8月3日(日) 羽田空港国際線ANA10時5分で飛び立つ。
14時、台北松山空港に着く。
今回の台北へ来た目的は、お世話になった方の子息が
台湾留学するためのお手伝い。
父親と大学3年生の息子をガイド。
亜熱帯の島 空港ゲートを出ると激熱がお出迎え。
へい!社長 !と呼ぶ声。
KENNYとの6年振りの再会。
早速、20歳の若者のトレーニング開始。
空港内 中華電信カウンターでスマホの設定を申し込む。
スタートは車に乗りランチだ。
機内食を少しだけ食べていた。
いつも、海外出張の時は前夜の夕食、当日出発の朝食は食べない。
飛行中機内でのトイレが煩わしいのと、大腸に異変を生じると辛いからだ。
座席指定はエコノミーだが通路側、トイレ近く
或いは非常出口を指定する。
ANAの6年振りの飛行機だが、格安航空券が出回り
各社の空中戦が拡げられている。
機内での新聞 雑誌サービスも無く
機内食も質素、飲み物サービスも無くなった。
3時間余りの飛行時間なので不満もなく
ゆっくり眠れて私には快適だ。
飛行場に向かう電車内で空中小姐らしき
綺麗な女性が真向いに座っていたが
その彼女がクルーにいた。
飛び立って高度を上げている機内は
シートベルト着用OFFになっていなかった。
突然 後ろの席から大声で
「漏れそう、漏れそう、漏れそう」
台湾人発音で叫びだす。
後ろには友人の息子が座っていて、その隣の中年男性だ。
機内は静まり緊張状態。
空中小姐が冷静に静かに
「お座りください、お座りください」
一歩もひかない。
シートベルト着用ランプが消えた。
中年男性は子供を抱えてトイレに向かった。
20歳の若者は小学5年生の時にグアムに家族旅行の経験があるだけ。
後で聞くと相当怖かったと言った。
最初の体験だ。
くれぐれも用足しは事前に済ませ、胃腸は軽くすること。
さて、出迎えKENNYのトヨタ車で向かったのは
牛肉麺の旨い店だ。
古い家並と狭く、くねった道路を蛇の如き進み土手沿いの店に入った。
台湾小皿 胡瓜、茄子、豆腐の揚げ物が並び
台湾ビールを飲んだ。
店内はクーラーがあるが天井には扇風機が回る。
玄関は開けたままだ。
牛肉麺は旨い。
20歳の若者がテレビ、雑誌、グルメ情報で得た知識は観光客向け。
初っ端からヘビーでディープな台湾光景に直面。
お父さんは、本物の台湾を見せて大喜びだ。
食べ終え 西門と言う若者が集う賑やかな街角に行く。
日本の原宿、青山に相当する。
通路のテーブルで台湾のかき氷で喉を潤す。
街角の女性は生足がスラリと伸び
日本女性は太刀打ちできない。
でも可愛差で断然優る。
17時 車に乗り土手沿いの見覚えのある道を走る。
台北市ではなく三重市に来た。
ここは軽工業地帯。
弊社取引先の筆記具工場があり
経営者と食事をする。
先ずはオフイスで新製品のタッチペンを見せてもらう。
日本ではヤマダ電機で販売中。
十字路が見渡せる2階のレストランで
イタリアンと台湾料理がミックスしたコース料理を堪能。
やはり食べ過ぎだ!
台湾社長(北京語では老板呼ぶ)がエピソードを
留学する友人の息子に語った。
私の息子が台湾留学した10年前の事だ。
私の息子がアルバイトとして日本語教師をしていた。
台湾社長の娘が14歳、私の息子が16歳の時から知り合いである。
ある日、二人は焼肉店で食事していた。
隣のテーブルに息子から日本語を習っている女性がいた。
その生徒はイケメン息子に憧れていたそうだ。
その女性と社長の娘は同級生だった。
社長の娘に交際できるように懸命に頼んだそうだ。
息子は関心がなかったようだ。
そのようなロマンスもあり、言葉も覚えるようになると言った。
その後、台湾社長の娘はオランダ留学をした後
オランダ人と結婚した。
今はオランダに在住して子供も生まれた。
21時 老板(社長)と別れホテルに向かう。
場所は木柵の地名 動物園が近くにある郊外だ。
22時 ホテル着
私はどのようなホテルか 分かっていたが
ホテルのゲートを潜り抜け、各部屋前にある個別駐車場に車を入れた。
すると、シャッターが金属の擦れる音ともに降りて閉まった。
キーを差し込み、室内ドアを開けた。
暗闇だ。
キーに付いたカードを室内壁にある差し込み口に差し込んだ。
瞬間 室内の電球が全てを照らした。
見まわして。
う~ん!唸った。
続く。