中でも
もっとも「わずかの<差>の大きさ」が
大きかった、と思う。
どのグループの試合を見ても、
日本が このチームと決勝リーグで対戦したら、
勝てるだろうか?
という問いに
私の心に湧き上がる答えは
<否>だった。
そして、私の予想通りに
今回のワールドカップも なってしまった。
けれど、楽しめた。
だから、選手たちには 「ありがとう」と言いたい。
強いて言うなら、
私はアントラーズのファンだから、
アントラーズに縁のある選手の
活躍を望んでいた、
だから余計に楽しみが多かった。
アントラーズの選手については
身びいきもする。
そして だからこそ
アントラーズ関係の選手の不甲斐なさを
厳しく見てしまう。
身内意識があるからこそ、
ちょっと厳しく考えてしまう。
決定力の差は とても大きかった。
ともかく、
日本サッカーの挑戦は
まだまだ続く。
日本代表の次の挑戦は
今日 始まった。
2010年は 南アフリカ大会。
ドーハの悲劇の頃の 日本代表は
はっきり言って、下手だった。
そのあとの日本サッカーの上達は目覚ましかった。
けれど 今回
4年前と比べて
日本は 思ったほど 上達していなかった。
4年前より脅威を感じなかったクロアチアに
勝てなかった。
Jリーグの試合を見ていて
「上手くなったなあ、日本人も。」
と J発足当時と比べて感心してしまうオバサンは
これからの4年に、
4年後の日本に 期待してしまう。
まだしばらく素晴らしい試合が続くであろうワールドカップ、
寝不足に気をつけながら
楽しもうと思う。
今朝は5時ごろに目が覚めたので
よし!と起き出して
途中から観戦したのだが
間が悪かった。
良かったのは
お弁当を作り始める時間までに
試合が終わってくれたことだけだった。
まとまらなくなってしまった。(反省。)
当然、少々、寝不足気味(笑)。
サッカーのゲームが好きだから、
日本以外の国の戦いも 楽しめている。
それから、
以前は 顔を云々するのは恥ずかしいこと、と思っていたが
オバサンになってから
遠慮なく顔で 歌手でも俳優でも好きになっているが
サッカー選手にも各国にいろいろなタイプの美青年がおり、
その点でもかなり楽しめている。
スポーツだから、
試合だから、
勝ち負けがある。
どちらかのチームに肩入れして
本気で応援していると
どの国が試合してても
すごく緊張したり嬉しかったり
それはそれは楽しい。
この 勝つチームと負けるチームとの差は
いったいどこにあるのだろう?
見ていて
勝ちそうなチームと 負けそうなチームとは
何故かわかる。
それはわかるけれど、
そこにある<差>は、私にはわからない。
今回のワールドカップは
世界各地の代表国の実力の差が
あまりないように私は思った。
アフリカもヨーロッパも
北米も中南米も。
みな、とても上手い。
それなのに
勝負だから、勝つチームと負けるチームに分かれる。
そして そこには
どこかは 私にはわからないけれど
確かに<差>がある。
わずかな<差>ではあるけれど、
確かに、ある。
それは
サッカーの歴史かもしれないし
ハングリー精神かもしれないし
モチベーションかもしれないし
スポンサーの協力かもしれないし
後押しする国民の声援かもしれないし
選手ひとりひとりの体力の差かもしれないし
技術の差かもしれないし
集中力の差かもしれないし
何かの厳しさ、何かの甘さの差かもしれないし
あるいは監督の経験や技量かもしれない。
それらの差は どのチームも さほどないように
私には思われた。
思われたけれど
その<差>は
どうしようもなく埋められないものであるようにも
感じられた。
サッカー大国と呼ばれる国に挑戦する各国の代表チームにも
攻撃のスピードが素晴らしかったり
主力選手がヨーロッパのクラブでで活躍していたり
地区予選では守備が素晴らしかったりしていて
それなのに
勝てない、惜しくも敗れる、あるいは 大差で負ける、
そんな結果がついてくる。
そんな試合を見ていて
私は 埋まらない「わずかの<差>の大きさ」を
画面を通して感じていた。
こんなに上手なのに、どうして勝てないのだろう、と。
日本は そんなチームの中でも
もっとも「わずかの<差>の大きさ」が
大きかった、と思う。
どのグループの試合を見ても、
日本が このチームと決勝リーグで対戦したら、
勝てるだろうか?
という問いに
私の心に湧き上がる答えは
<否>だった。
そして、私の予想通りに
今回のワールドカップも なってしまった。
けれど、楽しめた。
だから、選手たちには 「ありがとう」と言いたい。
強いて言うなら、
私はアントラーズのファンだから、
アントラーズに縁のある選手の
活躍を望んでいた、
だから余計に楽しみが多かった。
アントラーズの選手については
身びいきもする。
そして だからこそ
アントラーズ関係の選手の不甲斐なさを
厳しく見てしまう。
身内意識があるからこそ、
ちょっと厳しく考えてしまう。
決定力の差は とても大きかった。
ともかく、
日本サッカーの挑戦は
まだまだ続く。
日本代表の次の挑戦は
今日 始まった。
2010年は 南アフリカ大会。
ドーハの悲劇の頃の 日本代表は
はっきり言って、下手だった。
そのあとの日本サッカーの上達は目覚ましかった。
けれど 今回
4年前と比べて
日本は 思ったほど 上達していなかった。
4年前より脅威を感じなかったクロアチアに
勝てなかった。
Jリーグの試合を見ていて
「上手くなったなあ、日本人も。」
と J発足当時と比べて感心してしまうオバサンは
これからの4年に、
4年後の日本に 期待してしまう。
まだしばらく素晴らしい試合が続くであろうワールドカップ、
寝不足に気をつけながら
楽しもうと思う。
今朝は5時ごろに目が覚めたので
よし!と起き出して
途中から観戦したのだが
間が悪かった。
良かったのは
お弁当を作り始める時間までに
試合が終わってくれたことだけだった。
まとまらなくなってしまった。(反省。)