こんばんは。
昨夜から曇っており、天気予報では晴れるといっていたのになと思いながら朝もやはり曇っておりましたが、じきに晴れ間が覗き、一日良いお天気
となりました。
外へいると厚いくらいの陽気でもありました。
今写真をアップして思いましたが、雲間の感じがどことなく木星の表面のガスの模様に似てなくもないかな;?とどうでもいいことに気づきました。
まさにどっちでもいいことですね。(笑)
昨夜寝なければと思いながらなかなか寝付けず、一度起き出してトイレへ行くと時刻は既に午前二時。
ええ;そんなに寝られてないの?と思いながら、何かしらん訳のわからぬ夢を見てように思います。
歳を取ると、どうにも寝づらくなるのでしょうか;。
困ったものではありますね。
そんな日の朝、これまたいきなりテラの長い話が始まったのですけれど、此処へ書き出すとそれだけで終わりそうな勢いです;。
今日はともかく磐座のことを書かせて頂かねばなりませんので、いずれまた折を見て書かせて頂きたいと思います。
もたもや最近このパターンが増えておりまして、申し訳ございません;。
何にも浮かばない時には、それこそポヨヨ~ンと音がしそうなくらい全く何も出て来ないのですけれど、ある時はまさに堰を切るかの如く溢れ
出すように次々と出てきます。
これも何か周期があるのでしょうか。
ともあれ、しばしお待ち下さいませ。(って、いつまで待たせるんでしょうね;)
大きな鳥居のところから目指す磐座までは少し距離があります。
赤土の参道とでも言える道を歩いて行くのですが、雨でところどころえぐれたようになっており、少しばかり歩きづらい場所でもありました。
この赤土というのは何万年は前まではおそらく湖の底であった処と云われております。
そんな赤土に混ざってあちこちに石とも岩ともつかぬ大きさのそれらがゴロゴロとそこいら辺にある感じで、そのような道を登って行きました。
此処も雨のすぐ後ですと相当に登り難い場所のようですが、それを見越したかのようにそのすぐそばへ整備された砂利道が続いておりました。
先に書いた土建屋さんの仕事かもしれません。
ともあれ、えっちらおっちら登って行き、一足ごとに視界が開け写真にあったような木の鳥居まで来た時、思わずうわぁーーっと声が出ました。
ほぼ270度位でしょうか、視界が開けて見晴るかす山並みが一望出来たのでした。
そこだけ本当にぽっかりと空いた山頂に大きな岩を中心として大小幾つもの岩?石?が半円を描くように人為的に配置されているようにも思えます。
けれど中心となる岩はあまりに大きく長い方の一辺だけでもゆうに十数メートルはありそうでした。
こんな高い場所へ誰かが持ってきたとは到底考えられません。
天孫降臨の場であるとされているこの磐座、そうであるかどうかは此処へ来れば、そんなことを考えることすらぶっ飛びそうな程の不思議な空間
でした。
確かに此処へおれば、風が渡る音、微かな鳥の鳴き声、それに現在では空のすぐそばを飛んで行くようなたまさかの飛行機の音しか聞こえて
来ません。
本当に何にもないのです。
何にもない所へ大きな巨石が静かにそこへ据わっておるだけなのです。
hirosukeさんと二人だけ、もしこれでたった一人でこの場へ居たとするならば、そこへ一人三時間、何もせずただ座っていたというさとうみつろう
さんの想いが分かるようでした。
とは言え、自分自身、とにかく、おお~っとか、わぁ~っとか、そんな感嘆詞しか声に出せず、ただひたすら写真を撮りまくっておりました。
さすがに氏の方は静かにシャッターを切っておられましたよ;。(笑)
そんな二人で写真をバシャバシャやっていると登山の格好をした年配のご夫婦が熊除けの鈴をチリ~ンと鳴らしながら登ってこられました。
互いに軽く会釈を交わしましたが、特に話すこともなくじきにそのお二人は下っていかれました。
来しなは、さながらピーカンのお天気で雲一つありませんでしたが、この山を登る頃から次第に雲が出て来、山頂で、ではこれ等の巨石群を撮ろう
とすると不意に日が陰り、そうなると自分のスマホではうまく露出が出来ないようでした。
