8月6日原爆の日
世界の歴史に永遠に刻み込まれる最大に愚かな行為
この時期になると甦る小さな記憶
今から37年前、西暦1973年昭和48年8月4日
夏休みを取って夕方外出しようとしていた
電話が鳴った、応対すると大学山岳部先輩から
「お前の同期が北アルプスで転落した」
8月5日早朝松本行き列車に3人で乗車。
他に大学山岳部同期一人と私が当時1年部員で4年生だった先輩
この先輩は転落した同期の高校山岳部先輩でもあった。
夕方上高地に着く、ドシャ降りの豪雨
山小屋には既にご両親と弟が到着していた。
母親は山装備をした私達をすがりつくように見ていた。
父親と弟も茫然と夏とはいえ高地で降りしきる冷雨を
傘も差さずに遭難現場に向かう私達を送った。
8月6日早朝滑落したと思われる北アルプス北尾根を登攀
名前は北尾根だがハイカールートでは無く
所謂字のごとくよじ登るロッククライミングだ。
雪山登山としては大学山岳部が目標とする先鋭的登山だ。
私達3名は滑落起点に到着、後から来る支援OB現役部員を待つ。
14時、他9名が到着。
3人が各自30メートルザイルを3本持ち
支援部隊にザイルを繋ぎ降りていった。
垂直の岩場を落石が生じさせないように静かに岩壁を
注意深く見ながら雲一つ無い紺碧の空から黒岩と白の残雪
の谷底へ250メートル下った。
緩やかな残雪混じりの傾斜地に下りた。
この高度には通常ハエがいないのだが飛んでいる。
ハエがたかっている岩と雪の間に同期は挟まっていた。
持参した寝袋に遺体を入れる、首の皮一枚が繋がっているだけだ。
ザイルでしっかり縛り上げる。
トランシーバーで引き上げ開始を伝える。
ゆっくりと尾根に向かって引きあがっていく。
私は最後に続く。
支援隊が見える所まで来た、上から怒鳴っている。
私に向かってザイルを繋げと叫んでいた。
私はザイル確保無しで登っていたのだ。
暫く待つとザイルが降りてきた。
しっかり結び頂まで着いた。
私まで滑落する二重遭難を引き起こすところだった。
暮れ行く岩峰の下に遺体を置き下山。
8月7日早朝 遺体を収容すべき11人にて登攀
岩尾根をザイルで皆繋がりながら登り下りを
無言で引っ張る。
夕方 涸沢と呼ばれるアルプス生成期の頃の氷河跡に辿り着く。
ここからは平坦な下り坂になる。
巨大リュックサックに同期を入れるため
体を二つ折にする。渾身の力で
ボキリと音がする。
私は担いだ、両肩に同期の足が出ている。
幕営地まで来た。疲れているのだろうが
心身共に高揚することとか沈むことを感じていなかった。
その夜私以外は松本に宿泊
谷底で北アルプスの岩峰が月明かりを受け漆黒の砦のごとく
何物も寄せ付けない迫力で迫っていた。
小さなテントで食べ物もなくじっとしていた
傍らにはリュックに包まれた遺体
同期は高校山岳部OB会仲間としての登山であった。
後に分かったことだが、高校山岳部の技量、体制、組織力
資金力では北アルプス北尾根登攀は力不足だった。
ザイルも持たず、しっかりしたリーダーも置かず
仲間内の暗黙ルールで登攀
現実的には高校山岳部OB組織では救助、収容作業はできず
茫然と見守る意外なかった。
元々同期は先鋭的登山を好まず、岩登り、冬山には
参加していなかった。
それが今回の登攀ではトップを受け持ち果敢に挑んだと言う。
この北尾根こそ 井上靖の小説 氷壁の舞台となり
度々 映画化 テレビ化されたナイロンザイル切断転落死事件の場所でもあった。
私の古いアルバム1968年2月 北アルプス北尾根のカラー写真がある。
紺碧の空と雪 しかし雪峰を雪崩と滑落に神経を集中しながら登った。
撮影者は現在、有名大学の学部長になり、一人はヒマラヤ遠征隊長になった。
そして後二人は中途退学と社会に出て行方不明。
山岳雑誌にも掲載された写真だ。
最近 山での高齢登山者の遭難は度々ニュースとなる。
個人的な気持ちを言えば
無謀と危険、冒険の境目が理解出来ないのだろう。
先年、ある方に11月のアルプス登山を誘われたが
登山する方の年齢、山歴を聞いて参加を断った。
冷雨と寒風、氷、雪混じりの危険を理解せず
私に「意気地ない」と冷笑した。
登山の基本的知識と山での生活技術を教わることなく
商業ベース化されてしまった娯楽に潜む危険
募る方も参加する方も無知と無謀が一瞬の隙を突いて
山では襲い掛かることを体験していない。
体験した時は既に手遅れ
その夏終わり頃、深夜、寝ていた。
古い木造家屋で雨戸も戸板だった。
突然、大風で雨戸がガタガタ揺れた。
まどろみの夢なのか分からないが
6畳の部屋が黄金色に輝いた。
私は目を開けたような気がした。
黄金色の輝きで眩しく薄めで見た。
眼前に親指程のものが見える。
小人が正座してニコニコして私に向かって
お辞儀している。
「おお!来たか」と叫んだ。
やはり同期は来たのだ。
私は直ぐに寝入った。
それから2年後 同期の在籍していた高校山岳部から
彼の遺稿集 山仲間の思い出 が届けられた。
淡淡と遭難報告経緯と記録、当人が書いた文章、山仲間の追悼文があった。
私の名前はなく 只、大学山岳部OB協力と記されていた。
この同期の墓も知らない。
8人いた山岳部同期は私一人になり
輝かしき70年以上続きヒマラヤ遠征3回を誇る体育会山岳部も
時代の趨勢に合わず在籍部員が一人もいなくなり
自動的に廃部となってしまった。
6月25日食道癌で亡くなったあいつはその事を知っていて
「厭世気分」になるなよと励ましてくれた。
その友人は未だ墓に入らず私の住まい近くで
骨壷にいる。
私は下から2番目にいる。バテているわけではないが最後の男が身長182センチ
私は165センチ前と後ろで歩幅合わず上下動が辛かった。
正面が氷壁 後方の峰直下から転落
同期転落原因は前日の豪雨で岩が緩み取り付いた岩が抜け落ちて
その岩を抱いたまま滑落した、一度傾斜地で止まったが、恐らく気を失った
彼は踏み止まれずに250メートル滑落。
彼は社会人2年目 大手メーカーに勤務 当時25歳
今、生きていれば62歳
遺稿集に交際していた女性の追悼文があった。
その最後の文に
これからも毎年夏がおとずれるたびに、彼のことを思い浮かべるでしょう
何時までも良い想い出として。
8月22日(金)
午後、2時 ガラスペンをリボン包装して明日午前着で送って欲しいとの
電話依頼があった。
ご依頼のお客様は男性である。
弊社に在庫してあるので、直ぐに包装して宅急便で送り出す。
金曜日は、緊急発送が多い。
プレゼント品に悩み、ギリギリ時間に注文するのでしょう。
2月の豪雪の時、ご注文頂いた海外土産品の蒔絵ボールペンが
交通遮断で納品日に届かなかったことがあった。
緊急依頼には懸命に対応するが、想定外アクシデントがある。
お客様も依頼された私達も天候には十分気配りしましょう。
デザイナー女性が、新作の
蝶ネックレス スターリングシルバー バタフライネックレスを製作した。
秋近し、女性の胸元に蝶が舞い降りる。