日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

加藤さんの講座 三回目

2018-01-11 21:15:05 | お出かけ
こんばんは。
今朝は道行く車が雪のせいかかなり滑っている音で目が覚めました。
昨夜からざんざかというように降っていた時があった雪、それでも見てみるとそこまでの積雪はなく日が照るとじきに溶け出す程度で済みました。
とはいえもう少し奥の辺りはかなりの積雪があったのではと思います。
昨日も申しましたけれど、北の奥方面から帰る頃には積もる勢いの雪となっておりましたので、今日あのあたりは大変だったのではと感じて
おるところです。
横に長い写真の左あたり、このあたりは山が既に雪に覆われて見えなくなっておるほどです。
寒い一日の始まりとなりました。



                             




                             





                              




                             




それでも朝焼けはとても綺麗でしたよ。




                             




                   
                             




今日午前中は話しておりましたように、毎月開いておられる加藤さんの講座へ出させて頂きました。
すっかりお馴染みとなった方、それに前回はお越しになれませんでしたけれどもうお一人の(この方もかなり上の世界と繋がっている方です)
方、それに自分と講師の加藤さん、計4人での『惑星オーラカラーリーディング』講座でした。
この講座はその名の通り、太陽系の惑星、また星座について占星術的なアプローチから様々な側面を見ていくというものです。
以前にもお伝えしましたが、全員で4人という非常に小規模な講座ですので講師役の加藤さんお一人が延々と話すというのではなく、時に脇に
それたりお互いの意見やらも飛び交い、非常に賑やかかつ明るい講座風景です。
講座の回数としては今回は第6回目(自分は4回目からの出席となっております)「山羊座 土星から本質を掴む」と題されて講座が始まりました。
加藤さんの講座は、受けさせて頂いて感じたのは色と香りだなということですね。
ご本人の描かれた各惑星の絵、それに後で各自が香りも着けていくのですけれど、一人として同じようにならない、出来上がってみると各人各様の
バラエティに飛んだ色味と香りになり、これも毎回不思議に感じるところです。

今回面白いと感じたのは、自分が自分に対して思っているカラー3色と他の人からみた自分の色、やはり3色をそれぞれ塗ってみることでした。
自分自身はやはり青がとても好きなのでまず青を選び、次いでピンク、最後はやはり青を選びました。
けれど他のお三方から見た自分は、まず紫、(青、ロイヤルブルーもありました)深い緑これはモスグリーンのような色味、それの紫と補色のよう
な黄色、それもレモンイエローのような色といわれました。 
へぇ、人から見た自分ってこうなのかとなんだかとても不思議な感じを思いましたね。
紫という色は自分の中でとても高貴な色というイメージがあります。
そんなヤツじゃ、とてもじゃないけどありません;;という感じですけれど。
続いての緑、それも深いモスグリーン、これは何となくそう言われてみるとそうなのかも、と感じる色味ではあります。
森の中を連想させるような落ち着いた色味はその色だけでやはり心静かになれそうです。
けれど加藤さんいわく、この「緑」という色は日本ではそのように捉えられていることが多いようですけれど、特にアメリカなどではドル札がこの
緑というのもあり行動的とも認識され、また緑そのものが種から芽が出て成長しやがてまた花が咲いて実がなりそれがまた種になるように循環を
表すというように言われました。
ほう、なるほどぉ、深いねぇとこれもまた感じ入った次第でした。
最後の黄色、特に軽い感じのレモンイエロー、これも言われてみると嫌いな色味では全くなく、時に自分でも何かに取り入れたりすることもある
ように思います。
とはいえ、これはそれほど頻繁ではないかもしれませんけれど。

尚、今年のイメージ、2018年ということで見ると数秘では11、木星蠍座等々になるそうです。(他にも多くあります)
色味は緑とか青とかということらしく結構自分と被っている部分が多いように感じられます。
自分自身、蠍座でもあり今年はかなり「来る!!」年といわれているようですし、自分で自分にエンジン掛けて(それもターボエンジン!!)
ぐんぐん前進して行きたいと思います、頑張るぞ!! 



                                   




           
                                   



この講座とは少し別ですけれど、今回加藤さんがあることに使用するため相当数の絵を描いておられたのですが、長い間表に出ることがなく
もしかするとこのまま没になるのでは;と言われながらも見せて下さったものがありました。
その絵を裏返して受講者の我々3人で一枚引いてみて下さいといわれ、引いてみたのが下の絵達です。
これも不思議と3人3様、そうしてこれまたその人と柄を表しているかのような絵を引いておりました。
絵自体がB5版程度の大きさがありましたので、つい横にして撮ってしまい見にくいかと思いますけれど、そこのところは何卒ご容赦下さい。




                                   




                                   




                                   



一番上のが自分の引いた絵、続いて後のお二人の引いた絵です。
上でも申しておりますけれど、どうして此処まで的確;?と思う位、その人を表しているようで、こういうことって偶然なようでいてやはり必然
的にそのようになっているのだなぁ、と感じられた出来事でした。
ちなみに加藤さんの描かれたこれらの絵は月の満ち欠けをテーマにして全部で28枚あるそうです。
絵の中に必ず月のモチーフを取り入れて描かれているのだとか。
これらの絵を自分達に披露して下さった途端、わぁっという歓声のように思わず声が出てしまいました。
それほど色鮮やかで細やかでひとつとして同じようなテーマではなく、一枚一枚が丹精込めて描かれていたからでした。
3人共に、この絵が欲しいよねとか、この絵で絵本にしたらとか、色味を抜いて塗り絵にしてみたら、とか色んなアイディアが一度に溢れるように
して出てきました。
当の本人の加藤さんご自身が驚くくらい、これってそんな風に感じられるんだと感激しておられたようでした。
実物をご覧に入れたいくらい本当に緻密に描かれており、このまま埋もれさせるのは絶対に惜しい、世に出して欲しいと強く願ったのでした。
もしかすると今日このメンバーで集まることが分かっていて、絵の方がこの日を選んで此処で披露されたがったのではないのか、そうとすら
感じられた出来事でした。
水彩と色鉛筆またはパステルと共に描かれたこれらの絵達、その色身を忠実に再現して皆さんの前に出てくる日を楽しみに待ちたい感じです。








