こんばんは。
朝、大抵は目覚まし代わりのアラームが何度か鳴ってもなかなか起きない(起きられない;)自分ですが、今朝は5時40分頃にパッと目が覚めました。
昨夕車を返してバス停まで歩く途中から、?と感じる腰の痛みを覚えまして;。
なんだかなぁと思いながらも家に戻り、このブログを書きながらもお風呂に入れば何とかなるさと思っておりましたが、布団に入るといつものように
仰向けになって寝ることが出来ず、無意識に痛みのないような姿勢を取って寝ていたようでした。
そんなこともあり身体は疲れているはずなのに、早くに目が覚めたのかもしれません。
写真はそんな起きた直後と日が昇ってから撮ったものの二つです。
先に書いたように起きた途端、うっ;と感じる痛みが腰にあり、これは下手をするとまたもやぎっくり腰になりかねないぞ;と感じつつも
そろりそろりと身体を動かしておりました。
そう言いながらも朝のうちに家の周りの伸びてきた草を引いたりもしたのですけれど。
雑草と言えばそうなりますが、どうも昔から雑草という定義?があまり好きではなく、自分達が草と称している植物にもちゃんと名前はあります。
今園芸種として植えているものでも以前は当然野生の品種を改良して作ったものでしょうし、自分達の益にならないからといって十把ひとからげで
雑草と呼び称することに抵抗がある自分です;。
とはいえ、やはりあまりにそれらのいわば草が繁茂しているのもどんなもんだろうね;とも思うのも実際のところです。
結局は軍手をして伸びてきているそれらの草をごめんね、せっかく生えてきているのに;と言いながらも抜くことになります。
繁殖力の旺盛な、踏まれてもまた伸びてくるそれらの草、まるで自分じゃんね;と思いながらも腰の痛みを感じつつもひとしきり草むしりをして
おりました。
その後にいつものように祝詞奏上させて頂きました。
昨日大社(おおやしろ)へ参らせて頂いたばかりですし、無事行って帰れたことの御礼も申し上げながら奏上させて頂きました。
大神
“ よう来た
これからぞ
そなたが人を連れて参るは
そなたにその力がある故
自信持て
そなたの思うこと 悪しき方へ思うのではなく
良き方へと 思いを致せ
そこからまた拡がる ”
祝詞を上げる声も一段と力が入る
このように言葉を受け取りました。
昨日の事を言われたようです。
昨年の10月に信者さんをお連れして約半年、今回でようやっと2度目となりましたが、その昔主人が多くの信者さんをお連れした頃を思うと
全く及ばぬ、至らぬ自分です。
それでも少しずつでもこうしてお連れ出来ることはお互いに嬉しく楽しいことでもあり、今後もより多くの方をお連れさせて頂ければと考える
ところです。
その事に対してのこの大神の言葉であったようで本当に喜ばしく感じております。
力があるかどうかは別として多くの皆様をご案内出来るのが本当に嬉しいです。
自分は出来るのだろうか、そんな風に感じるのではなく、出来ている自分自身に自信を持ってこれからも致して参りたいと感じます。
そんなことを感じるきっかけとなりました昨日の神楽殿でのご祈祷、大社の神職による祝詞奏上でしたがこの方の祝詞奏上がかなり力強いものでした。
最初に祓詞(はらいじ)というお祓いの言葉を三唱されるのですが、この時からしてかなり朗々とした声が出ておられました。
これまでですと神職の側に余裕がある場合は、この祓詞のみを奏上する若い神職がおられたりするのですが、今回はそれはなく最初から最後まで
この方お一人でなさっておられました。
祝詞奏上をなさっていくうちに次第に声に力が入り、ますます朗々とその声が響き渡っておられました。
奏上後は奉幣というものを振りながら祈念致すのですが、普通はそこまで時間も掛けずになさるかと思われます。
けれど昨日のその方はかなり気合が入っておられたのか、頭を垂れております此方側がまだかしら;と感じるほどに長い間祈念されておられた
ようでした。
それだけ真剣に大神様に奏上致しておられたのかもしれません。
ところでテラはその時どうであったのでしょうか。
頭を垂れて祝詞奏上のその声を聞きながら頭の中ではテラとこの大社におわす龍であるのか、神楽殿の天井一杯に身体が大きくなった黒と白の二柱の
龍共に輪を描くようにして悠々と旋回しておるようでした。
毎回この神楽殿ではそのような龍の姿を感じておりますが、この度もより力強い様のそれらの龍の姿を感じ取っておりました。
やはりテラにはこの場こそが似つかわしい、そんな風にも思えたことでした。
その後はそれぞれの団体の代表者の方がご神前にて玉串拝礼を致しました。
今回は自分もお連れしました信者さん共々、久しぶりのご神前にて玉串拝礼をさせて頂くことが出来ました。
