馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

アンチャンとお袋の見舞に行く。

2014-08-16 23:40:08 | 日記

8月13日(水)

午後2時 秦野からアンチャン(実兄)がやってきた。

アンチャンの呼び方は下町では

戦後直ぐに生まれた男兄弟では普通の呼び方である。

 

70歳の現役予備校古文講師である。

センター国語満点作戦をネットで無料公開している。

 

柳橋事務所に来てブログセンター国語満点作戦を更新する

 

ネット操作は全く不得手なので

事務所に来て操作を教えてもらいながら打ち込む。

 

17時 更新完了したので一緒にお袋の見舞いに行く。

毎日、見舞いしている弟夫婦が嫁さんの実家信州に盆帰りした。

寂しがるお袋に会いに渋谷に向かった。

 

松涛の病院に18時着いた。

長男であるアンチャンが来ると

お袋は大喜び、帰ろうとするアンチャンの腕を摑んで離さない。

次男である私には関心を示さない。

悲しいが幼い頃からそうだったので諦めている。

貧しい家庭で戦後、男の子を3人育てるのは容易ではなかった。

どうしても、真ん中は、はみ出してしまう。

 

19時病院を出る。

アンチャンは井の頭線神泉駅から帰るので

駅近くの居酒屋に入った。

 

 

和風でおしゃれな店内。

カウンター席で飲む。

入店当初は空いていたが

若者が入ってきて満席になった。

場所柄なのか、皆ファッションセンスが良い上品な男女だ。

 

オジサン達にはチョット高目だが

刺身盛合わせが旨い。

  

日本酒も地酒が揃い

知らぬ名前の酒を飲んだ。

アンチャンにご馳走になった。

20時 アンチャンは神泉駅から下北沢乗換えで

鶴巻温泉駅に帰る。

私は神泉駅から一駅渋谷に出て

銀座線に乗車する。

男兄弟は貧乏なので、60代後半でも働き続ける。

頭良くない、世渡り下手だが

体頑丈だ。

嫁さんが皆優しい。

資産もなくそれだけだ。

 

 


深刻な相談。

2014-08-16 21:44:12 | 日記

8月11日(月)午後 2時 2年程前まで取引のあった会社の

女子従業員が尋ねてきた。

少し 遅れて男性がやってきた。

お二人とは久しぶりの再会である。

 

男性は大手会社を数年前に定年退職。

その下で働いていたのがこの女性。

女性も中途で退職して、私が知っている会社に勤めたのだ。

 

ブログに登場する敵前逃亡する社長のところだ

 

敵前逃亡する社長Ⅱ

 

1年前にも柳橋に相談で来たのだ。

 

今回は突然 解雇通達され8月25日付けで退職。

彼女は30代後半独身。

もう一人、30代半ば、妻子抱えた男性も解雇。

 

去年8月 前社長は内部留保金 1億円から

退職慰労金として女専務と8千万円持って退任した。

残された従業員5人は、内部留保金2千万円で事業を継続することになった。

前社長は将来の経営展望がないことが分かり

経営責任を果たさず逃げたのだ。

結局 1年間頑張ってみたが資産を食い潰しただけだ。

 

私もサラリーマン時代労組書記長だった。

陰湿、陰険な方法で会社を辞めなければならなかった

 

女性も男性も取引先から引き抜いた。

そのコネクションを利用して取引顧客から

有利な商売を企んだのだ。

それが消滅した途端、御用済みとなった。

一緒に来られた男性が在籍した会社は日本有数の優良企業。

彼女が働いた会社に販促品を注文していた。

だからと言って、湯水のように販促品をばら撒くことはしなくなった。

無駄なく経費を切り詰め雇用安定だけを優先している。

大企業の下で細々と商売する零細企業は辛い。

大企業が経営財務で小数点以下の数値の仕事は切り捨てられた。

販促などはこれに当たる。

 

彼女に言った。

借金まで負わせられた訳ではないからましです。

 

サイコパス九段スズキ本店 長野利男美保子夫婦のように

 

3億円の借金を従業員、金融機関、下請けに負わせ

私のところへ夜逃げした。

助けた私達をも裏切り又逃亡した。

 

その事を話すと、彼女は溜息ついた。

 

現在倒産件数が減少と報じられているが

実際は零細が資産を守るために

廃業しているからだ。

 

解雇されたもう一人の男性は

前社長を「八つ裂きにしてやりたい」と言ったらしいが

その気持ちは理解する。

 

実際には出来ないので社会的信用を失う広報しかない。

 

消費税アップは、世の中に深刻度をアップさせる。


日本女性の浴衣姿は蒔絵だ。

2014-08-16 16:02:49 | 日記

8月6日(水)ブログ日付は遡るが

台北から帰国した翌日

夕方 17時 浅草橋駅際 ぶたいちろうにまっしぐら。

立ち飲みで生ビール、焼きトン、煮込みを全身が欲していた。

  

萎えていいた心が落ち着く。

立ち飲み通りを浴衣の少女達が通り過ぎる。

  

昨日まで

台北の街角をスラリとした生足で闊歩する

台湾小姐を眺めたが

そそと

艶やかな浴衣姿、内股で歩く日本女性は可愛いな!

