こんにちは。
今日は、この辺りは今相当な豪雨ともいえそうな状況になっております。
春の嵐といわれておりますが、まさにそのような感じですね。
どこにも被害が無いことを願うばかりです。
タイトルつけて、ありゃ、どこかできいたことあるような?とか今思いましたけど;。
その昔の大河ドラマでしょうか、でもまぁ、それとは関係ないのでこれで参りましょう。
夕方、なんにもない時は散歩したりしております。
ここら辺は結構山に近く、この時期になるとウグイスやら様々な鳥たちが綺麗な声で鳴き交わし、それだけで春だねぇ、と感じられますよ。
そんな場所を、うちよりもまだ高い所へある住宅団地まで坂道を登っていくのですが、その道すがら色々な景色が見えたり、或いは空の
雲に見とれたりしております。
そんな雲を見ていると、これもまた様々な形をしていたりして、見ていて飽きません。
昨日はそんな中で、長く延びた高層雲でしょうか、さながら龍のように感じられ、なんとも雄大で気持ちよく感じられる雲がありました。
こんな感じで、ずっと延びてきて
一体どこへ向かっているのかなぁ、などと毎度のことながらぼんやりと考えていたりしたのですけどね。
この他にも
ちょっと太め?な胴体のように思えたりしていましたけれど。
雲ですから当然、西から東に流れていくわけですが、昨日の朝の北の国のことを考えると、どことなくこの雲が寄り集まってその方面へ向かって
いるような思いに捉われました。
何事もなく収まってくれることを祈ります。
ところで、こんな空の雲を見て、自分では龍だと感じていても、人からすれば、ただの何でもない雲にしか過ぎません。
よく見かける、どこでも見えるそんな雲ばかりですし。
あくまで、自分が感じることでしかありません。
龍が行く、なんて大層なタイトルに相応しくもないかもしれませんね。
ま、そこは大目にみてやって下さいませ、なんせオバサンの独り言みたいなものですので;。
そうは申しましたが、瞑想をしていると良く龍が想念の中に浮かんできます。
これは見ようと意識して見ているわけではなく、目を閉じて静かにしていると、頭の中に龍の姿が見えてきたりします。
ある日の瞑想では、視界の下には山脈が連なり、その上を幾頭もの龍が悠々と泳ぐようにして飛んでいたり、その中の一頭が虹色を纏いながら
白く輝き日の光を浴びながら、やがて凄まじい勢いで空高く飛び立ったかと思うと、まるで光る点のように見えなくなり、次に自分の視点が
変わると今度はその龍が地球を飛び出しており、宇宙空間で太陽とおぼしき光を受けると、先程と同様に物凄いスピードで元居た場所へと還って
いく様が見てとれたりします。
ある時は、地表から光の柱が立ったかと思うと、じきにそれは龍の姿となり光り輝きながら空へと飛び立ち、日本列島の上を行き、富士山に
その姿でグルグルと嬉しそうに巻きついて、その後空へと上っていく、そんな光景を見ることもあります。
これはしかし、あくまで自分自身の想念の中での出来事?であり、妄想の範疇でしかありません、当然ですけれど。
そう思いつつも、いつの頃からか見えるようになった龍、自分の中では荘厳なその姿ながらも、どこかで懐かしいような、仲間のような、
そんな親しい相手のように感じております。
龍といえば、その昔から中国では皇帝の使いというのか、権力や強さの象徴として表されていますよね。
殊に皇帝のそれは、指も五本であったり、その手?に持つ玉も特別なものであったり、と非常に重要視されていますね。
また龍は雷雲や嵐を呼んだりされるとも云われておりますね。
身近なところでは、干支の十二支の中にもその姿は見ることが出来ますしね。
しかしながら、その姿は実際のところ、今の自分達には見ることが出来ません。
とは言え最近では、そんな龍に関する書物も数多く出てきており、想像上のものだけとも言い切れないのかな、とも思ったりもしますけれど。
