8月20日(水)午前11時 錦糸町から両国橋を柳橋に向かって渡っていた。

強烈な陽差しに頭を極度に下げ路面を黙々と見詰めた。
車道と歩道とを仕切る柵フレームが、陽差しを受けて影絵のようだ。

じっと真下に目を落とすと影絵が 母の漢字に見える。

母 母 母と数珠繋ぎのごとく橋の袂まで続く。
目頭が潤んだ。
母は大正13年8月20日生まれ
今日で満90歳になった。
今年正月2日を想い出す。
8月22日(金)17時半 JR渋谷駅を降りた。
スクランブル交差点は黄昏時だが、強烈な陽差しと
若い男女の群れの熱気が小さな交差点に渦巻く。

外国人が両手を掲げカメラで光景を写し取る。

香港の街角は世界各国の人種が入り乱れて
通り過ぎるが清潔感がない。
スクランブル交差点の外国人、日本女性は洗練され格段に綺麗だ。
喧騒のセンター街に入った。

リュックに短パン、帽子、ジョギングシューズの
腹出た私が歩くのは似つかわしくない。
通りは独特の臭い、人の体臭、食べ物屋からの臭い
換気の臭いが蒸し風呂のような通りに充満して
体に纏わり付く。

突然静かになる。
センター街から、春の小川の道に入ったのだ。
その路を抜けると爽やかな風が吹きぬける。

人通りが途絶え閑静な邸宅が並ぶ。
緑の街路樹を抜ける風の何と心地良いことか!

鍋島公園のベンチに座り、池の鯉と亀が
濁り水から、ピシャ!と音ともに浮かび上がる。

渋谷駅の賑わいからタイムスリップしたように
静寂がある。
ここには 現総理、副総理の屋敷があるのだ。

ひとしきり、池のベンチで体の火照りを冷まし
お袋のいる病院へ向かった。
8月16日には実兄と見舞った。
お袋はティッシュの箱をベッドに叩き
人を呼ぶ仕草をしていた。
暫くして弟夫婦がやってきた。
お袋は甘えた表情を見せた。
先日 90歳の誕生日を院内ホールで祝ってもらい
その疲れで体温が高目だった。
大学病院の副院長兼看護部長である
義妹は介護病院でも治療が出来るので
鼻 喉の吸引をする。

お袋は2度死んだのだ。
横浜の自宅で呼吸が止まったが
2階にいた義妹が気付き
応急措置をして戸塚の病院へ救急車で運び
安定させると、救急車に乗り込み
渋谷の大学病院で治療入院させた。
2度あったが素早い義妹の処置で助かった。
運が良く身近に医療に携わる親族がいるのは心強い。
だが、この生命維持処置がお袋には
良いことのだろうか?
絶えず逡巡している。
生きていたいと、お袋が思っているので
役立たず男3人兄弟は見守っている。