やはりこうして玉串拝礼をさせて頂けることは身の引き締まる思いでもあり、大神様の御前にてご挨拶出来るようでもあり嬉しいことです。
ま、その分かなり緊張するんですけれどね;。(笑)
それら一連の事柄が終わり各々に御神札等を受け取り、巫女さんからかわらけにてお神酒を頂戴した後はご本殿のご神前にて今一度拝礼させて
頂きます。
この時からご案内を担当して下さる別の若い神職さんが付いて下さいます。
神楽殿にてご一緒した団体さんよりも先にご本殿に通して頂き、三人だけで拝礼致します。
その後にこの神職さんから今回出雲大社は初めて訪れたという信者さんの為にもご本殿の瑞垣内(みずがきうち)にてあれこれとご説明をして
頂くことが出来ました。
この方ご自身、話し出すと一日あってもこの大社を語り尽くせないと仰るほどお好きなようでして(笑)話が始まったのはどうやら因幡の白兎の
神話から紐解かれたようでした。
聞く此方側は幾らでも聞かせて頂きたいのですが、なんせ寒い;。(笑;)
彼自身は白衣に袴という、見るからに寒い格好をしておられるのですがどうも慣れておられるらしく話は滔々と続いて行きます。
どうにも自分らの方が根を上げてしまい;(すみません;)十数分程もそうされた頃に、それとはなしに寒い事を申し上げました。
ならばご本殿を出て歩きますか、と話を振って下さいました。
そんな話の間にも、昨日は甲子祭というお祭りがこのご本殿の中でも執り行われており、別の若い神職さんら三人がお供え物を捧げ持ってその
瑞垣内にあるお社の前で斎行しておられました。
ぐり石と呼ばれる二十センチはあろうかと思われる石の上を浅沓(あさぐつ)と呼ばれる木靴で歩き難そうに渡ってこられ各お社(やしろ)の
ご神前にて祝詞奏上されるのですが、寒さとその動作の大変さで尚更今日は難しかろうな;と感じたのは自分だけではなく、一緒に話を聞いて
おられた信者さんも思っておられたようでした。
聞かせてもらえるなら、自分もよく存じないそのお祭りについて聞いてみたい気がしたのですが、どうもそこへは話が至りませんでした;。
ご本殿を出て、その周りに神迎祭の折に神々が宿泊されるという十九社(じゅうくのやしろ)や宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)別名保食神
(うけもちのかみ)ともよばれ、食物全般にわたっての主宰神が祀られております釜社(かまのやしろ)、また素戔嗚尊(すさのおのみこと)を
ご祭神とする素鵞社(そがのやしろ)等についてはそれぞれにご説明を受けました。
殊に素鵞社についてはかなり興味深いお話を聞かせて頂くことが出来ました。
それは何かといえば、この社の下へ稲佐の浜より運んできた砂を木箱に入れ、しばらく此処にて神様のご神徳を賜った後、出雲屋敷と称される
出雲大社で斎行する地鎮祭の折に使われる鎮めの砂とするのだそうです。
確かに地鎮祭を致す祭には敷地の東西南北中央に薬包みにして入れたこのお砂を撒きます。
お祭りを致す際には欠かせないお砂ですが、どのようにして作成されるのかまでは存じ上げず、今回このご説明を伺い、なるほどそういうことで
あったのかと納得出来た次第です。
またこのお社の裏手にある大きな一枚岩は昔から霊験あらたかとされており、話によりますと俗に言う権宮司、出雲大社では管長と呼び称されて
おりますが、その方が幼い頃、どこかしら調子が悪い時にはこの岩のところへ来てじぃっと手を当てておられたのだそうです。
そうすることで不思議とその具合の悪さも解消されておられたということでした。
確かにその岩に直に手を当てておりますと何かしら、ともすれば怖いほどのエネルギーを感じるようでした。
以前は此処で夜中に人知れず拝む方もおられたようで、その頃は蝋燭もあったような覚えがありますがさすがに最近はそのような物は撤去されて
おりました。
お越しになる機会があります方は、そんな岩に手を当ててみて下さい、何かしらパワーを頂けるかと存じます。
さて此処まで書いて参りまして当然まだまだ続きはあるのですが、今日のところはこの位とさせて下さいませ。
もう一、二回は続くかと思います;。(いつもながらに長くてすみませんです;)
先日まださほど開いていなかった小降りの枝垂れ桜はほぼ満開のようになっておりました。
空の雲からして明日はまたお天気は下り坂のようですし、どうやら今日あたりが見納め?だったのかもしれません。
だとすると一番良い頃を見ることが出来てよかったなと感じるところです。
皆様の辺りの桜は如何でしょうか。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございます。
感謝申し上げます。
