こんばんは。
今日から雨降りますと聞いて、少し期待していましたが日中は陽射しもあり、暑く感じられました。
今は曇っていますが、さてどうなんでしょうね。
朝日もぼんやりだったのですけれど。
今日、またいつものように上の住宅団地の方まで散歩しておりますと、以前ここへも書きました池の辺りである一人の女性と会いました。
池というよりも、そこは貯水池というのか上の団地と関係ある浄水を兼ねたようなため池という方が良いのかもしれません。
その池には鯉が何匹か泳いでいます。
いつの頃からそこへ放されたものやら、誰かが意図的にそこへ入れたのやら、全く存じないのですけれど、結構な年数が経っているのでしょうね
上から見ても、30センチはあるような鯉が泳いでいるのが見えます。
池の周りは柵がしてあり、中には入れません。
池自体、人工のものですので、その中に鯉のえさとなるようなものが居るとも思えません。
そのような池の近くで、先ほどの女性は高く伸びた草を持参されていたカッターで切るというか、刈っておられました。
どうしてされておられるんですか、とうかがうと、この池にいる鯉に毎日餌をやりに来て、ついでにこうして伸び放題の草も刈ってるんですよ
と話して下さいました。
この池の近くと通るたびに、この鯉たちはどうやって餌を調達してるんだろう、と疑問に思っていましたが、この女性のように誰かが此処を
訪れては、このように餌をやっているんだということが判明しました。
誰が最初に此処へ鯉を放したのやら、全く分からないけれど、誰かが必ず目を掛けているんだなということが分かり、安心しました。
自分もやりにくれば一番いいのでしょうけれど、歩きに出るときには全くその事を覚えていないばか者故、どうにもなりませんね。
誰にも知られず、このように草を刈ったり餌を上げたり、善意は人知れずともあるものなんだと感じさせて頂けた出来事でした。
こう考えると、誰も知らずともこうした方が気持ちいいからとすることが、結局は周りの為になり、そうすることで気持ちよさも広がり
それがまた次の気持ちよいことに繋がっていくのでは、とも思います。
誰かが、一つでもゴミを捨てると、それがいつの間にか悪い循環になり、余計に汚れていくという、悪いループになることもあります。
それを、誰かがいうからではなく、自分が気持ちよいと感じるから始めてみるというのは、最初は受け入れられずとも、それが次第に周りを
巻き込んで広がっていくということもあるようですね。
実際に、そのようにして相当に汚れていたといわれる新宿駅東口の掃除をたった一人で始めた荒川祐二さんという方が著わした「半ケツとゴミ拾い」
という書物を読んだことがあります。
初めはだめな自分を変えたいとの思いだけで、何もわからぬままに、毎朝同じ時間に駅へ行き、落ちたゴミを一つ一つ拾っていったそうです。
場所柄なのか、その辺りはヤクザなオニイサンや、表題になっている半分オケツの見えているようなホームレスのおじさんやらが、はじめのうち
こそは白い目で見ていたような人々がいつの間にか彼とともに掃除をし始め、汚れているのが当たり前だったその駅周辺が次第に綺麗になって
いったというものです。
自分はこの著書を読むまで全く存じませんでしたが、当時はこのことは相当な反響を呼んだようで、マスコミに取り上げられたり官邸にまで
彼は足を運んだりしたようです(だったと思います、もし間違っていたらごめんなさい;)
そこの部分は、しかし、付け足しのようなものとも思います。
取り上げられたかったからするのではなく、していたら、たまたまそうなったということだと思います。
人に良く見てもらおうとして、或いは目立とうとして事をするのなら、芸を見せる人の方が妥当だと思います。(あくまで自分の意見ですけれど)
人に知られるとかどうとか、そんなことは全く考えもせずに自分が気持ちよくなれることだからと始めることは、誰にも知られずともどこかで
何か良い結果を生むのでは、と思います。
これを日本では昔から陰徳を積むという言葉で表していますね。
ですが、そのように陰徳云々などとも思わずに、いつの間にかそうしている自分であれたなら、とも感じます。
出来ていない自分だからこそ、尚のことそう思うのですけれど。
今日も、さて何書かせて頂こうか、と思いつつ、書いてみるとこのようなことを綴らせて頂いておりました。
口幅ったい文章にて申し訳ございません。
そんなブログに本日もお付き合い頂きまして、ありがとうございました。
感謝申し上げます。
ご相談等、承っております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方の方へお知らせ頂ければと存じます。
