馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

義妹に感謝!

2015-04-22 18:03:20 | 日記

4月22日(水)

病院には12時に着いた。

妻は中央エントランスの長椅子にいた。

既に診察も終わり会計も済ました。

子宮頸癌発症から5年目。

年末まで三か月に一度の検査診察と

駒沢の医療センターに半年に一度の診断をする。

兆候が無ければ完治となる。

今年3月まで義妹が副院長をしていた大学病院。

義妹の心強い助けにより、放射線治療のみ

抗癌剤も使わず、手術もせずに

安定した治療を続けられた。

感謝!

義妹は退職したとはいえ、学会の要職に就いているので

その仕事に従事する。

 

12時半 病院近くの店で食事後

246号線沿いを渋谷方向に歩く。

 

今日は風もなく柔らかい陽射しが国道を照らす。

国道分離帯に目をやると、驚くべき光景。

分離帯のコンクリートに布団が敷かれ

寝転ぶ男が見える。

  

ホームレスである。

屋根代わりの首都高があるとはいえ、排気ガスと騒音にまみれ

悠然と寝ている。

馬喰町駅地下通路と隅田テラスのホームレスは見ているが

 

フランク永井の名曲 夜霧の第二国道がホームレス長屋になるとは!

 

 

妻が指さす。

 

「あれを見て」!

「あんな処に住んでいる。洗濯物がぶら下がっている」。

246号と山手通りの交差点際にブロックのような

建物があった。

大きなマンションと山手通りに挟まれた

小さな4階建て、その先には

デコレーションケーキを何等分かしたような建物。

歩くに快適な陽気は、面白い光景に気づく。

 

13時25分 松涛の介護病院に着いた。

 

妻は久しぶりに義母に対面。

お袋はくぐもった声で「寂しい」と言う。

妻はお袋の痰を丁寧に拭き取ってあげる。

 

看護師長が入って来て言った。

 

妹様は退職されたそうですが

「これからどうされるのですか」?

「聞いていません」

「あれだけの方ですから、参議院議員選挙に出られたどうですか?

 

私は看護の世界は知らないが、看護婦から

大学病院の副院長になるのは、殆んど無いらしい。

看護師の職務に希望を与えたらしい。

 

お袋が90歳を越えたのも、義妹が身近にいたからだ

自宅で何度も倒れ心配停止状態になったが

緊急措置して横浜の外れの家から

渋谷の病院まで深夜運んだのだ。

14時半 病院を出て松涛邸宅街を通り

道玄坂に出た。

 

長い行列が続く、昨日 オープンしたタコスの店

タコベルだ。

 

 

15時 半蔵門線乗車。

私は神保町で乗り換え事務所に戻る。

妻はそのまま乗って自宅に帰った。