古の中国の人々が、皇帝のために作ったであろう数多の彫刻や絵画、それらはあたかも目の前におるそれらの龍の姿をつぶさに観察しながら
その形を彫り出したり、或いは絵に描き止めたりしたようにすら感じられます。
頭の中の想像だけで、あれだけの創作物、創造物を作れるとは到底思えません。
これはまた、あくまでも自分が考えたことですが、古の人々は今の我々よりも遥かに目に見えない世界に通じる部分があったのではと思います。
いわば、今の自分達よりも次元の高い処を感じ取れるだけの能力を持った人々が多く存在したのでは、と思うのです。
本当にそうであるかどうかは、それこそ自分には分かりかねます。
ですけれど、そのような人々に支えられながら、自分達の居る世界とは別の次元にいるであろう龍や、或いは鳳凰とも朱雀ともいわれるもの
等の姿を如実に表現出来ていたのではないのかな、と思います。
今の現代社会は、まだまだ物が重要視され、目に見えない世界は疎かにされがちです。
ですが物自体、その最初は人が考えたものが形となって出てきて、それが目に見える物となったのだと思います。
こう書くと、では龍もそのような想像上のものではないのか、ともいえなくもありませんけれど。
もしかすると、龍も物も、自分の住む世界ではない別の世界のものを、あたかも自分が考えたかのごとく、そちらの世界から
引っ張り出してきたのでしょうか。
この辺りのことは、自分ではわかりませんね。
でも、龍を思うと、いつの時も、その雄大に飛び行く様を思い描きながら、自分自身も遥かな空を行くようで胸すく思いが致します。
さてさて、今日はいつにもましての誇大妄想ストーリーとなりました。
お付き合い頂きました皆様、どうも有難うございました。
最後はこんな写真にて失礼をば。
今日は、この辺りは今相当な豪雨ともいえそうな状況になっております。
春の嵐といわれておりますが、まさにそのような感じですね。
どこにも被害が無いことを願うばかりです。
タイトルつけて、ありゃ、どこかできいたことあるような?とか今思いましたけど;。
その昔の大河ドラマでしょうか、でもまぁ、それとは関係ないのでこれで参りましょう。
夕方、なんにもない時は散歩したりしております。
ここら辺は結構山に近く、この時期になるとウグイスやら様々な鳥たちが綺麗な声で鳴き交わし、それだけで春だねぇ、と感じられますよ。
そんな場所を、うちよりもまだ高い所へある住宅団地まで坂道を登っていくのですが、その道すがら色々な景色が見えたり、或いは空の
雲に見とれたりしております。
そんな雲を見ていると、これもまた様々な形をしていたりして、見ていて飽きません。
昨日はそんな中で、長く延びた高層雲でしょうか、さながら龍のように感じられ、なんとも雄大で気持ちよく感じられる雲がありました。
こんな感じで、ずっと延びてきて
一体どこへ向かっているのかなぁ、などと毎度のことながらぼんやりと考えていたりしたのですけどね。
この他にも
ちょっと太め?な胴体のように思えたりしていましたけれど。
雲ですから当然、西から東に流れていくわけですが、昨日の朝の北の国のことを考えると、どことなくこの雲が寄り集まってその方面へ向かって
いるような思いに捉われました。
何事もなく収まってくれることを祈ります。
ところで、こんな空の雲を見て、自分では龍だと感じていても、人からすれば、ただの何でもない雲にしか過ぎません。
よく見かける、どこでも見えるそんな雲ばかりですし。
あくまで、自分が感じることでしかありません。
龍が行く、なんて大層なタイトルに相応しくもないかもしれませんね。
ま、そこは大目にみてやって下さいませ、なんせオバサンの独り言みたいなものですので;。
そうは申しましたが、瞑想をしていると良く龍が想念の中に浮かんできます。
これは見ようと意識して見ているわけではなく、目を閉じて静かにしていると、頭の中に龍の姿が見えてきたりします。