そしてもう一枚、別の方の絵、これは実は今日ご一緒したターラさんとおっしゃる広島でご活躍されておられます方でオーラソーマ、数秘を始め
様々な方面でその才能を発揮されておられる女性です。
そのターラさんの作成された絵というよりも刺繍で彩られた仏画とでもいえるこのアート。
『つくりびと』という、日本全国の美術館に置かれておられる雑誌に掲載されました。
これもまた繊細な色と柄を感性そのままに表現されたといってもおかしくないほどたおやかで穏やかでありながらもどこか凛とした表現の感じら
れる作品のようです。

今日はこんな素晴らしい絵、アートを表現しておられる方々とご一緒させて頂き、またもう一人の方も的確に相手の事を言い当てる才能に恵まれた
感性の持ち主でもあり、今にして思うと凄い方たちとご一緒したもんだ;と改めて感じておるところです。





                                 



さて、此処からは蛇の足、つまりは蛇足でございます;。
講座が終わると予定時刻を大幅にオーバーし、13時過ぎ(10~12時の予定です)、それだけ楽しくて時間を忘れてしまうからなのですけれど。
そのまま帰宅しようかと思いつつも少しまた街中へ足を運びました(ええ、出べそです;)
実は私めこの2、3年賀状というものを書いておりません;。
頂戴致しました皆様、真に申し訳御座いません;、義理も人情?も全て隅っこどころか大向こうへかなぐり捨てております;。
一昨年くらいに、今だから言えるのですけれど少し欝っぽくなりとても賀状を書こうという気になれず、どうもそれが引き金になり段々と億劫に
なって来ておりました。
信者さんなどこちらがお出しせねばならないはずの方にも不義理を致したりしております。
そうこうするうちにパソコンがぶっ壊れ;、住所録もUSBに入れとかなくちゃと言いつつも全くしておりませんでしたので全てパァ;。
(そんなパソコンぶっ壊れ事件;?が2回もありました)
それまでは200枚程でしたが毎年欠かさず出しておりましたものが主人が他界してから此方、なんとなく出すのがしんどくなってきていたの
もありました。
まぁ要するに色んなことが重なってもういいや;と半ば賀状を作成するという行為自体を放棄してしまったわけです、面目ない;。
それでも頂戴致しました方々にはせめて賀状ならずとも寒中見舞いくらいはお出しせねばと考え、その葉書を買いに行ったというわけです。
本来なら三が日の間でしたら郵便局で賀状そのものを買えるようでしたけれど、その間は足もありませんでしたので断念、その後も足はあっても
暇がないなどで間に合わず、ならばいっそ絵葉書にするかと思い、それを購入しに出たのでした。

途中少し立ち寄った電器屋さんで以前太極拳でご一緒していた方とばったりお会いし、何年ぶりかのご挨拶を致しました。
当然以前よりもお年を召されておられますけれど、やはりスポーツをされておられるだけありお元気そうでした。
その方と別れ、そこから歩いて目的の場所まで行きましたけれど街中でも今日は寒かったですねぇ。
デパートの建物の中に入るとホッとした思いが致した位です。
賀状代わりの絵葉書も求め、見てもよく分からない;骨董品の展示をちょこっと覗き開催しているイタリア展にて美味しそうなフォカッチャなる
パン?を買い、いい加減お腹が空いてどうにもならん;と思い地下にあるパン売場の横の喫茶店に行ってみました。
どこでもよかったのですけれど、いつも行くドトールではなくちょっと別のところへ入りたいなと思ったのもありますが、申すようにお腹空き過
ぎて、建物内から動きたくないというのが主な理由でした;。
講座の後、時間的に中途半端でしたのでお昼も食べずじまいでしたので(講座途中では美味しいイチゴやお茶も用意して下さっていたのですよ、
でもそれだけではさすがに足りませんでした)何かお腹にいれようと思ったのでした。
普通にお茶だけにしようかと思いながらメニューを眺めると、美味しそうなチーズケーキが載っています。
迷わずそれを注文し、美味しい紅茶と共に少し優雅な?ティータイムと相成りました。
久しぶりのケーキ、殊の外美味しく感じられたのかもしれません。
隣の席で聞えるともなく聞えてきた「オリエント急行殺人事件」の映画の話題、機会があれば映画館で観たいよなぁ、とそんなことだけはしっかり
耳がダンボになっていた自分です;。

その後はこれ以上はさすがにしんどいと思い、明日もまた仕事だし帰ろうとやっとこさで帰路に着きました。
戻って来たバス停でバスを下りるとちらつく雪が舞っておりました。
少し寒波も緩むとのことですけれど、これ以上寒くならないで欲しいと願う思いです。



毎度の事ながら、最後はいつも小学生の作文になってしまう我がブログ;、それでも変わらずお付き合い頂きます皆様、いつも本当に有難う
ございます。
感謝申し上げます。
コメント (2)
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新年のお祓い

2018-01-10 22:32:22 | 仕事について
こんばんは。
朝から寒い一日でした。
とはいえ移動中、また建物の中にいる分には暖房も効いてぬくぬくでしたけれど、外気は目が覚めるほどの冷たさを感じました。
7時少し過ぎに車を動かそうとしてもフロントガラスは霜でびっしりのためしばらく暖機運転して温めてガチガチに凍ったのを溶かして
発進した朝でした。
そんなわけで今朝の空は真っ暗け;、ほとんど何にも写っておりません;。
その代わり渋滞で停車中の車窓から綺麗な彩雲が見えておりましたので電柱共々;写してみました。
あんまりそこのところはわからないかもしれませんけれどね;。




                                 




                                  
                                




                                 




                                  



                                 



