馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

城達也のジェットストリームを眺めたくて!(再掲)

2015-09-10 08:55:19 | 日記

2014年7月26日

7月25日(金)午後4時 突然思い立ち

羽田国際空港に行くことにした。

8月3日には羽田から台北に飛び立つ。

久しく羽田には行っていない。

壁面に飾った感謝状を見た。

平成十年八月十八日の日付だ。

この日、警視庁東京空港警察署で

私への感謝状贈呈式があった。

それ以来だから16年が経過した。

感謝状の内容は省く。

 

デザイナー女性も行きたいというので一緒に都営浅草線で出かけた。

17時半 国際空港へ。

颯爽と空港内を歩く制服の女性。

何の業務なんでしょうか?

私の娘も2年前まで成田空港勤務だった。

朝帰りもあり、ストレスで吹き出物が出ていた。

 

出発ゲートに行列はなく静かだ。

空港内ロビーも人影も疎ら。

ショッピングアーケード内を歩いた。

櫓が組まれ、日本文化を紹介する場所。

江戸情緒漂う商店通り。

 

飛行機に乗らない人達も楽しめるようだ。

 

18時 展望デッキに上がる。

夕暮れだが暑さは衰えない。

 

国際線滑走路の対面に国内ターミナルが見える。

航空会社の案内板を見るが

成田空港より、かなり少ない。

と言うことは 手続きでの待ち時間が少ないかも?

19時 レストラン通りでイタリアン ピザ パスタを食べる。

 

美味しい。

わざわざ、日本人が高い和食を食べる気にならない。

 

城達也のジェットストリームを眺めたくて

再び 展望デッキへ上がる。

 

城達也の甘い声が

夜の天空に飛び上がる飛行機が点滅して闇に溶け込む

闇から煌きながら飛行機が下りてくる。

城達也のソフトな語り口が私の耳元に入り込む。

 

人はなぜ夜の空港が好きなのだろうか?

見知らぬ異国への憧れと不安

帰国する郷愁に心は揺さぶられる。

 

ずっと一人旅だった。

台湾 上海、北京、香港

気持ちが重いまま飛行機に乗ったのだ。

夜 成田空港に着陸するとバスゲートで煙草を吸い

日本の夜空を紫煙とともに見上げた。

 

初めて台湾に旅立った時に想い馳せた。

国内での仕入先に嫌がらせ、妨害を受け

仕事に行き詰っていた。

その仕入先会社は今では潰れかかっている。

 

台北在住の後輩を頼り飛行機に乗ったのだ。

海外工場との取引が出来なかったら

会社を閉じなければならなかった。

朝9時半発の台北行きがトラブルで出発が

午後2時になった。

台北飛行場で待つ後輩に連絡がつかないまま飛び立った。

午後 6時 後輩は台北空港で待っていた。

 

思想的に問題有り、破壊者の汚名を被せ会社を追放されて

8年が経っていた。

幼子二人を食べさせなければ

真面目でも生き抜くことが困難だった。

死ぬこと、下がる事、前進することもできず

あがいていた。

残されたのは飛び上がることしかなかった。

私の将来を切り開いたのは空港を飛び立った瞬間なのだ。

それから 台湾には100回以上行くことになった。

 

輩はブログにも書いたが人生の恩人

 

夜の静寂の空を見上げて、点滅する飛行機を見詰めた。

苦しかったあの頃を回想して泪目になった。

 

2階に下りた。

待合椅子で寝転ぶ外国人。

宿泊費節約のためだろう。

 

20時半 ロビーは人が増えていた。

リムジンバスで帰宅することにした。

21時5分発、西船橋、船橋駅行きに乗ることにした。

デザイナー女性は21時25分初、八王子南大沢行きに乗車。

国際線乗り場では二人だけで一番前の席に座った。

国内線乗り場では行列で満席になった。

京葉道路を渋滞もなく走る。

21時34分、葛西臨界公園の大観覧車が前方に見える。

西船橋駅で大半の乗客が下車。

羽田で働くサラリーマンが多いようだ。

22時10分 船橋駅に着いた。

電車より乗車時間は短く楽だ。

駅から2.8キロ歩き22時40分自宅着。

丁度その時、デザイナーからLINEメールが来た。

「今、聖蹟桜ヶ丘です」

 

返信した。

「今日はご苦労様でした」