1月4日(金)22時 学生時代同期のBIGNOBUKO嬢からメールがきた。
文面読んでとても爽やかに気持ちは和んだ。
初富にある同期の墓参りの報告だ。
以下文面
今日鎌ヶ谷に行ってきました
風が強くすごく寒いので
お墓に行っても
お線香がつかないのでは?と思いつつ
とりあえず
寄ってみる事にしました
思ったより風の影響もなく
また
寒さも耐えられないほどでもなく
いつものごとく
話が出来ました
ブログに
年末年始に会いに来られずに
とても気になっている旨書かれていた事を話しましたが
彼は
「心配しなくていいよ! いつも一緒に居るから……
忙しいのに ここまで来なくても 大丈夫!
思っていてくれるだけで いいんだよ」
と言っている声が聞こえるようでした
“千の風になって”
の歌詞ではありませんが
私は
本当に
お墓に眠っているばかりではなく
忘れないでいてくれる人に
風になったり
時には光になったりして
寄り添っている
そんなふうに思えました
彼がいなくて寂しくなった時
そっと周りを見回してみて下さい
やさしく風が吹いていたり
穏やかに光が降り注いでいたり
雨が降っている事もあるかもしれません…
そんな時は
きっと彼があなたのそばにいてくれるのです
私も
父と
母とそして長姉と訣かれましたが
いつもそう思って過ごして来ました
あなたが健康で
幸せに生きていてくれる事を
きっと願っているはずです
今日は
墓守女として
お墓の住人の声を通訳(?)させて頂いた次第です
以上
気持ちが楽になった。
だが、心残りが二つある。
24歳の時、北アルプスで転落死した山岳部同期の墓参りをしていない。
種々事情があって彼の眠る墓が移転して所在は不明。
もう一人は51歳の時、脳腫瘍で亡くなった。
実家は富山で墓も富山市内にあるのだが
墓参りには躊躇している。
遠距離だからではない。
岩手から嫁いだ奥さんは旧家の慣習と村社会の間で
生きてゆくには行動が制約されている。
私が墓参するには富山駅からバスに乗るか
タクシーで行くことになる。
その実家から又車に乗り、富山平野の田んぼの畦道に立つ
墓に行かなければならない。
一度行ったが、木の板を渡しただけの小川を渡り
前は富山湾、振り返れば立山連峰を仰ぎ見る。
地理不案内の私が黙って行くことは不可能。
どうしても、嫁さんか息子に案内を頼まなければならない。
墓参すれば、接待する慣わしがあって
その負担を掛けたくなかった。
同期が昏睡状態になり余命1週間の知らせを受け
旅行中だったが急遽取り止め富山に向かった。
その状況を山岳部OB会に連絡した。
先輩達は見舞いに行くと連絡してきた。
私は「見舞いは止めて欲しい」とお願いしたが
聞き入られず、同期の母親、嫁さん、息子も知らないのに
病院へ行った。
私は同期の複雑な家庭関係を聞いていた。
同期の嫁さんの立場を考慮せず
悲しみと混乱の家族状況に土足で上がりこんだ。
嫁さんからは、「くれぐれも気持ちだけで結構です」と謝辞を言付けられていた。
家族にとって見知らぬ先輩と称する集団に応対する余裕は無かった。
先輩方は見舞いと称して、その後宇奈月温泉で遊んだ。
一週間後、同期の葬儀には来なかった。
私は先輩に怒鳴った。
山岳部の上下関係もOB会も「糞くれー」と泣いた。
自己満足と自己顕示を満たす欺瞞行為が許せなかった。
私はOB会の組織と断絶した。
親友のほうが大事だった。
心残りだ。
人の一生における最善のもの。それはだれの目にも触れない、だれの記憶にも残らない、愛と思いやりのこもった細やかな行為。 |
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