本当に、今、日が射したと思う間もなく陰るので内心、これって此処におられる神様?がおまえは写真を撮るなと言われているのかな;と感じた
くらいでした。
ですのでかなり撮りはしましたが、此処へ載せるのはどうだろ;みたいなボツ写真も多くあります。(それにしては遠慮なく載せてますけどね;)
お社は一応設けてありましたが、それもおそらく先に申した土建屋さん辺りがそうされたのではとも思います。
お賽銭箱もありましたけれど、これはそのお社の前に据えてはあらず、巨石群の前辺りへ置かれてありました。
つまりは主役はあくまでこの岩が主体であるということを示しておるのでしょう。
いくら沢山の写真を載せたところで、やはり現地でなければこの感覚は伝わり難いのではと思います。
一人でその地へ立ったならば、およそ人間の気配の無い場所で一体何を感ずるのか、それを想うにはとても相応しい場所にも思えました。
その上空には姿こそ目に見えねども数多の龍が悠々と大空を行く様を感じてもおりました。
まさにそこへあるのは自然のみ、そこへ存在するのは人間ではない、もっと大きな存在。
その場所は人が行くのは拒まずとも、感じ取れない人間はすぐさま下界へと降ろされてしまう、そんな場所のようにも感じられました。
どう想っても摩訶不思議な空間、そうとしか言いようがない処でした。
二人してそこへどの位いたのか、かなりな時間を過ごし、いい加減引き返しましょうかということになりました。
赤土の参道?の急斜面を転げないように下りながら、最初の大きな白い鳥居のところまで戻ってきました。
ふと振り返ると、まるで龍の横顔のような雲が見えておりました。
此処はやはり龍達が坐す(おわす)場所、みだりに来るな、或いは逆に良く来たな、また参れと言われたのか、まるでわかりませんけれど出来るの
ならば今度は一人で行き、じっとあの場で瞑想してみたい気がしております。
まさか、あそこへ熊は出ないでしょうから;。(笑)
そんな帰路、山の下りはこれも申しましたようにかなりの石ころがゴロゴロしておる道でして、さすがにそこは運転を代わって頂きました。
助手席から外を見ておりますと、木々の間から先ほどとさして変わらないような大きな岩のような石があちこちに見えます。
それらもですが、ある処まで来るとさながら石の流れがあるかのように数多くの石が川を形成しているように見えました。
なんだ、これ?とまたもや二人して一度下りてみましょうかと車を停め、そこへ歩いていってみました。
言い表すのが難しいのですけれど、大きな巨人がこれまたデッカいバケツに入った大小様々の石を山頂からガラガラガラッとぶちまけたような
感じで石の川が出来ているようでした。
かつて、といっても年数にすれば千年単位、或いはより以上の以前にかなりの水鉄砲が出たものなのか、とにかく石やらが折り重なり合い、何か
を形成しているようにも感じられました。
かと思えば別の方向へは、これはどうみても人為的に積み重ねたのであろうとしか思えない石垣と思しき石の重なりがあったりもしました。
今でこそ木が茂り、こんもりとした森、山の様相となっておりますが、この景色から全て樹木を取っ払ってみたならば、果たしてこれらの石はどの
ようになっているのだろうか、そんなことを考えさせるほど大小様々な石が辺り一面に在る、そんな山でもありました。
山頂の巨石群といい、これらの石の作り出す造形とも何とも言えぬ光景といい、何かがその古に確かにあった場所なのだろうと感じずにはいられない、やはり不思議な場所でした。
山のことは大体こんな感じでした。
その後はようやっとお昼としたのですけれど。
いつものことながらいい加減長いので、この後半戦はもう一度だけ明日に回させて下さい;。
毎度ながらに申し訳ございませんです;。
今週18日、宮島へ正式参拝致します。
もっと早くに申すべきでしたが、不覚にもど忘れ状態でした;。
既にお一人は決まっておるのですけれど、この日、たまたま広島へ来ることになっている、しかも宮島へ行ってみようか、それなら神社も行こうか
そうお考えのそこの貴方!こんなオバサンとご一緒しませんか?
