4月11日(金)8時 娘の出勤をベランダで見て
新聞読みながら朝食。
大きな見出し
「50年ぶり再会」
「町田米軍機墜落事故」
「心の傷は癒えないが」
記事内容を読んで瞠目した。
1964年4月5日 米軍飛行機が町田の商店街墜落。
28歳の妻と生後9ヶ月の長男を亡くした人と
当時救出に当たった消防士が50年ぶりに再会。
生き残った娘も小学6年生の時、米兵が運転する車にはねられ死亡。
当時、私はこの墜落現場近くにいたのだ。
17歳だった私は友達を訪ねて
小田急新原町田駅下車した。
5月の連休に八ヶ岳登山をする計画を
友達の家でしたのだ。
夕方、商店街を通って、今は町田駅に改名された
小田急新原町田駅ホームにいた。
記憶にあるのは、駅ホームが跳ね上がるような
地響きと大爆発音。
何が起きたのか判らずホームに立ち尽くした。
電車は到着時刻になっても来ない。
どの位の時間が経過したか憶えていないが
帰宅してテレビニュースで
偵察機が墜落、操縦士はパラシュートで脱出したのを知った。
墜落した商店街現場を十数分前に通ったのだ。
友達の家は被害に遭わなかったが
カメラ好きの彼は墜落直後の燃えさかる家を撮った。
あの出来事から50年が経ったのだ。
救出された方は現在80歳、消防士は77歳。
人の世の残酷な運命。
20代後半で平凡な家族に襲った生と死。
80歳の今、毎月墓参りをしているが、心の傷は癒せない。
一回切りの人生。
悲劇が幸劇に変わることはない。
石橋を叩いて渡る生き方しても防げない。
あの日から50年生きてきた。
私も友達の家を十数分遅く出たなら
17歳の春で人生は終わった。