この箱なら、大きいから、入るだろう。
このお古の肌布団にくるめば、いいと思う。
そう 息子に言い置いて、私たちは出かけた。
去年、吉野に行った頃の話だから、もう、ずうっと前。
愛犬は、とても弱っていた。
トリミングに行く日の タイミングを計っていたら
どんどん、どんどん、弱っていった。
私は、これは病気ではない、と思った。
年齢を考えれば、自然な変化だ、と思った。
だから、病院に連れていくことはしなかった。
つい先日まで トリミングに連れていくつもりだったのに、
えらく矛盾した考えだが、
自分が間違っているとは 私には思えなかった。
彼女は、お風呂が嫌いで、病院が嫌い。
家の中に入る事だって、落ち着かない様子だったから、
私が時折 大雨や雷で 無理やり家に入れる時さえ、
大変だった。
だから、車に乗せる時だって、罪悪感がある。
これは、もう、とても、無理やり車に乗せてやる事はできない、と
割にあっさり 私は諦めた。
だから、息子にすべてを託して 私たちは吉野に出かけた。
彼女に「もしも」の時が来たならば、
最近できたペット専用の火葬場に電話して、
連れて行ってやってくれ、と。
けれど、彼女は 待っていたくれた。
お散歩に出かけるのは、大好きだった。
スタスタと歩けるのは、最初の5メートルだけだった。
足が弱って、立ち上がるのが大変になった。
けれど、そのままウンチをする事だけは、
彼女は 最期までしなかった。
最期にもう一度 きれいにしてあげられれば
もっと良かったけれど。
息子とふたりで火葬場に連れていき、骨壺に入れた。
息子に 病院に行ってもらった。
「お世話になりました」と伝えて、
検査の結果を受け取って来てもらった。
先生は ビックリして、
「ずいぶん突然でしたね!」
とおっしゃったそうだ。
「元気だったのに!」と。
往診を頼むどころか、
「先生、大変!」と駆け込むこともしなかったから。
受け取った検査の結果表には、
年齢を感じさせない、
元気いっぱいの愛犬の数値がならんでいたから。
年末の大掃除は、愛犬の気配を消す行為だった。
いつものように、あまり掃除らしい掃除はしなかったが。
これから 暖かくなったら、少しずつ消してゆくのだろう、私が。
節分の豆を撒いた。
のっそり起きて、退避する愛犬はいなかった。
撒いた豆も なかなか消えなかった(笑)。
(今日は カラスに食べてもらえてようで、ほとんどなくなっていた。)
ヨタヨタ歩いていた愛犬の記憶は、
不思議と だんだん 若返っていった。
外に出る時には 駆け寄って飛びついてくる愛犬を予感して
用心しながらドアを開けた。
外から帰ってくる時には
愛犬の声に耳をすませ、
コンクリートの犬走を走ってくる足音を待った。
外に目をやる時には 愛犬の<居場所>を
いつものように 無意識のうちに探す。
ここに いない。
ならば、あそこか。
あれ? あっちかな?