朝一番は会社の新年祭、続いてご家庭でのやはり新年祭、また午後からもご家庭での新年祭、と三箇所を回らせて頂きました。
会社は8時半までに来て下さいと言われておりましたので早めに出たのですけれど上の写真のように途中、全く1ミリも動かずそこで25分
経過したりと、ああこれはやはり通る道間違えたよなぁ;、と一人ラジオを聴きながら思っておりました。
とはいえ通勤の皆さんは毎日これを繰り返されるわけですから頭が下がります。
毎日となると、それなりに時間の過ごし方もあるのでしょうけれどね。
ですが車でしたらこのようにある意味優雅にラジオ聴いていたり出来ますけれど、これがバイク通勤だとそうは行きませんよね;。
息子も一時、そのバイク通勤してたことがありましたけれど、暑ければ暑いし、寒ければ寒いし、それなりの着る物が必要だといってそこへ
お金をかけざるをえなかったようでした。
考えてみれば当たり前の話ですけれど、身体ひとつで乗っているわけですしね、身を守るのには必要欠くべからざる物なのだろうなと思います。
と、そんなことを考えながらお祓い先の会社へと向かいました。

此方の会社では年始ということもあり、皆さん揃われて神棚に向かわれます。
昨日声が出るか自分自身懸念しておりましたけれど今日は咳き込むこともなく、すんなりと声も出、気持ちよく祝詞奏上させて頂くことが出来
ました。           
その後社長を始め、社員さん方お一人お一人が神棚の下まで参られ拍手を打たれて拝礼されます。
わりとこじんまりした会社ではあられますがアットホームでもあり仕事は忙しくても皆さん充実しておられる感じです。
此処へは主人の頃からですので伺わさせて頂くようになってからはゆうに三十年は越えておりますね。
その間、会社なりに紆余曲折はありながらも平成の現在まで続いておられる中堅どころであられるかと思います。
神様を拝まれるからということを申しておるのではなく、皆さんが一つになれる気持ちがあるからこそなのではと、端から拝見させて頂いて
感じる事です。


次には市内でもかなり北辺り、沼田方面へ向かいました。
昨夜の時点で今朝は雨と聞いておりましたのでこの辺りはどうだろうかと思っておりましたけれど、着いた頃には雪は全く無く地面が濡れている
程度でした。
此方のお宅には私が行くと吠えることで歓迎?してくれる元気なワンちゃんがいたのですが今日はその声がしませんでした。
中へ入ると、そのワンちゃんの骨壷が居間に写真と共に置かれておりました。
え?この間来た折、9月はどうだったか、まだ元気だったように思うのに、と尋ねてみるとどうやらワンちゃんの悪性リンパ腫になったらしく、
獣医さんで診てもらった時で既に何もしなければあとひと月、と言われていたようでした。
前回思い出してみるとこのワンちゃんには会えておりませんでした。
いつもならひとしきり吠えた後で、自分の顔をみるなり、なんだこいつか、じゃ止めとくか、な顔をしてくれていたのですが、なんとも寂しく
なってしまいました。                  
具合が悪くなったのが分かったのが7月くらいだったようで、その頃から少しずつ点滴したり薬を飲ませたりしていたようですけれど、9月の
頃にはもう吠える元気が無かったようでした。
その時は姿が見えないと思いつつもさして聞くこともせず、そこの奥さんにワンちゃんが元気でいられるようしてあげて下さいと何の気無しに
言っておったようでした。
死んだのは11月半ばだったとか。
広島市では二箇所にペットの火葬を受けてくれる火葬場があるのですけれど、そこは合同で火葬にするのでそれがいやで業者に頼み個別で火葬に
してもらい骨壷へ収めてもらったとのことでした。
最近、ペットが可愛いあまりこのように人間同様その死後も手厚く扱う傾向にあるようですけれど、彼ら動物にしてみるとむしろ死後も此方の
世界から向こうの世界へ行けなくなるようで、その扱いには注意が必要かと思います。
申し上げたいのは、彼らの骨を人間同様に扱い、その最後をお墓にいれることまでしてしまうと彼らの魂は戻るべき場所へと帰れずいつまでもさ
まよってしまうということです。
別れは辛いものですけれど、亡骸はその言葉通りあくまで魂の抜けたいわば抜け殻でありいくら可愛いからといっていつまでもご自分の近くに置
いておくのはよくないということですね。
人間のような個人の特定のお墓に入れるのではなく市町村によれば、申したように合同であってもちゃんと慰霊碑のような形で供養してくれる自
治体もあろうかと思いますので、そのようにされてみられては如何かと思います。
彼らは一度戻るべき場所へ戻れば、またいずれこの世に生を受けて生まれ変わってくるものと考えております。
先の奥さんにも、どうしても気持ちの整理がつかないというのであれば、そのような祭文(祝詞ではなく、このような悔やみの折の文言ですね)
を上げさせて頂くのでまたおっしゃって下さい、そうすればワンちゃんも安心して向こうへ戻れますよとお伝えしてそこを辞しました。


昼からはより北の奥、昨日申した鈴張というところへ参りました。
此処こそ今日は雪があるのではと覚悟しておりましたが、拍子抜けするくらい積もってなどおりませんでした。
このお宅も、これも昨日申したようにこの地へ講社を設けて以来のお付き合いのお宅ですので、お互いにその分歳を取っております。
奥さんといっても自分の親の代くらいの方ですし、昨年からは定年された娘さんご夫婦が戻られ棟は違いますが同居しておられます。
それまでは長年一人住まいでこのお宅へこれもまた大きな顔をしている割には小心者のネコとの二人?暮らしをされておられました。
今日はそのご家族お三方と共に新年のお祭りをさせて頂きました。
祭り後の直会(なおらい)、というよりも四方山話を散々した後、さあ帰ろうとする頃には懸念していた雪が降り始めようとしておりました。
このまま帰ろうかと思いましたけれど、昨日も申しました水神さんの祠がこのお宅からの帰路にありますので、少しそちらへ参ってみようかと
考えました。
近くまで行き、車を停めてそこまで行こうかと思ったのですけれど、だんだんと雪が激しくなって来、これでは細い道を行くのは危険だなと判断し
道の下から、あの辺りかなという方へ手を合わせてまた参りますとご挨拶だけして帰ってきました。
その辺りでは段々と降る雪も激しくなってきておりましたが、遠ざかるにつれて日も射して来るようになり一山越えると完全に雪など全くない
お天気となりました。
同じ市内とはいえ、場所によればガラリと天候の変わる、特に今日この頃です。
これが明日お参りとなっておりましたらばおそらくあの辺り真っ白い雪化粧であろうなと思うところです。