もしそのようにお考えでしたらば、当日9時に広島駅南口にて待ち合わせて、車にて宮島へと向かいますが如何でしょうか。
或いは宮島口にてでも構いません。
秋の一日、紅葉狩りにはまだ早い時期ですけれど暑さもピークを過ぎた頃、そぞろ歩きにも適しております。
そんなら一つ行ってみるか、そう思われましたらばどうぞご連絡下さいませ。
費用は一万五千円ポッキリ(どこがポッキリなんだか;)
この費用には正式参拝の玉串料を含みます。
安芸の宮島へ観光にお越しになりながら、今回の被災地に向けて多少なりともお金を落として行って頂けましたら、これほど嬉しい事はございません。
是非ともご応募下さいませ、お待ち申し上げております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方まで、ご連絡頂ければと存じます。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
昨夜から曇っており、天気予報では晴れるといっていたのになと思いながら朝もやはり曇っておりましたが、じきに晴れ間が覗き、一日良いお天気
となりました。
外へいると厚いくらいの陽気でもありました。
今写真をアップして思いましたが、雲間の感じがどことなく木星の表面のガスの模様に似てなくもないかな;?とどうでもいいことに気づきました。
まさにどっちでもいいことですね。(笑)
昨夜寝なければと思いながらなかなか寝付けず、一度起き出してトイレへ行くと時刻は既に午前二時。
ええ;そんなに寝られてないの?と思いながら、何かしらん訳のわからぬ夢を見てように思います。
歳を取ると、どうにも寝づらくなるのでしょうか;。
困ったものではありますね。
そんな日の朝、これまたいきなりテラの長い話が始まったのですけれど、此処へ書き出すとそれだけで終わりそうな勢いです;。
今日はともかく磐座のことを書かせて頂かねばなりませんので、いずれまた折を見て書かせて頂きたいと思います。
もたもや最近このパターンが増えておりまして、申し訳ございません;。
何にも浮かばない時には、それこそポヨヨ~ンと音がしそうなくらい全く何も出て来ないのですけれど、ある時はまさに堰を切るかの如く溢れ
出すように次々と出てきます。
これも何か周期があるのでしょうか。
ともあれ、しばしお待ち下さいませ。(って、いつまで待たせるんでしょうね;)
大きな鳥居のところから目指す磐座までは少し距離があります。
赤土の参道とでも言える道を歩いて行くのですが、雨でところどころえぐれたようになっており、少しばかり歩きづらい場所でもありました。
この赤土というのは何万年は前まではおそらく湖の底であった処と云われております。
そんな赤土に混ざってあちこちに石とも岩ともつかぬ大きさのそれらがゴロゴロとそこいら辺にある感じで、そのような道を登って行きました。
此処も雨のすぐ後ですと相当に登り難い場所のようですが、それを見越したかのようにそのすぐそばへ整備された砂利道が続いておりました。
先に書いた土建屋さんの仕事かもしれません。
ともあれ、えっちらおっちら登って行き、一足ごとに視界が開け写真にあったような木の鳥居まで来た時、思わずうわぁーーっと声が出ました。
ほぼ270度位でしょうか、視界が開けて見晴るかす山並みが一望出来たのでした。
そこだけ本当にぽっかりと空いた山頂に大きな岩を中心として大小幾つもの岩?石?が半円を描くように人為的に配置されているようにも思えます。
けれど中心となる岩はあまりに大きく長い方の一辺だけでもゆうに十数メートルはありそうでした。
こんな高い場所へ誰かが持ってきたとは到底考えられません。
天孫降臨の場であるとされているこの磐座、そうであるかどうかは此処へ来れば、そんなことを考えることすらぶっ飛びそうな程の不思議な空間
でした。
確かに此処へおれば、風が渡る音、微かな鳥の鳴き声、それに現在では空のすぐそばを飛んで行くようなたまさかの飛行機の音しか聞こえて
来ません。
本当に何にもないのです。
何にもない所へ大きな巨石が静かにそこへ据わっておるだけなのです。
hirosukeさんと二人だけ、もしこれでたった一人でこの場へ居たとするならば、そこへ一人三時間、何もせずただ座っていたというさとうみつろう
さんの想いが分かるようでした。
とは言え、自分自身、とにかく、おお~っとか、わぁ~っとか、そんな感嘆詞しか声に出せず、ただひたすら写真を撮りまくっておりました。
さすがに氏の方は静かにシャッターを切っておられましたよ;。(笑)
そんな二人で写真をバシャバシャやっていると登山の格好をした年配のご夫婦が熊除けの鈴をチリ~ンと鳴らしながら登ってこられました。
互いに軽く会釈を交わしましたが、特に話すこともなくじきにそのお二人は下っていかれました。
来しなは、さながらピーカンのお天気で雲一つありませんでしたが、この山を登る頃から次第に雲が出て来、山頂で、ではこれ等の巨石群を撮ろう
とすると不意に日が陰り、そうなると自分のスマホではうまく露出が出来ないようでした。