そうだ、いないんだ。
私の目は いつも 愛犬の方を見ていたらしい。
目が、戸惑って、ウロウロしてしまう。
それにも、もう慣れて。
「次の犬を」と 亭主が言う。
「家の中で飼ってもいいならね」と 私が答える。
次の犬は、いつになったら、やって来るやら。
このお古の肌布団にくるめば、いいと思う。
そう 息子に言い置いて、私たちは出かけた。
去年、吉野に行った頃の話だから、もう、ずうっと前。
愛犬は、とても弱っていた。
トリミングに行く日の タイミングを計っていたら
どんどん、どんどん、弱っていった。
私は、これは病気ではない、と思った。
年齢を考えれば、自然な変化だ、と思った。
だから、病院に連れていくことはしなかった。
つい先日まで トリミングに連れていくつもりだったのに、
えらく矛盾した考えだが、
自分が間違っているとは 私には思えなかった。
彼女は、お風呂が嫌いで、病院が嫌い。
家の中に入る事だって、落ち着かない様子だったから、
私が時折 大雨や雷で 無理やり家に入れる時さえ、
大変だった。
だから、車に乗せる時だって、罪悪感がある。
これは、もう、とても、無理やり車に乗せてやる事はできない、と
割にあっさり 私は諦めた。
だから、息子にすべてを託して 私たちは吉野に出かけた。
彼女に「もしも」の時が来たならば、
最近できたペット専用の火葬場に電話して、
連れて行ってやってくれ、と。
けれど、彼女は 待っていたくれた。
お散歩に出かけるのは、大好きだった。
スタスタと歩けるのは、最初の5メートルだけだった。
足が弱って、立ち上がるのが大変になった。
けれど、そのままウンチをする事だけは、
彼女は 最期までしなかった。
最期にもう一度 きれいにしてあげられれば
もっと良かったけれど。
息子とふたりで火葬場に連れていき、骨壺に入れた。
息子に 病院に行ってもらった。
「お世話になりました」と伝えて、
検査の結果を受け取って来てもらった。
先生は ビックリして、
「ずいぶん突然でしたね!」
とおっしゃったそうだ。
「元気だったのに!」と。
往診を頼むどころか、
「先生、大変!」と駆け込むこともしなかったから。
受け取った検査の結果表には、
年齢を感じさせない、
元気いっぱいの愛犬の数値がならんでいたから。
年末の大掃除は、愛犬の気配を消す行為だった。
いつものように、あまり掃除らしい掃除はしなかったが。
これから 暖かくなったら、少しずつ消してゆくのだろう、私が。
節分の豆を撒いた。
のっそり起きて、退避する愛犬はいなかった。
撒いた豆も なかなか消えなかった(笑)。
(今日は カラスに食べてもらえてようで、ほとんどなくなっていた。)
ヨタヨタ歩いていた愛犬の記憶は、
不思議と だんだん 若返っていった。
外に出る時には 駆け寄って飛びついてくる愛犬を予感して
用心しながらドアを開けた。
外から帰ってくる時には
愛犬の声に耳をすませ、
コンクリートの犬走を走ってくる足音を待った。
外に目をやる時には 愛犬の<居場所>を
いつものように 無意識のうちに探す。
ここに いない。
ならば、あそこか。
あれ? あっちかな?
そうだ、いないんだ。
私の目は いつも 愛犬の方を見ていたらしい。
目が、戸惑って、ウロウロしてしまう。
それにも、もう慣れて。
「次の犬を」と 亭主が言う。
「家の中で飼ってもいいならね」と 私が答える。
次の犬は、いつになったら、やって来るやら。
我が家でも愛犬と2匹のニャンコを見送りましたが、
毎回ゴメンねという気持ちになりました。
できるだけの事はしていてもね。
きっと、お家の自分の居場所で最後を迎えたワンちゃんは幸せだったと思います。
トラが亡くなって一年と少し、今でも、床の上に置いてあるバッグや洗濯物などを見て、ハッとすることがあります。
良く足もとに丸まっていたので……
息子は「猫飼いたいな~」と無責任に言っていますが、私が留守の時に責任を持って見てくれるならイイよと言ってあります。
その内、又仔猫を拾ってくるんじゃ無いかと怖いような楽しみなような気持ちです。
寂しくなりましたねえ。
確か保険所から連れてきたんでしたよね。
ジョルジュさん一家命を助けられ
幸せに暮らせた器量よし、BBちゃんだったと思います。
