こんばんは。
朝はいつになく5時には自ずと目が覚めました。
いつもなら当然夢の中ですが、今日ばかりはそのようなこともなく起きることが出来たようです。
上2枚の写真は昨夜のシリウス、その下はいつもの窓からの光景ですが暗すぎて全くわかりませんね。(笑)
一番下はまだ東の空にあった月の姿です。
一日ごとに変わっていく月の姿と出る時刻、わずか数日でこうも変わるのだというのを如実に知る思いですね。
今日は場所は大よそ知っていてもここ20年以上は行っていなかった地での葬儀でもあり、前の晩はグーグルマップとにらめっこで道を調べて
おりました。
そんなのカーナビがあるじゃないと言われそうですけれど、これもまたお借りする車ゆえ使い方が分かりません;。
これまでとおりある程度の道とどこら辺で右左折すればよいのか、その交差点やらの名前等をメモに書き記しておりました。
それでもいざ走るとあんまり役には立っておりませんでしたけれど;。
早く起きたのにはその車の借り出しがあったからでもあります。
前日の夜からでも良かったのですが、借りる車がいつ戻るか分からないということで朝早くに借りに参らせて頂くことの了承を取り付けて
おりました。
そんなわけでいつになく早起きしたというのがあります。
乗ったバスはいつものバス停から6時19分の便でした。
それほど人もいないだろうと考えておりますとさにあらず。
むしろ早い便には結構な人が乗ってこられておりました。
失礼ですがお足の悪い方が案外とおられますので何故だろうと思うと、皆さんどうも大きな病院へ受診されるために早くからいらっしゃって
おられるようでした。
そんな人達がこのような朝早い便に乗られるのかと感じておりました。
身体を良くするために掛かる病院のはずなのに早くから行って順番を取るのか、なんだか矛盾してるよなと、その昔自分もそのような時期が
あったことを思い出し、未だに改善されていないシステムにう~むと感じていたりもしました。
どうでもいい話かもしれませんけれど、いつもと違うバスの利用時刻の様相をまた一つ知る思いでした。
車屋さんに着くとまだ7時15分ほども前、到底普通ならそのような時間からは貸し出させては頂けませんが、事情が事情なだけに既にいつも
その時間には来ておられるという担当の方がやや驚きながらも快く応対して下さいました。
ようやっと明け出した空を眺めながら、いつも良く借り出させて頂く車を発進させました。
一度自宅へ戻り、喪服に着替え従姉妹と待ち合わせている場所へと向かいました。
時間は8時かなり前、通勤通学の車や子供らで道路も混んでおります。
そんなところをかいくぐるようにして現地へ着きました。
あるスーパーの駐車場の一角をお借りして待っておりますと、そんな早朝にも関わらず店外でお餅を売るのでしょうか、寒い中にも関わらず
女の方が黙々と準備をされておりました。
目の前にある喫煙コーナーではひっきりなしに人が来ては一服し立ち去っていく姿も見えます。
国道は渋滞の列がノロノロと進んでおります。
朝の早い時間の各人各様の過ごし方なのだなと感じておりました。
待ち合わせの時間に少しだけ遅れてきた従姉妹は此処まで乗せて来て下さったご主人、お父さんが道を間違えたからとかなりご立腹の様子
でしたが、喧嘩できるほど仲がいいのだろうなと、むしろ微笑ましく話を聞いておりました。
下道を通っても片道50キロ程度、大した距離ではありませんが朝のラッシュ時、開式時刻は10時でもあり、慣れぬ道を行くなら途中まで
高速を使えとのグーグル先生(笑)の指示に従い、そのように致しました。
渋滞箇所を抜けるとそこまで道は混むこともなくしばらくぶりで会う従姉妹は私以上に饒舌に話をしてくれておりました。
そうこうして走りながら葬儀会場は確かここら辺と思いながら現地近くま来ましたが、、どうも思う場所に見当たりません;。
やや焦りを感じつつも尚も走らせていくと、どうも行き過ぎていたようで途中でドラッグストアに寄り、そこで車を転回させようと考えました。
ちょうどその駐車場に一台のタクシーが停まったのを良いことに運転手さんを掴まえて(笑;)道を教えて頂きました。
やはりどうやら今来た道をやはり引き返した方面のようです。
話に夢中で目印となる看板を見落としていたのでしょう。
10分も走らぬほどその道を戻ると件の会場が見えてきました。