今日から雨降りますと聞いて、少し期待していましたが日中は陽射しもあり、暑く感じられました。
今は曇っていますが、さてどうなんでしょうね。
朝日もぼんやりだったのですけれど。
今日、またいつものように上の住宅団地の方まで散歩しておりますと、以前ここへも書きました池の辺りである一人の女性と会いました。
池というよりも、そこは貯水池というのか上の団地と関係ある浄水を兼ねたようなため池という方が良いのかもしれません。
その池には鯉が何匹か泳いでいます。
いつの頃からそこへ放されたものやら、誰かが意図的にそこへ入れたのやら、全く存じないのですけれど、結構な年数が経っているのでしょうね
上から見ても、30センチはあるような鯉が泳いでいるのが見えます。
池の周りは柵がしてあり、中には入れません。
池自体、人工のものですので、その中に鯉のえさとなるようなものが居るとも思えません。
そのような池の近くで、先ほどの女性は高く伸びた草を持参されていたカッターで切るというか、刈っておられました。
どうしてされておられるんですか、とうかがうと、この池にいる鯉に毎日餌をやりに来て、ついでにこうして伸び放題の草も刈ってるんですよ
と話して下さいました。
この池の近くと通るたびに、この鯉たちはどうやって餌を調達してるんだろう、と疑問に思っていましたが、この女性のように誰かが此処を
訪れては、このように餌をやっているんだということが判明しました。
誰が最初に此処へ鯉を放したのやら、全く分からないけれど、誰かが必ず目を掛けているんだなということが分かり、安心しました。
自分もやりにくれば一番いいのでしょうけれど、歩きに出るときには全くその事を覚えていないばか者故、どうにもなりませんね。
誰にも知られず、このように草を刈ったり餌を上げたり、善意は人知れずともあるものなんだと感じさせて頂けた出来事でした。
こう考えると、誰も知らずともこうした方が気持ちいいからとすることが、結局は周りの為になり、そうすることで気持ちよさも広がり
それがまた次の気持ちよいことに繋がっていくのでは、とも思います。
誰かが、一つでもゴミを捨てると、それがいつの間にか悪い循環になり、余計に汚れていくという、悪いループになることもあります。
それを、誰かがいうからではなく、自分が気持ちよいと感じるから始めてみるというのは、最初は受け入れられずとも、それが次第に周りを
巻き込んで広がっていくということもあるようですね。
実際に、そのようにして相当に汚れていたといわれる新宿駅東口の掃除をたった一人で始めた荒川祐二さんという方が著わした「半ケツとゴミ拾い」
という書物を読んだことがあります。
初めはだめな自分を変えたいとの思いだけで、何もわからぬままに、毎朝同じ時間に駅へ行き、落ちたゴミを一つ一つ拾っていったそうです。
場所柄なのか、その辺りはヤクザなオニイサンや、表題になっている半分オケツの見えているようなホームレスのおじさんやらが、はじめのうち
こそは白い目で見ていたような人々がいつの間にか彼とともに掃除をし始め、汚れているのが当たり前だったその駅周辺が次第に綺麗になって
いったというものです。
自分はこの著書を読むまで全く存じませんでしたが、当時はこのことは相当な反響を呼んだようで、マスコミに取り上げられたり官邸にまで
彼は足を運んだりしたようです(だったと思います、もし間違っていたらごめんなさい;)
そこの部分は、しかし、付け足しのようなものとも思います。
取り上げられたかったからするのではなく、していたら、たまたまそうなったということだと思います。
人に良く見てもらおうとして、或いは目立とうとして事をするのなら、芸を見せる人の方が妥当だと思います。(あくまで自分の意見ですけれど)
人に知られるとかどうとか、そんなことは全く考えもせずに自分が気持ちよくなれることだからと始めることは、誰にも知られずともどこかで
何か良い結果を生むのでは、と思います。
これを日本では昔から陰徳を積むという言葉で表していますね。
ですが、そのように陰徳云々などとも思わずに、いつの間にかそうしている自分であれたなら、とも感じます。
出来ていない自分だからこそ、尚のことそう思うのですけれど。
今日も、さて何書かせて頂こうか、と思いつつ、書いてみるとこのようなことを綴らせて頂いておりました。
口幅ったい文章にて申し訳ございません。
そんなブログに本日もお付き合い頂きまして、ありがとうございました。
感謝申し上げます。
ご相談等、承っております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方の方へお知らせ頂ければと存じます。