7月5日(金)午前中日本橋で用事を済ませ
柳橋に向かった。
今日は事務所内ランチは無しだ。
浅草橋駅下のラーメン屋天竜に入った。
店主が病で休業していたが、元気になり再開した。
味噌ラーメン、チャーシュー2枚盛りを頼む。
天竜のチャーシューは大きく肉厚で絶品だ。
今まで食べ歩いたラーメン屋では秀逸だ。
ビールをチャーシューをつまみに飲む。
いや!旨かった。
17時 柳橋から徒歩で銀座線三越前まで歩く。
渋谷駅で下りて東急文化村を抜け
山手通りにあるホスピタルに入った。
お袋の病室に入る。
お袋は目覚めていて、ティッシュで口元を拭いていたが
痰を拭き取れない。
私が口元を拭いてあげる。
時計は床に落ちている。
いつも弟夫婦が見舞いに来るのを、時計を見ながら待っているのだ。
19時弟夫婦がやって来た。
お袋の顔が少し明るくなる。
大学病院の副院長である義妹が、鼻と喉を吸引してあげる。
義妹が「お兄さんが来たのよ、どっちのお兄さんか分かる」?
と声かけた。
かすれ声で私の名前を言った。
お袋は苛立つとベッドのスチール棒を叩くのだ。
言いたいことが言えないのだ。
義妹が言う。
「お兄さん、お母さんの体を動かしてあげていいのよ」
「自分では動けないから、少し乱暴でも体をずらしてあげるの」
なるほど、そう言うことか!納得する。
19時半 「帰るよ」と言った。
お袋は手を左右に少し動かした。
松涛の閑静な高級邸宅街の道は白壁から緑の木々を覗かせ
ポツリポツリと街灯が行き先を示す。
電信柱に介護ホスピタルの散策路と表示がある。
介護士が車椅子を押して三途の川を渡る時だけしか
自宅戻る事の出来ない老人に生きている
証を確認させるのだ。
この道を抜けると、別世界が開けている。
唱歌 春の小川の歌だった川は埋め立てられ
外国人の若者集団が何処かに向かう。
見舞いの帰り道はいつも心が落ち込むのだ。
春の小川の道沿いの居酒屋に入った。
生ビールと串揚げ、炭酸で割ったマッカリを飲む。
センター街には若者の嬌声と梅雨空の蒸し風が充満。
死を待つ人達と、優雅な暮らしをする住民と
甘美な饗宴の街は今の私には辛い。
28年前、渋谷の交差点を新潟越後湯沢から
霊柩車に客死した親父を乗せて通った。
川の流れのように、刻々とすべてが移り変わり、ひとときも同じではないのだ。
泣いたり笑ったり、くよくよと悩んでみたり。
今日も終わる。
本日の歩数計
25191歩
18137m
3時間37分
1321カロリー
異常でした。