朝からお天気が良い葬儀の当日、会場には見慣れた叔父の遺影が正面に設えてありますが、その顔を見るにつけ在りし日の叔父、おにいちゃんの
面影が思い出されます。
ここ3年程は互いに顔を合わせることもなく過ごしており、いわば音信不通となっておりました。
この3年間に既に施設に入っているという叔母、おねえさんよりも具合が悪くなっていたのだろうか、とそんな思いも抱きつつ何も分からぬまま
受付を済ませ親族の席へと座りました。
従姉妹と自分、それに同じ頃に着いた自分の弟(我が家の割と近くに2番目の弟がおります)が並んで3人座りましたが、それ以外は全く知らぬ
方ばかりで、ほぼ婿養子の状態でこの地へ来た叔父の奥さん、つまりはおねえさん方の親族の方々でした。
葬儀のお経を上げるお坊さんは今回はどう見ても叔父と同年代、もしくはそれ以上に見える女性の住職さんでした。
広島では多分最も多いであろう浄土真宗による葬儀であり、聞こえてくるお経にも覚えのあるものでした。
同じような抑揚のあるお経を聞きながら、叔父はこんな様子を一人静かに眺めておるのだろうかと感じておりました。
その一方で、ひと様には肉体は無くなっても魂は続いていきますよとお伝えしつつも、今まで居てくれたこの叔父にはもう会えないのだと思うと
なんとも言えない寂しさが募ってき、気をつけておかねば声を上げて泣き出しそうになる思いをかろうじて抑えておりました。
一通りのお経が終わり焼香となり、遺影の前まで来るとどうにも思いが尚の事こみ上げてきます。
最後は棺の遺体の周りに花を手向ける時にはこらえ切れずに泣いてしまいました。
ひと一人がこの世から居なくなる事、それほど珍しいものではありませんが、それがこと身内となればこれほどまでに悲しいものなのかと改めて
感じておるところでした。
葬儀の話ですし、これ以上長引かせずに書き上げたいと考えておりましたが、如何せん;さすがに今日は眠いです;。
軟弱な奴ですけれど、もう一日頂戴して続きを書かせて頂ければと存じます。
とは申せ、明日になると全く違う話題としておるのかもしれませんけれど;。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
朝はいつになく5時には自ずと目が覚めました。
いつもなら当然夢の中ですが、今日ばかりはそのようなこともなく起きることが出来たようです。
上2枚の写真は昨夜のシリウス、その下はいつもの窓からの光景ですが暗すぎて全くわかりませんね。(笑)
一番下はまだ東の空にあった月の姿です。
一日ごとに変わっていく月の姿と出る時刻、わずか数日でこうも変わるのだというのを如実に知る思いですね。
今日は場所は大よそ知っていてもここ20年以上は行っていなかった地での葬儀でもあり、前の晩はグーグルマップとにらめっこで道を調べて
おりました。
そんなのカーナビがあるじゃないと言われそうですけれど、これもまたお借りする車ゆえ使い方が分かりません;。
これまでとおりある程度の道とどこら辺で右左折すればよいのか、その交差点やらの名前等をメモに書き記しておりました。
それでもいざ走るとあんまり役には立っておりませんでしたけれど;。
早く起きたのにはその車の借り出しがあったからでもあります。
前日の夜からでも良かったのですが、借りる車がいつ戻るか分からないということで朝早くに借りに参らせて頂くことの了承を取り付けて
おりました。
そんなわけでいつになく早起きしたというのがあります。
乗ったバスはいつものバス停から6時19分の便でした。
それほど人もいないだろうと考えておりますとさにあらず。
むしろ早い便には結構な人が乗ってこられておりました。
失礼ですがお足の悪い方が案外とおられますので何故だろうと思うと、皆さんどうも大きな病院へ受診されるために早くからいらっしゃって
おられるようでした。
そんな人達がこのような朝早い便に乗られるのかと感じておりました。
身体を良くするために掛かる病院のはずなのに早くから行って順番を取るのか、なんだか矛盾してるよなと、その昔自分もそのような時期が
あったことを思い出し、未だに改善されていないシステムにう~むと感じていたりもしました。
どうでもいい話かもしれませんけれど、いつもと違うバスの利用時刻の様相をまた一つ知る思いでした。
車屋さんに着くとまだ7時15分ほども前、到底普通ならそのような時間からは貸し出させては頂けませんが、事情が事情なだけに既にいつも