本当に、今、日が射したと思う間もなく陰るので内心、これって此処におられる神様?がおまえは写真を撮るなと言われているのかな;と感じた
くらいでした。
ですのでかなり撮りはしましたが、此処へ載せるのはどうだろ;みたいなボツ写真も多くあります。(それにしては遠慮なく載せてますけどね;)
お社は一応設けてありましたが、それもおそらく先に申した土建屋さん辺りがそうされたのではとも思います。
お賽銭箱もありましたけれど、これはそのお社の前に据えてはあらず、巨石群の前辺りへ置かれてありました。
つまりは主役はあくまでこの岩が主体であるということを示しておるのでしょう。
いくら沢山の写真を載せたところで、やはり現地でなければこの感覚は伝わり難いのではと思います。
一人でその地へ立ったならば、およそ人間の気配の無い場所で一体何を感ずるのか、それを想うにはとても相応しい場所にも思えました。
その上空には姿こそ目に見えねども数多の龍が悠々と大空を行く様を感じてもおりました。
まさにそこへあるのは自然のみ、そこへ存在するのは人間ではない、もっと大きな存在。
その場所は人が行くのは拒まずとも、感じ取れない人間はすぐさま下界へと降ろされてしまう、そんな場所のようにも感じられました。
どう想っても摩訶不思議な空間、そうとしか言いようがない処でした。
二人してそこへどの位いたのか、かなりな時間を過ごし、いい加減引き返しましょうかということになりました。
赤土の参道?の急斜面を転げないように下りながら、最初の大きな白い鳥居のところまで戻ってきました。
ふと振り返ると、まるで龍の横顔のような雲が見えておりました。
此処はやはり龍達が坐す(おわす)場所、みだりに来るな、或いは逆に良く来たな、また参れと言われたのか、まるでわかりませんけれど出来るの
ならば今度は一人で行き、じっとあの場で瞑想してみたい気がしております。
まさか、あそこへ熊は出ないでしょうから;。(笑)
そんな帰路、山の下りはこれも申しましたようにかなりの石ころがゴロゴロしておる道でして、さすがにそこは運転を代わって頂きました。
助手席から外を見ておりますと、木々の間から先ほどとさして変わらないような大きな岩のような石があちこちに見えます。
それらもですが、ある処まで来るとさながら石の流れがあるかのように数多くの石が川を形成しているように見えました。
なんだ、これ?とまたもや二人して一度下りてみましょうかと車を停め、そこへ歩いていってみました。
言い表すのが難しいのですけれど、大きな巨人がこれまたデッカいバケツに入った大小様々の石を山頂からガラガラガラッとぶちまけたような
感じで石の川が出来ているようでした。
かつて、といっても年数にすれば千年単位、或いはより以上の以前にかなりの水鉄砲が出たものなのか、とにかく石やらが折り重なり合い、何か
を形成しているようにも感じられました。
かと思えば別の方向へは、これはどうみても人為的に積み重ねたのであろうとしか思えない石垣と思しき石の重なりがあったりもしました。
今でこそ木が茂り、こんもりとした森、山の様相となっておりますが、この景色から全て樹木を取っ払ってみたならば、果たしてこれらの石はどの
ようになっているのだろうか、そんなことを考えさせるほど大小様々な石が辺り一面に在る、そんな山でもありました。
山頂の巨石群といい、これらの石の作り出す造形とも何とも言えぬ光景といい、何かがその古に確かにあった場所なのだろうと感じずにはいられない、やはり不思議な場所でした。
山のことは大体こんな感じでした。
その後はようやっとお昼としたのですけれど。
いつものことながらいい加減長いので、この後半戦はもう一度だけ明日に回させて下さい;。
毎度ながらに申し訳ございませんです;。
今週18日、宮島へ正式参拝致します。
もっと早くに申すべきでしたが、不覚にもど忘れ状態でした;。
既にお一人は決まっておるのですけれど、この日、たまたま広島へ来ることになっている、しかも宮島へ行ってみようか、それなら神社も行こうか
そうお考えのそこの貴方!こんなオバサンとご一緒しませんか?
もしそのようにお考えでしたらば、当日9時に広島駅南口にて待ち合わせて、車にて宮島へと向かいますが如何でしょうか。
或いは宮島口にてでも構いません。
秋の一日、紅葉狩りにはまだ早い時期ですけれど暑さもピークを過ぎた頃、そぞろ歩きにも適しております。
そんなら一つ行ってみるか、そう思われましたらばどうぞご連絡下さいませ。
費用は一万五千円ポッキリ(どこがポッキリなんだか;)
この費用には正式参拝の玉串料を含みます。
安芸の宮島へ観光にお越しになりながら、今回の被災地に向けて多少なりともお金を落として行って頂けましたら、これほど嬉しい事はございません。
是非ともご応募下さいませ、お待ち申し上げております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方まで、ご連絡頂ければと存じます。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。