健康診断は、よかったんですか。
でも、大切に育てて貰い、幸せだったろうと、折々のお話で思います。
次のワンちゃんもう決めましたか。
うすうす感じながらだったのでスッと本題を受け入れられました。
年末の大掃除から、、ジョルジュさんがたどってきた時間の経過をなぞったようです。文章の力には不思議な作用があるものですね。
とにかく、記事になるまでには、これだけの時間経過が必要だったんだなとも思いました。私も淋しいですわ。
大切にされた思い出とともに逝ってしまいましたね。旅から帰ってくるのを待っていたなんて。
庭と家、ワンコも好き嫌いがあるんだなぁ。
16歳超&放し飼い。幸せだったに間違いない。
いえ、もっと早く書けるようになっては いたんですが。
ジャジャ馬さん、
ジャジャ馬さんのところのトラちゃんのお話、思い出します。
愛犬は捨て犬でしたが、捨て犬って、最近、いないんですよね。
だから、亭主が拾って来るってことは ないと思います。
ネコちゃんは、いますかね。
風さん、
そう、BBです。
次の犬は きっとBBと比べられて、大変だろうと思います(苦笑)。
だから、もうしばらくは、いなくても、いいかな。
彼女を拾って、我が家には福が来ました。
えみちゃん、
そう、すぐには記事にできなかったのです。
そして、時間を空けている間に
書きたい事が 少し 変わってきたのでした。
そして いつもこうして記事にすると
不思議と もっと前を向けるのです。
とほさん、
覚えていてくださいましたか。
首の皮膚を傷めてから、「庭で放し飼い」状態でした。
そして、柵を何度も壊されて、その対策が大変なのでした。
亭主がとほさんみたいにマメな人だったら、頑丈なのを作ってくれたでしょうに。
私も 彼女は 我が家に来て 幸せだったと信じたいです。
我が家の愛犬のお散歩仲間も次第に年老いて、15歳を過ぎて急に弱っていく姿を見かけます。
時々、B.Bちゃんはお元気なのだろうか?と案じておりました。
視線の先に愛犬の姿を探す・・・
人間の家族は勝手に外出しますが、犬は脱走しない限りいつもそこにいる存在ですから。。。
大人になってから飼った犬は大切な仲間だと感じます。
もちろん幼い時に飼ってもらっていた犬も大切な友でしたが、
愛おしさと切なさの深さが違うように思います。
息子さんがジョルジュさんとともにお見送りの場にいらした事
B.Bちゃんにとってもジョルジュさんにとっても良かったなぁと思います。
犬も猫も長く生きるようになりました。
昭和のしっぽを残して、犬が犬らしく飼われた時代はB.Bちゃん世代までかもしれないですね。
ジョルジュさんのような気持ちで、愛犬の晩年を過ごせるかと考えると
私は全く自信がありません。
ジョルジュさんのところに美人さんのB.Bちゃんがいてくれたことは、犬飼いの私にとっては幸運なことでした。
B.Bちゃん、ありがとう♪
大人になってからのペットは、責任感が違いますね。
いろいろ、新しい事を学習させてもらいました。
子供を育てながらのペット育てでしたが、
子供が親を親にしてくれるように、
彼女も私を 十分に育ててくれました。
そして「老い」と「死」とを見せてくれました。
さまざまな事を考えさせてくれました。
それはもう、本当に、じゅうぶんに。
結さんとの結びつきを深めてくれたのも、彼女でしたね。
こんな素敵な贈り物を我が家に(裏の土手に)置いていってくれた人を、
もう、恨むことができません(笑)。
晩年のゴールデンレトリバーを 台車に乗せて 公園に散歩に連れて行ってた人を知っています。
穏やかな、子供が好きな子で、子供が寄ってくると 嬉しそうにしていたそうです。
本当に寝たきりになったら 私もそんなふうにするのかな? と思っていましたが
とてもできませんでした。
する間もありませんでしたが。
どうするのが その子の幸せか、なんて、飼い主でなければ、わかりませんよね。
彼女は あれでよかったのだろうか?と 今でも時折 考えますが、
私には あれ以上はできなかったし、
あれしかなかった、と 自分を納得させています。
彼女にとって「ベスト」ではなかったとしても、
「ベター」な看取りができていたとしたら、
私は それで十分嬉しいのですが。