                                    



                                   



                                      
    


このような感じで今日は朝から一日新年のお祓いへ参らせて頂いておりました。
いささか疲れ、一度荷物を家に置き、いつものように車をレンタカー屋さんへ返しに行きましたが帰りのバスでは空いた席に座った途端、いつに
無くウトウトと寝てしまいました;。
なんともオバサンな話ではあります;。
バスを下り見上げた夜空に雲がいくつも浮かんでおりましたけれど、なんとはなしにそのどれもが龍のように見受けられ、その雲自身がお疲れ様
といってくれているように感じたのは、自分のひいき目でしょうね;。
疲れはしましたけれど充実した一日とさせて頂きました。


明日はまた加藤さんの講座を受講させて頂いて参ります。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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花の香り

2018-01-09 20:31:42 | 神様等について
こんばんは。
今朝は揺れで目が覚めました;。
といっても大した事はなかったのですけれどなんせ寝てるのが相当に古い家屋、少し揺れただけでもうわっ;;と感じてしまう位です。
そしてまたああいう時は一瞬で起きてしまうものですね。
いつ何があるかわからない昨今、気をつけると共に持ち出しようの非常用バッグ、真剣に備えておかなければと思っております(すみません;
いつまで経っても何とかなるさ;が根底にあるもので)
そんな日はこれが揺れの原因だったの?と思うくらいの強風も吹いておりました。
学校も今日から始まりましたが、初日にしてはちょっと厳しい天候からの始まりとなったようです。
そんなわけで6時台から7時台にかけての空の様子を写してみました(単なる趣味;です)



                                   




                                   




                           
                                   





                                   




 
                                  





                                  




お天気の話題をもう少し続けると、風がかなり強く時たま突風が吹く時があり、また雪起こしの風かもと考えておりますと、雨かなと感じていた
ものが次第に霙となり、とうとう最後は本当に雪に変わってきておりました。
あらら、このまま積もるの?という感じでしたけれど、時折曇ったかと思うと一転晴れ渡ってみたりと目まぐるしく変わるお天気となった
ようです。
明日朝から立て続けで会社の新年祭から始まり北方面に向けてのお祓いが入っており、道路は大丈夫だろうけど、でも降らないでね、と思って
おるところですね。
広島は沿岸部はそうでもありませんけれど、広島市内でも安佐北区(あさきたく)といわれる区は、ともすれば島根県の天気予報を見たほうが早
いとその地域の方がいわれるほど、お天気は島根寄りのようです。
自分の住まう安佐南区も旧市内と比べれば遥かに雪になる確率は高く、このあたりでも冬場はよく走る方などはシーズン初めにはスタッドレスタ
イアに履き替えるくらいです。
まぁ大抵そこまで酷い積雪にはならないでしょうから、大丈夫かと思います。




                                  



懸念していた喉の痛みも大分治まってきました。
今回手持ちの市販薬も何もなかったので全く何もせず、その代わり声を極力出さないようにして過ごしました;(いつもとおんなじだな;)
普通に喋るのは何ともありませんが、祝詞をあげようとして声を出すとそれなりに喉に負担が来るようです。
ですので今朝の奏上もどことなく棒読みな祝詞奏上となっておりました。
もっとも祝詞を上げるのに、こうしなくてはならないという決まりがあるわけではありません。
よく耳にされる独特の節回しを持った祝詞の奏上のように感じられるかと思いますけれど、その人各人がご自分にあったような奏上の仕方を
身に付けておられるのだろうと思います。
本来は人間の願いを間に立つ仲取り持ちとしての神主が神様に申し上げる言葉が祝詞であると言われておりますので、人間に聞いてもらうのが
主体なのではなく、あくまで神様へ奏上致すのがその目的とされておりますので、どのように奏上しても構わないとされていたようです。

祝詞奏上の仕方?について話が出ましたので、もう少し話をしてみることと致しますね、
主人と一緒になった頃、大社へよく参拝致しておりましたけれど、その中に大國(おおぐに)先生という方がおられました。
今の出雲大社の国造のお父上、いわば前国造とほぼ年代か同じ位であられたと聞いておりました。(その当時でかなりの年齢であられました)
参拝致しますと何故かよくこの先生に祝詞奏上して頂くことが多かったように思います。
他の神官方はそうでもないのに、この先生が上げる祝詞はどう聴いても決して上手いとは思えず、まるで小学生の本読みのようにとつとつとして
おられました。
その頃殆ど知識のない自分は、どうしてあのような方が神官としておられるのだろうかとその疑問を主人にぶつけると、この先生ご自身、祝詞を
上げながら依頼者の方の背景が自ずと頭に入って来られるらしく、祝詞の途中でも何回も詰まることがある、と話してくれました。
確かに奏上なさりながらもふとその言葉が途切れ、え;、と此方が心配するほど間が空くことが多々ありました。
頭の中に入る情報を片方で処理しながら?祝詞を上げるので、知らず知らずに途切れてしまうこともあるようでした。
主人の言葉で言えば、ある意味霊感のある人、霊能者であられたとのことでした。
ひと様に聴かせるための祝詞奏上ではなく、あくまで神様に対して申し上げる奏上であられたのだと思います。

その意味では前述の前国造もそのようなお方であられましたね。
祝詞奏上のお声は今でこそ祭りの折にはマイクを通して我々の耳にも届いて参りますが、前国造の頃はよしんばそれがあったとしてもほとんど
声が聞こえず、国造ご本人と神様との間でなされる、まさに秘めた神事であられたように思います。
本来は祭りとはそのようなものである、というお考えであられたのかもしれません。
凡人の自分には推し量ることの出来ない世界です。

とはいえ祝詞奏上はその殆どが朗々とした声で上げておられるのが実際かと思います。
神社へお越しになった際には神主さんの上げる祝詞の声に耳を澄ませてみられればと思います。
 



                                  



そんな声が出にくい祝詞奏上でしたけれど、頭には変わらず言葉が入って来ました。


 〝   そなた 影(陰)のある方 気になるか? そちらへ目を向けると 一層強調される

     ならば光の当たる 明るい方へこそ 目を向けよ

     そうすることで より日の当たる面が広がり 影の部分も 日が照ることになる

     日の当たる方を 見よ   〟


 続いて瀬織津姫?

