馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

二つの病院を廻る。

2013-01-19 23:20:59 | 日記

8月16日(水)午前中 事務所で仕事済まして

昼飯食べずに半蔵門線に乗った。

13時池尻大橋の病院に着いた。

妻は会計清算窓口の長椅子に座っていた。

    

3年前の子宮頸癌の治療はまだ続いていた。

放射線治療だけで快復に向かった。

定期的に大学病院と駒沢の医療センターで検査、検診を受けている。

 

今日の検診で腫瘍マーカーが大きくなったと医師に告げられた。

治療後2年経過した頃が、大きな分かれ道で

再発と沈静化のどちらかになる。

妻は再発の可能性も出てきた。

2月初旬には又再検査をする。

先週 やっとお袋がこの病院から転院したのだが

次は妻だ。

妻と池尻大橋から246号を渋谷に向かう。

山手通りに左折して、日本蕎麦屋で食事。

私は辛味蕎麦 妻は鍋焼きうどんを食べた。

   

15分程で松涛のお袋が入ったホスピタルの看板の建物に入った。

ホテルフロントのような受付。

大理石の床、広い廊下

2階に上がる。

4人部屋の廊下側のベッドで目を開けていた。

 

額とお腹の湿布を取り替えた。

しかし直ぐに忘れ、又貼り代えを要求する。

 

お袋に話しかける。

「弟が作る沢庵より、お袋が作る沢庵のほうが旨い」

お袋は「にこりとする」

「早く元気になって横浜に帰えって、沢庵を漬けてくれ」

お袋の目が輝く。

 

真向かいのベッドに上品な老女がベッド半分を上げてこちらを見ていた。

妻が感嘆の声をあげる。

「なんてきれいな方だ!顔に皺がなく色白く上品

若い頃は美人だろう」

女優さんかな?

 

15時病院を出て渋谷に向かう。

妻と道玄坂を歩くのは初めてのこと。

16時、神保町で私は都営新宿線に乗り換え事務所へ

妻はそのまま押上まで乗車。

 


新年会 東京駅銀の鈴前 待ち合わせ。

2013-01-19 21:55:41 | 日記

1月15日(火)新年会。

集合場所は東京駅銀の鈴前 18時待ち合わせ。

ボケが進んで銀の鈴の場所が分からず

駅員に二度も尋ねた。

 

銀の鈴前は懐かしい。

40年前、新入社員だった。

横浜相鉄線三ツ境駅から乗車

横浜駅で湘南電車か横須賀線に乗り換え

東京駅で下車。

大手町にあった会社に通った。

いつも遅刻ギリギリで総務のお爺ちゃんに小言を言われた。

総務の受付の女子社員は下向いて、くすりと笑った。

退社時間にビル玄関に総務の女の子が待っていて

「今日も遅刻ね」と声掛けられた。

じゃ!19時半銀の鈴で待ってる」と囁く。

そう言うと彼女はオフイス街の谷間に消えた。

http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/6312f55e1055619f8bbeaf09cb8a4949

 

東京駅丸の内北口での記憶が蘇った。

私は若かった。

オフイス街から帰宅するサラリーマン OLが丸の内北口ホールに殺到する。

18時半 その北口ホールの人込みの中で

会社の同じ部署の女性を平手打ちにした。

彼女の仕事のミスを黙ってカバーした。

それを上司に密告した。

私は激しい叱責を受けた。

 

後にも先にも女性を叩いたのは一度だけ。

彼女は翌日から2日間出社しなかった。

出社するとべたべたの化粧をしていた。

頬が腫れたのかとも思った?

 

http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/e250edcdb1bd8cae62934252186018c6

 

http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/5466916ea7c7419a7c8159f51d6d1bc6

 

彼女は上司と不倫関係にあり又立場を利用したトンネル会社を

二人で作っていたが、それは後に判明することだった。

 

秋田出身でタレントの佐々木希とそっくりの美人だった。

 

その彼女とも八重洲地下街で食事したり

買い物に付き合った。

 

その後私は新橋で皿洗いの屈辱を2年間強いられた。

彼女達はどうしているのだろうか?