ある日の瞑想では、視界の下には山脈が連なり、その上を幾頭もの龍が悠々と泳ぐようにして飛んでいたり、その中の一頭が虹色を纏いながら
白く輝き日の光を浴びながら、やがて凄まじい勢いで空高く飛び立ったかと思うと、まるで光る点のように見えなくなり、次に自分の視点が
変わると今度はその龍が地球を飛び出しており、宇宙空間で太陽とおぼしき光を受けると、先程と同様に物凄いスピードで元居た場所へと還って
いく様が見てとれたりします。
ある時は、地表から光の柱が立ったかと思うと、じきにそれは龍の姿となり光り輝きながら空へと飛び立ち、日本列島の上を行き、富士山に
その姿でグルグルと嬉しそうに巻きついて、その後空へと上っていく、そんな光景を見ることもあります。
これはしかし、あくまで自分自身の想念の中での出来事?であり、妄想の範疇でしかありません、当然ですけれど。
そう思いつつも、いつの頃からか見えるようになった龍、自分の中では荘厳なその姿ながらも、どこかで懐かしいような、仲間のような、
そんな親しい相手のように感じております。
龍といえば、その昔から中国では皇帝の使いというのか、権力や強さの象徴として表されていますよね。
殊に皇帝のそれは、指も五本であったり、その手?に持つ玉も特別なものであったり、と非常に重要視されていますね。
また龍は雷雲や嵐を呼んだりされるとも云われておりますね。
身近なところでは、干支の十二支の中にもその姿は見ることが出来ますしね。
しかしながら、その姿は実際のところ、今の自分達には見ることが出来ません。
とは言え最近では、そんな龍に関する書物も数多く出てきており、想像上のものだけとも言い切れないのかな、とも思ったりもしますけれど。
古の中国の人々が、皇帝のために作ったであろう数多の彫刻や絵画、それらはあたかも目の前におるそれらの龍の姿をつぶさに観察しながら
その形を彫り出したり、或いは絵に描き止めたりしたようにすら感じられます。
頭の中の想像だけで、あれだけの創作物、創造物を作れるとは到底思えません。
これはまた、あくまでも自分が考えたことですが、古の人々は今の我々よりも遥かに目に見えない世界に通じる部分があったのではと思います。
いわば、今の自分達よりも次元の高い処を感じ取れるだけの能力を持った人々が多く存在したのでは、と思うのです。
本当にそうであるかどうかは、それこそ自分には分かりかねます。
ですけれど、そのような人々に支えられながら、自分達の居る世界とは別の次元にいるであろう龍や、或いは鳳凰とも朱雀ともいわれるもの
等の姿を如実に表現出来ていたのではないのかな、と思います。
今の現代社会は、まだまだ物が重要視され、目に見えない世界は疎かにされがちです。
ですが物自体、その最初は人が考えたものが形となって出てきて、それが目に見える物となったのだと思います。
こう書くと、では龍もそのような想像上のものではないのか、ともいえなくもありませんけれど。
もしかすると、龍も物も、自分の住む世界ではない別の世界のものを、あたかも自分が考えたかのごとく、そちらの世界から
引っ張り出してきたのでしょうか。
この辺りのことは、自分ではわかりませんね。
でも、龍を思うと、いつの時も、その雄大に飛び行く様を思い描きながら、自分自身も遥かな空を行くようで胸すく思いが致します。
さてさて、今日はいつにもましての誇大妄想ストーリーとなりました。
お付き合い頂きました皆様、どうも有難うございました。
最後はこんな写真にて失礼をば。
少しでも余裕があれば空を眺めています。
青空よりも様々な雲がある時の空が好きです。
私はいつもハート型の雲を探してます。
自分も時折見かけますが、そんな時に限って手元に携帯がないか、電池切れしてしまうか><;
ハートとはご縁がないんでしょうかねぇ、困ったもんだ;
空は、いろんな雲が見えるほうが楽しくて、自分も好きです^^。