 
 “   我は 瀬織津 我はどこへでも 清らかなせせらぎや 湧き水のような処でも

     どこでも 遍くおります

     鈴張(すずはり)の(あの水神の)社へ 来て下さい

     春の頃 待っております    ” 

 
 頭で聴きながら蝋梅の良い香りがふわ~っと時折漂ってくる 不思議
 後で蝋梅に鼻を近づけて香ってみると なんとなく香りが違うよう やはり不思議

 瀬織津姫が出てくる前? 水中の映像 最初流れの中 魚も泳いでいる 澄んだ流れ 色々な水の中 流れの中が見えている
 時たま外(空)の青さが鮮やかになったりする 日本ではなく 海外とか?(ハワイ?) 心地よい

 外はごうっという風の音 風のエレメント?とも感じる
                                                

上の部分はこれはいつもの大神の言葉のようです。
これも昨日の言葉の補足のようでもありますね。
元々大神の話す言葉はそれほど長くなく、一言だけということも少なくありません。
このように長く話されるということ自体、これまでには無かったかと感じております。
というよりも、このように話しておられたとしても今までは自分の頭の中だけで受け答えをし、後で書き出して文章化するということはしており
ませんでしたので、こうして改めて書いてみると案外長いものであったということがわかったのかもしれません。
それにしても、話の内容自体、自分自身が普段は案外ネガティブ;であるのが分かるかと思います。
一人でいる時間が長いと、うちに籠る感じになるので余計かもしれませんけれど。
しゃべる相手がそばにおれば、うるさいほど話しておるオバサンではありますよ;。
それとは関係なく、言われたように陰の部分を考えると余計にそちらへ引き寄せられてしまう、ならばいっそ明るい部分に着目せよということな
のだと感じております。
考えれば考えるほどドツボにはまるという時がありますが、まさにそのようなもので暗い方へ目を向けるとなお一層そうなってしまうということ
だと思います。
笑うくらい明るいことばかりを考えておれば、暗い部分も吹き飛ぶように明るさがその大半を占めてくるのだと考えます。
一人で居ても、何かワハハと笑えることを敢えて見つけて明るくしておくこと、それが一番なのかもしれませんね。

次に頭に浮かんだのが瀬織津姫でした。
その声が響く前に、頭の中に水中の映像が浮かんで来ました。
流れの中を見ているようです。
その中には小魚も見えます、少し視線を上に向けると空も感じられるようです。
その空の色も、また水の中の感じも刻々と変わり、最初は日本の小川の流れの中であったものが次第に明るい陽光の射す南国の水中にいるよう
でした。
そのようなことを感じながら聴こえてきた言葉でした。

鈴張というのは、地名でして以前うちの講社(広島敬神講社)があったところでもあります。
以前にも話しましたけれど、かなり以前に主人の下へおられた方が独立する形となりましたので、そこからはうちの講社は退きました。
それはともかく、その以前に講社の近くに古い祠(ほこら)があり、どうやらそこへは随分昔に岡山の最上稲荷よりお札を頂戴してこられた水神
様が祀られておられたようでした。
主人が鈴張へ講社を開いた際に、屋根の瓦も落ちかかっていたその祠を地元の方にどうにかしてほしいと話しを持ちかけられ、有志の方のご尽力
によりその祠も立派に整備され、今一度水神様を祀るお祭りを春に致すようになった経緯がありました。
自分らがその鈴張へ参っておりました頃は毎年、春にお祭りをかかさず致しておりましたが、その後は跡を継いだ方にお任せ致しましたので現在は
どのようであられるのか、よく存じません。
ともあれお呼びが掛かりましたのは瀬織津姫からですので、言われたように春の頃、参らせて頂こうかと思います。
祠のすぐ下には細い流れが今でもあるところです。

またそれとは別に瀬織津姫が坐しますとされる処も自ら語って下さったようですね。
姫の坐します場所そのものを頭の中で再現して下さったのが自分が映像として捉えた景色だったのかもしれません。

瀬織津姫が坐しますということは龍もその場におるのかもしれません。
以前はそこまで感じておりませんでしたけれど、次回参ります折には、これもまた感じ取ってみたいと思います。

姫の言葉を聴きながら、時折ふと神殿のすぐ傍に活けてある蝋梅の花の香りが鼻をくすぐるようでした。
とはいえいつもはそこまで香ることも少ないけどなとも頭の半分で感じながら、後にその蝋梅に近づいて香ってみましたけれど、先ほどの香り
とは似てはいるものの、少し違うように思えました。
良く瀬織津姫が登場?する際には香りがすると聞いておりますけれどその香りだったのでしょうか、なんとも不思議な感覚でした。




                                   




久々で女神様の登場であられたようです。
大体自分自身が大雑把でサバサバした感じですので;、たおやかな女性の神様はお越しになりにくいのかも?しれません;。
それでもこのようにお越し頂けたことはこの上ない喜びと感じております。
今年はこれまで以上に多くの神々、存在とも繋がりが持てればと考えております。
どのような展開になっていくのか、自分でも楽しみですね。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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雨の日に

