日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

弟らと話をして来ました

2022-12-31 18:48:45 | お出かけ
こんばんは。
朝はどんよりと曇っており、写真もぼやけてしまう程でした。




                       




                         




大晦日ですね。
一年で最後の日となりました。
本来ならバタバタと家の事や御神殿の最後の清掃などで慌ただしくするのでしょうが、息子が帰省していることもあり、そちらの
事で今回はバタついておりました。
ですので今年最後の午前中の拝礼は出来ておりません;。
しかし今夜は最後の祝詞奏上を致しますし、その後は若水を取る意味で明くる年最初の水を水道からではありますが取ります。
やはり気持ちの上でもけじめは大切と感じております。  




                     
                           (近所の蝋梅はまだ花が今年は咲いておりませんでした)




何をそんなにしていたのかと言えば。
昨日戻ってきた息子を友人宅へ送りましたが、今日はまた迎えに行くという、いわばアッシー母ちゃんな訳です。
一度連れ帰り、これも話していたように隣市に住む弟に会うだけでも会いに行くことにしました。
ところで11時頃迎えに行き自宅へ戻る途中、ある場所で車が立ち往生していました。
と言っても事故とかではなく、見通しが悪く且つ狭い場所で此方は新免の、向こうはミニバンのどちらも慣れていなさそうな人らが
乗った車同士が、どう下がっていいのやらまるで分からぬ風に向き合っている感じでした。
私が運転していたので息子と二人、あれは見てあげた方がいいんでない?ということになり、助手席の息子がそこで現場へ行き
にっちもさっちも行かなくなっていた新免を手招き?しながら下がらせてあげていました。
そうしてようやくなんとか互いにすれ違いも出来て、私らの車も、また自分達の後ろにズラズラと連なって待っていた車もようやく
通れるようになったのでした。
3年ぶりの行動制限の無くなったこの年末、昨日のトンネルの事故もそうですが、普段は乗らない人が運転をし勝手の分からない
道を行けば、余計あたふたするのかもしれませんね。
確かに県外ナンバーをこの度はよく見かけますし、そんなものかもなと感じたことでした。

そう思いながら、自宅で軽くお昼を済ませて改めて隣の市、呉市へ向けて出発しました。
今夕、息子はまたしても別件の所用が街中へあり17時までには広島市内へ戻りたいと言いますので、往復をクレアラインという
高速を通りました。
今は片側一車線の高速ですが、帰りに見ると所々で片側だけで2車線となるような工事が進められているようでした。
それだけ需要が見込めるからでしょうか、そんなことを感じましたね。
さて呉市へ入り、弟の住む場所はかなり複雑な道となっている宮原と呼ばれる場所です。
そこへ行くのに、自分もかつては呉市民でもあり勝手知ったるなんとやらと思っていましたが、いざ行くとなるとグーグルマップで
予習をせねば、とてもではありませんが難しい場所のようでした。
息子の車は昨日も話したようにカーナビがありません。
ですので余計にこれから行く先の道順をしっかり覚えておこうと思いました。
記憶していたように道を走って行くと呉で大きな船を作っている造船所のドックが見えて来ます。
その昔此処であの戦艦大和が造成されたという場所ですね。
今もかなり大きなタンカーだかの造船がなされているようでした。   
それらを横目で見ながら入りくんだ道を行くと目的の場所へと着きました。
私が幼い頃、父方の伯母がこの宮原という場所へ住んでおり、その家からもこのドックが見えていたのを覚えていたのですが
さすがに半世紀以上経っていれば道の記憶は曖昧ですよね;。
こんなに狭かったっけ?と感じたことでした。
さて弟には無事会う事が出来、マンションの玄関先でお暇するよと言っていたのですが、せめて何処かでお茶でもしようと彼が
言いますので、それならばと今一度弟を乗せて街中へと今来た道を下って行きました。
弟のマンションは単身用で狭いので、此方の方が良いということもあったのでしょう。
呉の街では大きなお店は今一つしかなく、年末最後の今日は人でごった返していました。
喫茶店を見ても当然ながら何処も長蛇の列です。
それならいっそファミレスへ行こうと、またもやそこから河岸を変えるが如く更にもう一回車で移動しました。
さすがに?今日はそこまで人も多くなく、ここでようやく落ち着いて話をすることが出来ました。
病み上がりの弟、やはりちょっとやつれたように見えます。(当たり前か;)
話を聞けば配送の仕事をしていても、いつも以上に身体がしんどくて仕事にならなかったそうです。
結局2週間程、今回はこの仕事に就いて初めて休んだと言っていましたね。
ある意味コロナだったので休めたのもあると言います。
それほど配る荷物が次から次へとひっきりなしなのでしょう。
仕事する元気も無くなっていたし、熱は出ていつもの風邪などより遥かに辛かったけど休めたことの方が遥かに良かったと
話しておりました。                       
明日の元日から彼は仕事となるようです。
無理をするなとは言えない仕事ですが、どうかあまり身体に堪えることがありませんようにと思ってやるばかりですね。




                           




帰りはまた私がハンドルを持ち、広島の街中に息子を下して戻り、今ここという感じですね。
そんな感じで殆ど出ておりましたので何も出来ておりません;。
先に申すように夜中となる祝詞奏上だけはしっかりとさせて頂きたいと思います。
皆様、どうぞ良きお年をお迎えくださいませ。





                           




                           





                          




                          




                           




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
コメント
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