その時間には来ておられるという担当の方がやや驚きながらも快く応対して下さいました。
ようやっと明け出した空を眺めながら、いつも良く借り出させて頂く車を発進させました。
一度自宅へ戻り、喪服に着替え従姉妹と待ち合わせている場所へと向かいました。
時間は8時かなり前、通勤通学の車や子供らで道路も混んでおります。
そんなところをかいくぐるようにして現地へ着きました。
あるスーパーの駐車場の一角をお借りして待っておりますと、そんな早朝にも関わらず店外でお餅を売るのでしょうか、寒い中にも関わらず
女の方が黙々と準備をされておりました。
目の前にある喫煙コーナーではひっきりなしに人が来ては一服し立ち去っていく姿も見えます。
国道は渋滞の列がノロノロと進んでおります。
朝の早い時間の各人各様の過ごし方なのだなと感じておりました。
待ち合わせの時間に少しだけ遅れてきた従姉妹は此処まで乗せて来て下さったご主人、お父さんが道を間違えたからとかなりご立腹の様子
でしたが、喧嘩できるほど仲がいいのだろうなと、むしろ微笑ましく話を聞いておりました。
下道を通っても片道50キロ程度、大した距離ではありませんが朝のラッシュ時、開式時刻は10時でもあり、慣れぬ道を行くなら途中まで
高速を使えとのグーグル先生(笑)の指示に従い、そのように致しました。
渋滞箇所を抜けるとそこまで道は混むこともなくしばらくぶりで会う従姉妹は私以上に饒舌に話をしてくれておりました。
そうこうして走りながら葬儀会場は確かここら辺と思いながら現地近くま来ましたが、、どうも思う場所に見当たりません;。
やや焦りを感じつつも尚も走らせていくと、どうも行き過ぎていたようで途中でドラッグストアに寄り、そこで車を転回させようと考えました。
ちょうどその駐車場に一台のタクシーが停まったのを良いことに運転手さんを掴まえて(笑;)道を教えて頂きました。
やはりどうやら今来た道をやはり引き返した方面のようです。
話に夢中で目印となる看板を見落としていたのでしょう。
10分も走らぬほどその道を戻ると件の会場が見えてきました。
朝からお天気が良い葬儀の当日、会場には見慣れた叔父の遺影が正面に設えてありますが、その顔を見るにつけ在りし日の叔父、おにいちゃんの
面影が思い出されます。
ここ3年程は互いに顔を合わせることもなく過ごしており、いわば音信不通となっておりました。
この3年間に既に施設に入っているという叔母、おねえさんよりも具合が悪くなっていたのだろうか、とそんな思いも抱きつつ何も分からぬまま
受付を済ませ親族の席へと座りました。
従姉妹と自分、それに同じ頃に着いた自分の弟(我が家の割と近くに2番目の弟がおります)が並んで3人座りましたが、それ以外は全く知らぬ
方ばかりで、ほぼ婿養子の状態でこの地へ来た叔父の奥さん、つまりはおねえさん方の親族の方々でした。
葬儀のお経を上げるお坊さんは今回はどう見ても叔父と同年代、もしくはそれ以上に見える女性の住職さんでした。
広島では多分最も多いであろう浄土真宗による葬儀であり、聞こえてくるお経にも覚えのあるものでした。
同じような抑揚のあるお経を聞きながら、叔父はこんな様子を一人静かに眺めておるのだろうかと感じておりました。
その一方で、ひと様には肉体は無くなっても魂は続いていきますよとお伝えしつつも、今まで居てくれたこの叔父にはもう会えないのだと思うと
なんとも言えない寂しさが募ってき、気をつけておかねば声を上げて泣き出しそうになる思いをかろうじて抑えておりました。
一通りのお経が終わり焼香となり、遺影の前まで来るとどうにも思いが尚の事こみ上げてきます。
最後は棺の遺体の周りに花を手向ける時にはこらえ切れずに泣いてしまいました。
ひと一人がこの世から居なくなる事、それほど珍しいものではありませんが、それがこと身内となればこれほどまでに悲しいものなのかと改めて
感じておるところでした。
葬儀の話ですし、これ以上長引かせずに書き上げたいと考えておりましたが、如何せん;さすがに今日は眠いです;。
軟弱な奴ですけれど、もう一日頂戴して続きを書かせて頂ければと存じます。
とは申せ、明日になると全く違う話題としておるのかもしれませんけれど;。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。