2018-01-08 19:08:08 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今日は成人の日でしたね。
全国的に見るとやはりこの日に行う市町村が多いようですけれど、ところによるとお正月の間、あるいはお盆休みの間とそれぞれの地域に合わ
せた開催となっているようです。
このあたりは今日の開催ですけれど、少し残念なことに朝からお天気は下り坂、晴れ着で参加したお嬢さん達にはちょっとかわいそうな天候と
なったようでした。
かわいそうというと横浜でしたか、どうやら成人の日の当日、今日ある会社で晴れ着等の予約してをおいたのに全く連絡がつかず、式にも参加を
断念したお嬢さんもおられたとか。
いくらなんでもハレの日の今日、そんなことをするとは信じられない思いですけれど。
今の若い方は特に着物を切るという機会そのものも少ないでしょうし、ましてやそれが一生の思い出になろうかという成人式での晴れ着となると
尚更ではと考えます。
なかには急遽別のところでなんとかして頂いたという方もおられたようですけれど、全ての方では無いでしょうしね。
どうにも後味の悪い思いの残る成人の日となったようです。
そんな日の朝は申したように、どんよりとして小雨が降っておりました。




                                  




                                  




前述のように成人の日にはかわいそうなお天気ではありましたが、乾燥していたこのところでしたので何よりのお湿りとなった気が致します。
インフルエンザも湿度には弱いと聞きますし、少しでも流行らないでいてくれればと思っております。
あれ、なると相当しんどいですしね;。
自分はこれまで覚えているので2回、酷いのに掛かったことがあります。
一度目は主人の介護をしていた頃、随分と以前ですけれど息子経由で貰ったようで、息子もダウンし、これは自分がしっかりしなくてはと考えて
いると、何のことは無い、自分もダウンしてしまいました;。
これで主人に移したら大事だ;、と懸念していたのですけれど、幸い本人は通っているデイケア先の病院での予防接種が効いていたのか、家族で
一人元気でいてくれました。
とはいえ、夕飯時は私が主人の世話をしながら食べてもらわねばならずすぐ隣で熱っぽい自分から介助を受けながら食べている主人を心配しつつ
自分が倒れそうでした;。
息子は息子でその当時中学生だったか、ちょうど職業体験のようなものがあり彼方此方の職場へお邪魔しそれぞれに仕事の体験をしてくるという
授業があったのですが、その二日間に寝込んでしまいましたので、何にも体験せぬまま終わったようでした;。
自分も同じように二日ほどダウンしつつも前述のように介護もしつつ、ちょうど忙しいこの一月だったのではと記憶しております。
というのも、どうしてもその後で遠方に仕事へ出ねばならず、朝デイケアへ出る主人をヘルパーさんにお願いし自分は掛かりつけの病院ででっかい
ビタミン注射だったか何かを打ってもらいその足で高速で駆けて行った覚えがあるからです。
今思うとインフル掛かった後で、すぐ行くってどうよ;;?な思いですけれど当時は全く休みが取れないほどスケジュールがびっちりでしたので
行っとかないと後が支える;という程でしたので強行軍だったと覚えております。
ま、単純に今より若かったというのは大いにあると思いますよ;。(笑)

あともう一回は3、4年ほど前ですかね;。
前の日の夕方、いつもの散歩コースを歩くのに、なんでこんなにしんどいんだ?と思いながら坂道を登ったことがありました。
その晩くらいからどうも変だなと思っていると次の日の朝は起きられず;;。
枕元に目覚まし代わりに置いている携帯で階下の息子にメールをし、スポーツ飲料買ってきて、と頼んだ覚えがあります。
下の台所の冷蔵庫へ行くのもしんどい、億劫なほど起き上がれませんでした;。
大体熱に弱い性質でして、もうああなったら寝るしかありません;。
前回同様、二日ほどは昏々と眠っておったようです。
けれど最初の時はあちこちの節々、また腰も、なんでこんなに痛いんだ;?というほど痛みがありましたけれど、この時はそこまで感じなかった
ように思います。
一回目の時にインフルに懲りてしばらくは予防接種もしておりましたけれど、そのうちに掛かった時はそれまでよ、と放っておりました。
危ないと言われるインフルエンザですけれど、型は違えど一度掛かると熱は高く出ても前回ほどには酷くならないのかな、と感じましたけれど、
これとて全くの自分自身、あくまで個人の主観ですので実際のところはどうかはわかりませんよ。
たとえキャリアになっていたとしても発症しないのが一番、いやはなから掛からないのが一番かもしれませんね;。





                                  



そんな日、喉は声は出ますけれど祝詞奏上にはまだ無理な感じでした。
自分にしてみれば、いつもからすれば囁くような声で祝詞を上げさせて頂きました。
耳下腺が今一つというところでしょうかね、早く良くしたいものです。
そんな祝詞の後には大神の声が下りてきたようでした。

 
   〝   それ以上も それ以下でもない

       そなたはそなた

       思うことに 揺らぎを持つな

       微塵も揺らぐことなく 一つのこと思うならば 現実は そのようになる

       迷いを差し挟むな 行動を起こせ

       後ろに 控えおる白龍 うずうずしておるぞ

       そなたが動けば 自ずと これ(白龍)も動く

       進めよ    〟

 
 白龍 透き通る玉を持ち 後ろで居る 近い

    
   〝   (今年は)飛べ!

        どこへでも 向かえ!    〟


このような言葉が頭へ入って来ました。
いつにも増して力強い大神の言葉です。
物事をなそうとする時に、こうしたらどうなるだろうか、ああしたらどうなるだろう、と以前はまだしてもいないことに思い煩っておりました。
取り越し苦労というやつですね。
まだ何も始まっていないのに、心配だけを先行させておりました。
最近はそのようなことは考えないようにしておりますが、それでもチラッと不安が顔を覗かせそうになります。
その時は思いっきりかぶりを振るつもりで、はなからそのようなことは無いのだと自分に言い聞かせております。
ネガティブな面を全く想起せず、ポジティブばかりを考えるようにします。
元々が先に書いたようにああでもない、こうでもないとグズグズする性質でしたので、夜など寝つきが悪かったくらいです。
この頃はそのようなことは全くとはいいませんが、9割がた床に入るとじきに寝ております;。
大神が言われております内容とは若干隔たりがありますけれど、微塵も揺らぐことなく、物事はこうなると思うならば、実際にそのようになるの
ではと、だんだんとこのところは現実味を帯びて感じてきているところです。
とはいえそれはまだまだ卑近な例ばかりで、大きな部分ではどこか無意識に漠然と不安な気持ちを隠し持っているところがあるのは未だに否め
ません。
そんな自分を見透かしたかのように迷いを差し込むなといわれているのでしょう。
そうしてその後には迷うことなく行動を起こせとも言葉が続いております。
確かに迷いながら、愚図愚図と前に進めていない自分が此処におります。
だからこそ行動を起こし、後ろにいる白龍共々、大きく飛躍せねばならないのだと感じます。
白龍、本当に近いです;。
すぐ真後ろ、というよりも自分の肩越しにその顔を感じるくらいの距離で手には透き通る玉を持ち、控えております。
この白龍を高く飛び上がらせて翔けて行かせられるよう、努めねばと今一度思いを新たにしておる自分です。