正しく 生きた蒔絵ですな!

 

アマゾンショップで蒔絵マウスパッド販売。

   

アマゾンショップ


台北番外編Ⅱ.

2014-08-16 14:46:39 | 日記

8月14日(木)台北に同行した友人と息子が

16時、柳橋にやってきた。

   

私の息子が12年前の台湾留学体験を聞くためだ。

息子さんが、台湾留学で世話になるKENNYと

私の息子との関係を知り、又顔合わせが必要であった。

北京語学習書は、台湾での大学共通の師範大学教科書を使用する。

 

場所を居酒屋に変えて実体験を話す。

息子が留学中に盲腸で手術入院。

KENNYはベッド下床で寝て看病した。

5日間で退院後、私は台北に渡った

息子は嫌がったが、息子を心配したのではなく

世話してくれた大家のオバサンとKENNYに

感謝のお礼をするためだった。

退院当日 炭火焼肉と酒をみんなで飲んだ。

まあ!むちゃもしたのだ。

 

日本では想像できない日常茶飯のインパクトある生活。

楽しんでもらいたい。

 

ずっと昔は文化果てる島と呼ばれた。

オランダの植民地になり

その後、日本人の母と台湾人の父との間で

生まれた 鄭成功がオランダを追い出した。

日清戦争で日本の植民地になった。

 

大陸で国民党と共産党との内戦で敗北した

国民党 蒋介石が台湾に逃亡して

中華民国を作った。

 

台湾映画 名作 非情城市に描かれた

台湾人の苦しみを学んで欲しい。

 独立国家と認められない台湾で語学だけでなく

政治、経済、文化を肌で実感。

極東島国日本の単線国家観から

違った反対方向から見ることによって

複線的価値観が容認できるようになる。

20歳で、特殊な国で学ぶのは素晴らしい。

このチャンスを逃すと、北京語も

アジア文化の真を学ぶのは困難になる。

 

8月25日に台北に旅立つ。

夕方 松山空港にKENNYは待っている。

 

お母さんは羽田空港で泣いてしまうかな?


台北番外編。

2014-08-16 11:29:12 | 日記

8月14日(木)

ブログ更新が暫く止まった。

台湾でテンション上げ過ぎたのか

羽田空港に下りた途端、萎えてしまった。

GDPも6.8%落ち込み報道もあった。

堂々と想定内数値だと国家経営者は言った。

暫くすれば、消費税アップ前に買い込んだ物も底を尽き

僅かばかりの蓄えを取り崩し、泥棒、万引き、恐喝、詐欺してでも生き抜く。

そしてまもなく上昇すると明言。

民間企業、特に零細経営者は、胃袋に僅かに溜め込んだ

物まで吐き出して従業員の生活保障を支えているのに

全く現実実感がない。

国家経営者に悲壮感 切迫感の苦悩が滲み出ていないのだ。

 

和泥合水の精神がなく

溺死寸前の庶民を自ら泥水に飛び込んで

助けることもせず、下の者に

支持命令するだけ。

こういった連中が戦争を起こし

貧しくて働き口のない若者を兵隊にするのだろう。

あの時代に数百万人の貧しい若者の命は失われた。

学徒出陣が悲劇的に語られるが

無学で物言わぬ若者悲劇が大多数だったのだ。

台北でKENNYに台湾の景況感を聞いた。

良くない。

日本と同様に正社員に成れず、契約、パート、アルバイトが多く

男子の結婚が出来ず晩婚化が進んでいる。

KENNY が勤める二部上場の鉄プレスメーカーは

中国にも工場がある。

中国の景気尋ねた。

基幹産業は低迷している。

中国の会社と直接取引はリスクがあるので

外資系企業を通して販売しているそうだ。

日本 台湾は労働条件差別化、賃金差別化で

不況を乗り越えようとしているが

中国は55の民族で形成された共産国家だが

民族差別の労働条件で経営している。

生産した富は漢民族が優遇され、他民族は

過酷な労働条件と低賃金を押し付けられた状況。

ウイグル、チベットと少数民族が不満爆発、暴動は当然のことだ。

 

愚かな隣国が戦争を仕掛け、集団的自衛権で応戦する。

そうすれば、国家経営者の無能は隠される。

 

少子化の貴重な若者を失う訳にはいかぬ

最後のご奉公は、役立たずで、年金食いの団塊世代が

戦うことにしよう。

 1997年7月1日

香港が中国に返還された時

次は台湾が狙われると

KENNYは言った。

 

その時は 「俺は命をもって中国に参戦する」

   

平成2年8月 忠烈嗣

あれからの年月を経て

KENNYに聞いた。

 

「中国と商売をしていく以外ない」

「仕方ないと」溜息をもらした。

 

日本も台湾も喧嘩は出来ないのだが

売られた喧嘩は買う以外ない。

 

 

 

16時 台北に同行した友人と息子が柳橋事務所にやってきた。