北海道山中で行方不明男児が生きて発見良かった。
連日続く捜索にも関わらず、何ら足跡が無いのが
実に謎で奇妙だった。
6日間水のみで孤独に過ごし
心身衰弱もなかった。
私も
小学3年生の時、仲良しだった同級生が誘拐された。
2日後、遊園地の倉庫で袋に包まれた状態で発見された。
誘拐犯は捕まらなかった。
子供心にも強烈な記憶として残っている。
実は私も小学4年生の時、行方不明になった。
動機は憶えていないが、多分、母親に怒られたのか?
同級生と喧嘩したか?
先生に叱られたのか?
休み時間に川辺に向かい
お爺ちゃんが釣りしているのを見ていた。
お爺ちゃんが釣竿を貸してくれて夢中になった。
気付くと夕陽になっていた。
急いで学校に戻った。
学校は大騒ぎだった。
職員室から、担任の女の先生が飛び出してきた。
私を抱きしめて泣き出した。
その時 先生の香水の強烈な匂いを憶えている。
学校から自転車の荷台に乗りお袋が連れ帰った。
お袋は関係先に謝罪をして
生徒に御礼のノートを一冊づつ贈った。
幼い頃から冒険心が強く?
両親に反抗的だった。
集団で群れるのが嫌いだった。
ガキ大将にも従わない意地っ張りだったので
石を投げられたりしたが
逆に追いかけてドブに落としたり
自転車に乗っている年上の子を落とした。
又喧嘩になり階段から突き落とし
大怪我させ親が大金を払った。
お袋を再三泣かした。
しかし 自らが相手に悪さしたわけではない。
小学生時代の山への想いを書いたブログ
豆腐の思い出に子供心の想いを馳せる。
それから
53年前の事
17歳になったばかり
丹沢山塊登山した。
登山の知識はなかった。
質屋で中古の登山靴を買い
米軍放出のヨレヨレの寝袋を貰い
夏の初め、一人丹沢表尾根を登り
鬼ガ岩で寝袋に包って満天の星空を眺めた。
深夜 熊笹を掻き分ける音がして動物が徘徊していた。
次の日、丹沢最高峰 蛭が岳を越え
奥深い桧洞丸に着いた。
頂上直下で寝袋だけで過ごした、
翌日 姫次(ひめつぎ・ひめつぐ)の草原で寝袋に入る。
三日目 山梨側 道志側川沿いに下山
橋本に出て横浜自宅に夜帰宅した。
3日間 水も食料もなく山道を歩き
熊に遭遇の恐怖も知らす
負傷もせず歩き通したのだ。
大人ではないので無知とは言えない。
ケロッとして帰ったのだ。
又もや 息子が山から帰って来ないと
大騒ぎになり、学校でこっぴどく怒られた。
その時の登山装備は
殆ど食料を持たず、ビスケットと2リトルの水筒
セーター1枚だった。
豆腐の思い出にも書いたように
北海道の男児も本能が働いたのだ。
私は
親への反発は凄かった。
男3人兄弟の真ん中。
心は寂しかった。
両親に振り向いてもらいたかった。
心配してもらいたかった。
困らしてあげたかった。
野生の遺伝子が覚醒して
情報、方角知識、距離の長さ、疲労などの
考えてもいない。
正しく無知なのだ。
力はないが
子供は疲労しない。
疲れない。
眠れば直ぐに疲れもせずに動くのだ。
赤ちゃんが30分ほど睡眠して
直ぐに動き出す。
又眠る。
そして活発に動き出す。
犬が遠くに置きざれても
飼い主の住む家に戻る。
親に捨てられた残留孤児が
生きのびる。
野生本能が生命力を呼び覚ますのだ。
私は現在も登山する時、前夜軽い食事して
当日は、ポカリスエットを一本買う。
しかし、余程のことが無い限り
食事はせず、飲料水飲まない。
下山後に飲む。
危険だと忠告されるが
自分なりの体調感覚を本能で感じ取る。
北海道の少年
成長すれば、社会の成り立ち、優しい人々
そして両親の子を思う気持ち
他の誰よりも理解する。
良かった!
後年 大学山岳部に入部。
一番小柄だったので
直ぐにバテテ辞めるだろうと思われたが
8人入部したが、バテズ歩き通した。