                                   




写真の奥、あの辺りは実際には広島駅が眺められる辺りなのですが、今日は雲なのか低く垂れ込めたような霧なのか見通しが利きませんでした。
いつもの歩く道も雨は降っていなかったのが帰る頃には傘に当たる雨音が聞こえるくらいになっておりました。
そんな帰る途中、これもいつも見える山の尾根伝いにまるで龍が這うかのような雲が見えておりました。
雨を降らすのが龍の役目、人間にも分かるように姿を見せてくれたのかもしれません。


                                   



                                                                                                      



久しぶりに雨となった一日でした。
明日からは本格的な始動となりそうですね。
どなた様も今一度気を引き締めて参りましょう。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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大神 アーロン エーヴィン 月読尊

2018-01-07 20:47:54 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
朝のうちは多少青空も見えておりましたが、昼過ぎ位からは曇って来ました。
先ほど歩いて来るとまだ降りそうにはないものの、夜半にはどうか分からない感じです。
このところ乾燥しているようですし、少しはまとまった雨がある方がインフルエンザなども流行りにくく良いのではと思います。
そんな日の朝はこのような空で、次第に朝焼けになっていったようでした。




                               
                                


                                


                                





                                  





風邪っ気は大分抜けてきましたが、まだ残っていますね。
耳下腺の腫れはこれもずいぶんとましになってきましたけれど、まだ少しあります。
今朝も祝詞を上げるにはしんどい感じで、ほどほどの音量、音声にてささやくまでは行きませんがそんな感じで奏上させて頂きました。
こういう時に無理して声を出していると次第に擦れてきて終いには酷く咳き込んでしまいます。
それでも信者さんのお宅などへお祓いへ参らせて頂くこともしばしばですが、こうなると直りはさすがに悪いですね。
プロならばまずそのような状態にならないことが一番ですね。
幸いにも明日までは休みとさせて頂いておりますので、せいぜい喉も休めておこうと思います。
こういう時間を頂けたことに感謝と感じております、いやほんと。




                                



そんな中で、自分自身も幾分気分も落ち着いてきましたので、今日は上からの言葉が頭の中に入ってきたようでした。
いつもは大抵一つの存在だけのようですが、今日はこれまでさせて頂けてなかった分?纏めて来られた感じでしたね;。
書いていこうと思います。



 座って目を閉じていると 最初は大神か

  

   〝  龍であれ何であれ その者(一人ひとりに)導くものあり

      捉え方にも よる   〟
                                           

 続いて金龍 アーロン

 
   “  呼んだか?  そなたとは 常におる

      (現れるように見えるのは)意識するか しないかの違いだけだ  


      4月8日のてんごく。とやらの龍音の集い 行こうと思えば そのようになる

      聴くことで また違うことを意識出来るようにも なって来る

      ようは 思い次第だ    ”


 アーロンの光 豊かで重々しい といっても重苦しいのではなく重厚感のある光


   “  Tomokatsuは それほど 心揺さぶられない ブレるということが少ない

      安定している   ”
 
 言い終わるや シュンッと一瞬で帰った感じ





 続いてエーヴィン


   ‘  やぁこんにちは 元気?
   
      どうしたの? 風邪引いたの? 大丈夫だよ

      今 次の段階へ行くのに 準備をしているんだよ  信じられない?

      掃除をして 部屋を綺麗にしたり 整理する時は 物を動かしたりするでしょ?

      している間は 埃が立ったり 音が出たり 落ち着かないよね?
  
      それと同じことだよ  心配することはないよ   ’

 
 お金 経済を回したいけど

 
    
   ‘  僕と君はお金出さないと 繋がれない? そんなことはないでしょ

      これからは色んなところで 君とシンクロして来る人が出てくるよ

      そうすることで 自然とお金 経済も 回ってくるようになるんだよ

      だから心配いらないよ  ’ 

    
   ‘  今はバージョンアップの最中だよ だから大丈夫だからね

      じゃあね  バイバイ   ’
  



      
 昨夜の月 月読尊(つくよみのみこと)?
      

   『  日本人は その日その日の月に名前をつけて呼んでいます

      半月であれ 途中の月であれ

      その時々で その月に相応しい 浄化を行っているのです

      その日の地上を その日の月の光 明かりで照らすことにより

      浄化しています

      だから 意味があるのです

      満月 新月にも多くの意味があるように その折々の月にも

      そのような意味があることを知って下さい   』
      


 
                                  
 



この他にもシリウスからも、星を見かけると話しかけてくれるように感じます。
ただし、いつもその後に書きとめておりませんので、すぐに忘れてしまいます;。
シリウスはいつも理性的というか論理的な話し方、理路整然とした感じで語りかけてきます。
上記のそれぞれの存在達も、全てその話し方は違っており、自分の直属の上司;?である大国主大神はいつも威厳に満ちた話し方です。
神様の声、言葉を下ろしだした頃からずっとこのような感じですので、自分には違和感がありません。
姿は以前にも申しましたけれど、それほど感じられません。
いつも声のみというのが殆どです。
(この大神について出雲大社での遷座際の折に感じたことがありましたので、また改めて書かせて頂こうと思います。)