朝、大抵は目覚まし代わりのアラームが何度か鳴ってもなかなか起きない(起きられない;)自分ですが、今朝は5時40分頃にパッと目が覚めました。
昨夕車を返してバス停まで歩く途中から、?と感じる腰の痛みを覚えまして;。
なんだかなぁと思いながらも家に戻り、このブログを書きながらもお風呂に入れば何とかなるさと思っておりましたが、布団に入るといつものように
仰向けになって寝ることが出来ず、無意識に痛みのないような姿勢を取って寝ていたようでした。
そんなこともあり身体は疲れているはずなのに、早くに目が覚めたのかもしれません。
写真はそんな起きた直後と日が昇ってから撮ったものの二つです。
先に書いたように起きた途端、うっ;と感じる痛みが腰にあり、これは下手をするとまたもやぎっくり腰になりかねないぞ;と感じつつも
そろりそろりと身体を動かしておりました。
そう言いながらも朝のうちに家の周りの伸びてきた草を引いたりもしたのですけれど。
雑草と言えばそうなりますが、どうも昔から雑草という定義?があまり好きではなく、自分達が草と称している植物にもちゃんと名前はあります。
今園芸種として植えているものでも以前は当然野生の品種を改良して作ったものでしょうし、自分達の益にならないからといって十把ひとからげで
雑草と呼び称することに抵抗がある自分です;。
とはいえ、やはりあまりにそれらのいわば草が繁茂しているのもどんなもんだろうね;とも思うのも実際のところです。
結局は軍手をして伸びてきているそれらの草をごめんね、せっかく生えてきているのに;と言いながらも抜くことになります。
繁殖力の旺盛な、踏まれてもまた伸びてくるそれらの草、まるで自分じゃんね;と思いながらも腰の痛みを感じつつもひとしきり草むしりをして
おりました。
その後にいつものように祝詞奏上させて頂きました。
昨日大社(おおやしろ)へ参らせて頂いたばかりですし、無事行って帰れたことの御礼も申し上げながら奏上させて頂きました。
大神
“ よう来た
これからぞ
そなたが人を連れて参るは
そなたにその力がある故
自信持て
そなたの思うこと 悪しき方へ思うのではなく
良き方へと 思いを致せ
そこからまた拡がる ”
祝詞を上げる声も一段と力が入る
このように言葉を受け取りました。
昨日の事を言われたようです。
昨年の10月に信者さんをお連れして約半年、今回でようやっと2度目となりましたが、その昔主人が多くの信者さんをお連れした頃を思うと
全く及ばぬ、至らぬ自分です。
それでも少しずつでもこうしてお連れ出来ることはお互いに嬉しく楽しいことでもあり、今後もより多くの方をお連れさせて頂ければと考える
ところです。
その事に対してのこの大神の言葉であったようで本当に喜ばしく感じております。
力があるかどうかは別として多くの皆様をご案内出来るのが本当に嬉しいです。
自分は出来るのだろうか、そんな風に感じるのではなく、出来ている自分自身に自信を持ってこれからも致して参りたいと感じます。
そんなことを感じるきっかけとなりました昨日の神楽殿でのご祈祷、大社の神職による祝詞奏上でしたがこの方の祝詞奏上がかなり力強いものでした。
最初に祓詞(はらいじ)というお祓いの言葉を三唱されるのですが、この時からしてかなり朗々とした声が出ておられました。
これまでですと神職の側に余裕がある場合は、この祓詞のみを奏上する若い神職がおられたりするのですが、今回はそれはなく最初から最後まで
この方お一人でなさっておられました。
祝詞奏上をなさっていくうちに次第に声に力が入り、ますます朗々とその声が響き渡っておられました。
奏上後は奉幣というものを振りながら祈念致すのですが、普通はそこまで時間も掛けずになさるかと思われます。
けれど昨日のその方はかなり気合が入っておられたのか、頭を垂れております此方側がまだかしら;と感じるほどに長い間祈念されておられた
ようでした。
それだけ真剣に大神様に奏上致しておられたのかもしれません。
ところでテラはその時どうであったのでしょうか。
頭を垂れて祝詞奏上のその声を聞きながら頭の中ではテラとこの大社におわす龍であるのか、神楽殿の天井一杯に身体が大きくなった黒と白の二柱の
龍共に輪を描くようにして悠々と旋回しておるようでした。
毎回この神楽殿ではそのような龍の姿を感じておりますが、この度もより力強い様のそれらの龍の姿を感じ取っておりました。
やはりテラにはこの場こそが似つかわしい、そんな風にも思えたことでした。
その後はそれぞれの団体の代表者の方がご神前にて玉串拝礼を致しました。
今回は自分もお連れしました信者さん共々、久しぶりのご神前にて玉串拝礼をさせて頂くことが出来ました。