 

学生時代同期二人は18時、銀の鈴前にいた。

八重洲側の通り渡り中央通りを少し歩き

左に曲がると中華レストランがある。

大きな餃子と坦々麺が旨いので有名だ。

 

体育会バトミントン部にいた同期は石油会社の東京支店勤務で

中華レストランの近くだったので

ここで飲み食べた。

あいつも大阪転勤になり東京駅から見送った。

 

その後福井東尋坊にある油槽所勤務になった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B0%8B%E5%9D%8A

暫くして葉書が来た。

「東尋坊の先は落ちる以外にないので

退社して生まれ故郷の山形米沢に帰る」と書かれていた。

その後、賀状交換はするが会っていない。

 

60代半ばの同期オジサン3人は

餃子を食べきれず、レバニラも食べきれず

だが、ビール、焼酎ボトルは飲み干した。

八重洲地下街で又日本料理の店に入った。

40年前の記憶にあった店は全てなかった。

  

ラーメンストリートなるところがあって

行列する店と客がちらほらする店があり

興味深い。

出店要請側も出店業者も自信、勝算があっての

ラーメン店なのだが、有名店が集合されれば

そこでも激しい優勝劣敗の法則通りになる。

ラーメン好きな人には有り難いが

ラーメン屋、自ら発生した地域で

食べさせてこそ地域活性化とその地の味が生まれる。

    

日本料理店も9時半お開きとなった。

 

今回 2店で飲んだが私は飲み代を払っていない。

他の自営老人が支払った。

 

いつも弊社の柳橋事務所で飲んで

世話になっているので今日の支払いは要らないと言う。

 

私は言った。「それは違う」

「世話になり気遣いして頂いて感謝しているのは俺だ」

 

22時帰途の乗車中 娘からメールが入る。

「今、新木場から乗車」

同じ電車だ。

確認すると、私は6両目、娘は2両目に乗車。

22時半 下車駅のホームに娘はいた。

帰宅して食事して風呂に入り

明日早く出社。

私はゆっくり自宅出て、夕方飲んで帰宅の毎日。

 

日本の若者に「申し訳ないオジサンです」と感じた。

 


排水菅清掃業者、とんだ濡れ衣被害。

2013-01-19 17:30:32 | 日記

1月15日(火)自宅のパソコンがおかしかった。

メールもネットも繋がらない。

10年前、現マンションの引っ越したが

当時としてホテルライフ、満喫

前は大ショッピングセンター

高層マンション、海が見える

東京まで30分

室内は床暖房、乾燥室、ディスポーザシンク

水は一括浄水

インターネット完備

こんなチラシを信じて

20年近く住んでいたマンションから5分ほど離れたこのマンション引っ越した。

 

「わしらが悪いんです、社員は悪くありません」とテレビ画面で

嗚咽した社長がいた。

その証券会社の研修所と社員の運動場が倒産後

複雑に絡み合った債権者の同意を得て建築された。

 

入居早々は宣伝文句と裏腹にトラブルが続いた。

年間400万円も支払う浄水装置も返って

水を腐らせる原因となって契約解除。

メール、ネットも繋がらず中断した。

最近5年程はトラブルなかったが

 

屋上にある水道タンク修理と各戸の排水工事が同日に行われた。

夜になると各戸の蛇口から水が流れなくなった。

水道タンク修理業者と排水工事業者は別だったが

水道水が流れないのは排水業者のミスだと住民は怒った。

実際はタンク修理業者がバルブを閉めてしまったのだが

屋上でそのような工事をしていることに居住者は気付かなかった。

 

排水菅清掃業者は、とんだ

水のトラブルで

濡れ衣を着せられてしまった。

 

今回は15日からメール、ネットは使えず

ブログ更新も出来なかった。

マンション内のサーバーは管理者も気合が緩いのだろう。

フロント掲示板にも謝罪告知はなかった。

 

15日 午後はブランド革巻きボールペンの検品作業。

海外製作するが、日本到着後は弊社が防波堤となり

入念な検品、名札取り付け、箱入れ、荷造りが行われる。