馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

小売していない春のアクセサリー。

2014-04-12 17:35:26 | 日記

4月12日(土) 事務所は休みだが、アマゾン注文の商品があるので

イケメンは事務所で荷造り発送をしている。

4月6日までは、イタリアガラスペン、羽根ペン、ボールペン等の

ステーショナリー注文が多かったが

今週になるとピタリと止まった。

入学、入社祝いが終わったからだ。

 

代わって、アクセサリー類が多くなった。

 

桜のブレスレット

イタリアメンズアクセサリー

 

又、歴史武将シリーズ 家紋ピンバッジ

相変わらず、直江兼続愛のピンバッジは売れる。

坂本竜馬のバッジもだ。

日本刀と桜のネックレスは隠れた人気だ。

何処にも売っていない。

日本男児のプライドだ。

 

春になりゴルフシーズン到来、武将シリーズ、家紋ゴルフマーカーが

売れ出したぞ。

 

アマゾンショップ

株式会社 三商ショップ

 

 


未来の選択肢に、MAYBEはない。

2014-04-12 16:25:59 | 日記

4月11日(金)午後2時 石川県山中温泉から漆器関係の会社の方が来社。

朝、飛行機で来てプレミアムショーを見てから

弊社で打ち合わせした。

蒔絵ボールペンの部材を安定的に供給してくれる

会社が無くて困っていた。

取引最初は安く製作できますと言うが

一年程経過すると条件変更として価格アップ

数量アップを要求するそうだ。

 

弊社から仕事を奪うために詐欺的行為でするのだが

やはり、専業ではないので行き詰るのだ。

再度、弊社に注文しても直ぐには安定供給は難しい。

愚かな九段スズキ本店長野利男を騙した

木村醜芸のような会社が

不況で多くなった。

 

17時 総武線で代々木に出て山手線に乗り換え

17時50分渋谷駅に下りた。

交差点 センター街は若者の群れ移動で前に進まない。

 

サバンナのヌーのごとく纏まっているようで

纏まっていない群れがアッチコッチの店を右往左往。

ヌーの群れを脱出して閑静な松涛邸宅街に出た。

サバンナを抜けて豹とゴリラと鳥が棲むような静かな森だ。

 

能楽堂を抜けて緩い坂を上がると

正面に大木がある邸宅前に出る。

玄関扉を塞ぐように千手観音のごとき

何本もの腕を広げ

「おい!待て!何処へ行く」

 

この木何の木、気になる木だ。

18時10分 介護病院に着いた。

お袋は体調が良いようだ。

聞き取り難いが懸命に話す。

私もしっかり耳を傍立て聴く。

私の妻の容態を案じる。

孫である私の息子と娘の状況を尋ねる。

「みんな元気だよ」と答える。

 

19時半 弟夫婦が来たので介護病院を出た。

帰り道を変えて駅に向かう。

 

煙草屋の看板を見た。

 

「未来の選択肢に、MAYBEはない」

なるほどね、そんなあやふやはダメか?

確信を持って生きろか!

 

日本国自体が政治や経済に混迷しているが?

私のような貧乏人には従前、未来の選択肢はない。

明日はどうなる?

で生きてる。

出る杭は打たれ強い。

 

二兎追う者だけが、二兎を得る。


町田米軍機墜落、50年ぶりの再会。

2014-04-12 14:51:58 | 日記

4月11日(金)8時 娘の出勤をベランダで見て

新聞読みながら朝食。

 

大きな見出し

「50年ぶり再会」

「町田米軍機墜落事故」

「心の傷は癒えないが」

記事内容を読んで瞠目した。

 

1964年4月5日 米軍飛行機が町田の商店街墜落。

28歳の妻と生後9ヶ月の長男を亡くした人と

当時救出に当たった消防士が50年ぶりに再会。

生き残った娘も小学6年生の時、米兵が運転する車にはねられ死亡。

 

当時、私はこの墜落現場近くにいたのだ。

17歳だった私は友達を訪ねて

小田急新原町田駅下車した。

5月の連休に八ヶ岳登山をする計画を

友達の家でしたのだ。

 

夕方、商店街を通って、今は町田駅に改名された

小田急新原町田駅ホームにいた。

 

記憶にあるのは、駅ホームが跳ね上がるような

地響きと大爆発音。

何が起きたのか判らずホームに立ち尽くした。

電車は到着時刻になっても来ない。

 

どの位の時間が経過したか憶えていないが

帰宅してテレビニュースで

偵察機が墜落、操縦士はパラシュートで脱出したのを知った。

墜落した商店街現場を十数分前に通ったのだ。

 

友達の家は被害に遭わなかったが

カメラ好きの彼は墜落直後の燃えさかる家を撮った。

あの出来事から50年が経ったのだ。

救出された方は現在80歳、消防士は77歳。

 

人の世の残酷な運命。

20代後半で平凡な家族に襲った生と死。

80歳の今、毎月墓参りをしているが、心の傷は癒せない。

 一回切りの人生。

悲劇が幸劇に変わることはない。

石橋を叩いて渡る生き方しても防げない。

 

あの日から50年生きてきた。

私も友達の家を十数分遅く出たなら

17歳の春で人生は終わった。

 


走って出勤。

2014-04-12 11:13:48 | 日記

4月11日(金)7時半、ベランダから娘が駅へ向かって

横断歩道を渡らず小走りで横切るのを見た。

一緒に暮らしながらも姿を見るのは少ない。

私が起き出す頃に出勤、帰宅は午前0時過ぎ。

土日も遅めに出勤するが、私が早朝ウオーキング帰ると

既にいない。

土日も0時過ぎ帰宅。

心身の疲労で顔に吹き出物ができた。

心配だが見守るだけだ。

残業も休日出勤手当てあまり申告してない。

娘が言った。

「仕事能力がないと認定されるので申告しない」

 

今年になり休んだのは正月2日だけだった。

娘曰く 「私だけではなく、みんな遅くまでしている」

 

霞ヶ関の仕事は判らないが

そんなに忙しいのに景気は回復しない。

なぜ?