やはりこうして玉串拝礼をさせて頂けることは身の引き締まる思いでもあり、大神様の御前にてご挨拶出来るようでもあり嬉しいことです。
ま、その分かなり緊張するんですけれどね;。(笑)
それら一連の事柄が終わり各々に御神札等を受け取り、巫女さんからかわらけにてお神酒を頂戴した後はご本殿のご神前にて今一度拝礼させて
頂きます。
この時からご案内を担当して下さる別の若い神職さんが付いて下さいます。
神楽殿にてご一緒した団体さんよりも先にご本殿に通して頂き、三人だけで拝礼致します。
その後にこの神職さんから今回出雲大社は初めて訪れたという信者さんの為にもご本殿の瑞垣内(みずがきうち)にてあれこれとご説明をして
頂くことが出来ました。
この方ご自身、話し出すと一日あってもこの大社を語り尽くせないと仰るほどお好きなようでして(笑)話が始まったのはどうやら因幡の白兎の
神話から紐解かれたようでした。
聞く此方側は幾らでも聞かせて頂きたいのですが、なんせ寒い;。(笑;)
彼自身は白衣に袴という、見るからに寒い格好をしておられるのですがどうも慣れておられるらしく話は滔々と続いて行きます。
どうにも自分らの方が根を上げてしまい;(すみません;)十数分程もそうされた頃に、それとはなしに寒い事を申し上げました。
ならばご本殿を出て歩きますか、と話を振って下さいました。
そんな話の間にも、昨日は甲子祭というお祭りがこのご本殿の中でも執り行われており、別の若い神職さんら三人がお供え物を捧げ持ってその
瑞垣内にあるお社の前で斎行しておられました。
ぐり石と呼ばれる二十センチはあろうかと思われる石の上を浅沓(あさぐつ)と呼ばれる木靴で歩き難そうに渡ってこられ各お社(やしろ)の
ご神前にて祝詞奏上されるのですが、寒さとその動作の大変さで尚更今日は難しかろうな;と感じたのは自分だけではなく、一緒に話を聞いて
おられた信者さんも思っておられたようでした。
聞かせてもらえるなら、自分もよく存じないそのお祭りについて聞いてみたい気がしたのですが、どうもそこへは話が至りませんでした;。
ご本殿を出て、その周りに神迎祭の折に神々が宿泊されるという十九社(じゅうくのやしろ)や宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)別名保食神
(うけもちのかみ)ともよばれ、食物全般にわたっての主宰神が祀られております釜社(かまのやしろ)、また素戔嗚尊(すさのおのみこと)を
ご祭神とする素鵞社(そがのやしろ)等についてはそれぞれにご説明を受けました。
殊に素鵞社についてはかなり興味深いお話を聞かせて頂くことが出来ました。
それは何かといえば、この社の下へ稲佐の浜より運んできた砂を木箱に入れ、しばらく此処にて神様のご神徳を賜った後、出雲屋敷と称される
出雲大社で斎行する地鎮祭の折に使われる鎮めの砂とするのだそうです。
確かに地鎮祭を致す祭には敷地の東西南北中央に薬包みにして入れたこのお砂を撒きます。
お祭りを致す際には欠かせないお砂ですが、どのようにして作成されるのかまでは存じ上げず、今回このご説明を伺い、なるほどそういうことで
あったのかと納得出来た次第です。
またこのお社の裏手にある大きな一枚岩は昔から霊験あらたかとされており、話によりますと俗に言う権宮司、出雲大社では管長と呼び称されて
おりますが、その方が幼い頃、どこかしら調子が悪い時にはこの岩のところへ来てじぃっと手を当てておられたのだそうです。
そうすることで不思議とその具合の悪さも解消されておられたということでした。
確かにその岩に直に手を当てておりますと何かしら、ともすれば怖いほどのエネルギーを感じるようでした。
以前は此処で夜中に人知れず拝む方もおられたようで、その頃は蝋燭もあったような覚えがありますがさすがに最近はそのような物は撤去されて
おりました。
お越しになる機会があります方は、そんな岩に手を当ててみて下さい、何かしらパワーを頂けるかと存じます。
さて此処まで書いて参りまして当然まだまだ続きはあるのですが、今日のところはこの位とさせて下さいませ。
もう一、二回は続くかと思います;。(いつもながらに長くてすみませんです;)
先日まださほど開いていなかった小降りの枝垂れ桜はほぼ満開のようになっておりました。
空の雲からして明日はまたお天気は下り坂のようですし、どうやら今日あたりが見納め?だったのかもしれません。
だとすると一番良い頃を見ることが出来てよかったなと感じるところです。
皆様の辺りの桜は如何でしょうか。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございます。
感謝申し上げます。