さてその大神の言葉ですけれど、誰しも何がしかがその方についておりその方を導いてくれているということを言われております。
龍と感じる方がおられたり、別の存在であったりなのだと思います。
ご自分には見えない、感じられないという方でも何かしら物事をする際にこうした方がいいんじゃないかという考えが閃くように出てきたならば
それがその方にとっての、いわばガイドなのではと思っております。
ここの部分、まだ自分では説明が出来るほどに至っておりませんので、もう少し時間を下さい;。
先日もどのように捉えるのか説明致しますと申しましたが、そこの段階に達しておらないようです。
言ってみれば自分ひとりで今のところ、精一杯、アップアップ;という感じですね;。
申し訳御座いません。


続いては既にお馴染み?の金龍アーロンのようでした。
白龍にせよ、その存在は感じるのですけれど、話しかけてくるということはそれほど多くはないように感じられます。
その姿で物事を示しているように思えます。
どうやら自分示自身が映像で捉えるのが一番得意なのかもしれません。
アーロンは元々Tomokatsuさんのところへおられる金龍のようですし、そう考えると振る舞いもそれに準じておるのでしょうね。
そんなアーロンが話してくれたこと、常に一緒にいるということですが、これは思うと瞬時に現れるとうことなのだと思います。
彼アーロンを心に思うことで一瞬にして既にその場に居るという感じでしょうか。
時間そのものが存在しない世界ですので、そういうことなのでしょうね。

次のてんごく。さんとおっしゃる方は少し説明が必要かもしれませんね、とはいえご存知の方も多いのでしょうけれど。
あの方のブログ等を拝見させて頂いておるうちにラインでも拝読するようになり、そのうちに出雲大社でご自身が龍音シンギングボウルによる
奉納をなさりたいとの話を伺い、その事で少しだけお話させて頂いたことがありました。
とはいえそれだけであり、今回大社にてその演奏奉納されるのは間に東京分祠のお取り計らいがあるからで、自分とは何の接点もありません。
一応自分も大社側、いわば内部の者でもありますので、そのような者が果たしててんごく。氏のその奉納演奏にご一緒させて頂いても良いものか
どうか逡巡致すところです。
いずれにしても一度大社側へ尋ねてからに致したいと思います。
シンギングボウルによる龍音という音色はどのような音であるのか、それが大神様の御前にて演奏されることにより、どのようなことがあるのか
知ってみたい気持ちは大いにありますね。

アーロンの光というのは今日のTomokatsuさんがご自分のブログにてセットされていた光であり、それを感じ取ることによりいつも以上にアーロン
の声を聴かせてもらえたのかもしれません。
そのアーロンがTomokatsuさんのことをブレないというのは良くわかりますね。
彼ご自身、とても柔らかい感じの方ですけれど非常に太い柱が一本芯に通っておられるような方でもあり、その信念は揺るがない感じを覚えます。
アーロンにとって彼はどのような存在であるのか、そこまでは存じませんけれど良きパートナーの一員でもあるようです。
先にも申したように話し終ると、これもまた一瞬でシュンッという感じで気配が消えました。
Tomokatsuさんのお宅へ帰ったのでしょうね。


続いてはイルカのエーヴィンです。
彼はいつも朗らかで元気そのものといった感じですね。
今回のこの風邪について教えてくれたようです。
確かに風邪はある意味、それまでの溜まったものを外へ排出するよいう役目もあるようですので、この話もなるほどなと頷けるところです。
けれどバージョンアップは、さて自分の場合はどうなんでしょうね;。
そこまでまだ出来ていない、至っていないように感じております。
これとていずれはわかるのかもしれませんけれど。
また毎回のようにこれも自分が気にしております経済について尋ねますと、このような答えが返ってきました。
向こうの世界、自次元へ繋がる時は当然金銭は関係ありません。
けれどそれ以上にこれからは此方の世界、3次元という目に見える世界において多くの方々と接していく中で自然と経済も回ってくるようになる
ということなのかもしれません。
そのようになれますよう、努めて参りたいと思います。


最後はお月様、月読尊でした。
月や星はお風呂上りに大抵外に出て空を見上げて見ております。
その中で昨夜は、この時はお風呂上りではなく就寝前、二階の踊り場の小窓から眺めた月であったかと思います。
薄っすら雲が掛かり朧に見えていた月でしたけれど、昨夜は何か語りかけて来るようで耳ではなく頭の中をクリアにして聴いた感じでした。
ここで言われているように、その日ごとに細かに月に名前をつけているのはおそらく世界でもそう多くはないのではと思います。
三日月位なら子供でも知っている呼び名ですけれど、立待月、居待ち月、あるいは季節よってもその呼び名が変わるくらい多くあるようです。
それらからも知れるように古来我々日本人は月に名前を付けながら昇って来る月を心待ちにしていた民族なのでしょうね。
その折々に眺める月の光に照らされながら、同様にその月から同じく浄化してもらっていた、または浄化されていたのかもしれません。
現在はよほどのことがない限り、一日に約50分程ずつずれて昇ってくるお月様を心待ちにしている人もそういないのではと思います。
夜に煌々とした明かりのなかった時代、夜空に大きく輝く月の明かりはそれだけで人々の心をも安らかに穏やかにしてくれていたのかもしれま
せんね。
そう考えると満月のたとえようもない明るさ、その逆に新月の真の闇、その両方の有り難味をとても大切にしていた自分達のご先祖であったのかも
しれないですね。
穏やかに語りかけるようにして下さった月読尊の言葉でした。



                                             
  
                                    



一度にこれだけの存在の言葉を書き留めるのはそれほど多くないのではと思います。
久しぶりでしたので、いささかくたびれました(笑)
昨日までは本当に使い物にならない自分でしたので、頭もシャットアウトし考えることもあんまりしていなかったようです(あ、いつもの事か;)
これらの存在の言葉、その殆どが自分に向けられた言葉ではありますが、その中に少しでも皆様に沿えるようなものが御座いましたら、幸いに存
じます。      


      
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
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