日々徒然なるままに

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神様について考えてみた;

2018-06-22 21:22:09 | 神様等について
こんばんは。
暑くなりましたね。
朝はそうでもなかったのに日中はかなり蒸し暑さを感じました。
この辺りは明日から雨とのことですがどうなるんでしょうか。
鹿児島辺りは五十年に一度の大雨といわれているようですし酷い被害がないことを祈ります。




                               


                          



                             






                             






                              






                               




いつもの朝の写真より枚数多くなっておりますけれど;。(笑)
昨夜雲もなく晴れており、半月より若干太くなった月が山の端へ沈んでいくのを眺めておりました。
中空にある時にはそれほど動いている様子はわかりませんが、近くに山なり建物があると、こんな具合に少しずつ動いているというのが見て取れ
それだけでも面白いものです。
星空も綺麗でしたし、そのようなことから朝方はこの時期としてはかなり冷え込んだのかもしれません。
遠方の北東に位置する山裾辺りに棚引くような霧を見つけ、これも綺麗だなと感じて撮ったものでした。
この霧もわからぬ程度に少しずつ移動していくようで、しばらくすると跡形もなく消えておりました。





                                 




夜、寝る前に少し本を読んでおります。
その時により違いますが、今はこれまでにも何回か繰り返して読んだことのある『出雲大社』 千家尊統(せんげたかむね)著 学生社刊
という本です。
名前からも、またその題名からも分かるように出雲大社の国造(こくそう)第八十二代となる出雲大社宮司 千家尊統その方の著されたものです。
今の大社の国造の祖父に当たる方ですね。
最初にこの本を読んだのはおそらく二十年近く前だったかと思います。
信者さんが買い求められたものでしたが内容が若干難しいというので代わりに読んで?と頂戴したものでした。
その当時、今と同じようにやはり寝る前に読んでいた記憶がありますが、その頃は自分自身も読んでみてもよく分からない;(苦笑)という感じで
とにかくもはや読むこと自体が自分に課した義務のように感じておりました。
信者さん同様、どうにもこ難しく感じておったのだと思います。
その後、やれやれやっと読んだと思いつつも内容そのものがよく分からずに読んでおりましたので;何が書かれていたのかすら覚えていないの
でした;。
困ったもんではありますね;。
それから時折読んでは、すぐまた元の場所へ本を返すようなことをしつつ月日が経過しておりました。
次にまた真面目に読んでみようと思えたのは息子が大学に入った後くらいでしょうか。
大学の図書館にこんな本があったよ、と借りて帰ったのがこの本でした。
いやこれなら家にもうあるよ、と言いつつ借りてきてくれた本を読むとその当時は国造が今の千家尊祐(せんげまさたか)へと代替わりした後でも
あり、はしがきに添えられた言葉も若干変わっていたように思います。
へぇ、少し内容が新しくなってるんだと感じておりました。
そんなこともあり、久しぶりでまた一から読み返そうと考えたのでした。
初めて読んだ折にはどうにもよく分からず、また理解しようにもその頭すら無かった;のですけれど、時を経て読んだその本は以前感じていた
わからなさよりもどこかしら面白さを覚えておりました。
それだけ自分が多少なりとも物事が分かってきたからかもしれません。(それまではまるでおバカだったんですよねぇ;、いやほんと;苦笑)
本に出てくる事柄がなんとはなしにでも理解出来てくると、やはりそれだけ面白くなってくるもののようです。
今回、またもう一度読み返してみようと久々に頁をめくりつつ読んでおりますが、また不思議と新しい発見(いや単に気づいただけ;)があったり
して飽きません。
自分が崇敬しております大国主大神、この神とは一体どのような神様であられるのか、また天照大神との関連とは一体どのようなことであるのか
今一度学ばせて頂く思いがしております。





                                     





そんな自分なのですけれど、最近神様というのか多くの存在から言葉を受け取らせて頂くこともあるようになって来ております。
大国主大神、この神は言ってみれば自分の直属の上司のような存在であり(というとなんちゅう;畏れ多いことを言うんでしょうね、全く;)遠く
離れた存在ではありますが、これまでにも一番身近な神様として感じ取らせて頂いております。
天津神、国津神(あまつかみ、くにつかみ)という言葉を聞かれたことがあるでしょうか。
天津神というのはどちらかといえば自然を司る神様、国津神というのは人心を司る神様、そのように考えられてもあながち違うとはいえなくもない
かと思います。
ですので天照大神はいってみれば自然神の最たるものと捉えられるのではと思います。
天を照らす、読んで字の如し、まさに太陽、お日様そのものといえますよね。
ならば自分の崇敬する大国主大神、こちらはさしずめ国津神でもあり、となると人心を司る神様と言えるかとも思います。
このような全く性質の違う神様同士ですけれど、神話、というよりも記紀、つまりは日本書紀、古事記の中では大国主ではありませんが、その親神
とされております素戔嗚尊(すさのおのみこと)と天照大神は荒ぶる弟と姉として記述されておるのはよくご存じのことかと思います。
元々は全く性質の違う神様がどうしてこのように同一線上とでもいうように同じような目線で描かれたのでしょうか。
自分はこれまで記紀で述べられておりますように、何の疑いも無くこういうものだったんだろうなと思いつつ、古のそれらを感じつつ多少の読み下し
文等も読ませて頂いておりました。(読むといっても、本当にただ読んだだけで、これまたようわかっとらんのですよ;)
記紀とはいえ、そこにはその当時の人々の考え、言ってみれば大いなる思惑があったことは否めない事実かと思います。
天照大神は申すまでもなく天皇、皇室の祖神とされておられるのは皆様もよくご存じ、というよりも日本の常識のようなものですよね。
(それはまた、先にも申したように記紀の編纂時にこの天皇の権威を不動なものとするがゆえの物語、神話と結びつけた部分も大いにあるのもこれも
また事実なのは申すまでもないことかと思います。)
その天皇の始祖といえる天照大神と、片や出雲の国で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治しその後の国を治めていたであろう素戔嗚尊が、どこで
繋がりを持つこととなったのか、そこについての考察とも言える事柄を先に書きました『出雲大社』の本の中にその著者である千家尊統その方が
述べておられます。

と、ここまでかなり頭をひねくり回して書いてきたのですけれど;(苦笑)、どうにもう上手く纏まりそうにありません;。
いえ、申したいことはあるのですが、如何せんおバカな自分にはその纏める力が今一つ足りないようで、考える時間ばかりが先ほどから過ぎておる
次第です;。
ですので、非常に中途半端ではありますけれど、今日のところはこのくらいとさせて頂き、続きはまた明日書かせて頂ければと存じます。
尚、上記の文章中に天皇についての事柄を申し述べさせて頂いておりますが、決して皇室を貶める事では全く無く我が国の最も崇敬なされる方である
という事にいささかの違いもありません。
そこのところは何卒誤解無きようお願い申し上げます。

また今日お伺いさせて頂きました大神の言葉もありますが、それらも合わせてまた明日以降、あげさせて頂ければと存じます。
いずれにしましても纏まりのない今日のブログ、誠持って申し訳ございませんです;。





                                   





                                   





                                    






                                   





                                 
                                      




午前中、窓から見るとこんな雲が出ておりました。
なんとはなしに面白くも不思議な形の雲だなぁと感じ、つい何枚も撮っておりました。
この後は夕方に掛けて余計に曇ってきて、青空は見られませんでした。
明日はお天気下り坂のようですね。
どなた様もお気をつけてお過ごし下さいね。
                               


申すように本日はどうにもならんわい;な文章となっております、それでもいつものようにお付き合い頂きました皆様、真に有難うございます。
感謝申し上げます。
    
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