10月21日のこと、いつまでも暑く、“季節はどうなっているのか”と畑を見渡すと1本ある桃の木に花が咲いている、1本あるラ・フランスの木にも。
近くに行って眺め、柿の木の下に植えている茗荷の根元に白いものが見えるので近寄ってみると、なんと「茗荷(みょうが)の花」!
今も花の可憐さが浮かんでくるので紹介したくなって、筆無精の私が投稿しました。
9月に16歳になるトイプードルのモモと暮らしています。
白内障になっていて、体のあちこちにはイボができています。
一日の多くをお気に入りのソファーで寝て過ごし、暇なときにはイボをキチキチと噛んでいます。できるだけその噛む時間を減らしてあげようと撫でたり語りかけたり、昔からよく遊んでいた中に食べ物が入れられる網目の柔らかいボールを取り合いっこをしたりして、意識をイボからそらせるようにと接しています。
そのモモですが、耳もとても遠くなっています。近くにいるモモに大きな声で呼びかけても気がつきません。どなるような大声を出すとやっと“何か音がしたなぁ!?”と周囲を見るといった調子です。
ですからモモは、無音の世界で、16年弱を過ごしてきているこの家という空間で、身に着けてきた生活習慣と私たち夫婦の動作を見て~獣医さんはまだ視力はあり見えているとのこと~頭を働かせて生活をしています。
続きの部屋を開け放しにしてエアコンを入れ、暑さに身体全体で息をしなければならないような状況などにならないように、快適な空間を作っています。ですから私たち夫婦が家を空ける時もエアコンはつけっぱなしにしています。
さて、私も高齢になり、特に耳が遠くなってきています。テレビを見るときの音が大き過ぎると注意を受けることが時々あるようになりました。
モモと生活を共にしながら、モモから学べることは学びたいと思っています。
長らくぶりのブログです。最後までお読みくだいさね。
今年の我が家では、柑橘類が豊作で、レモンにジャンボレモン、ミカンにグレープフルーツとそれぞれに、沢山の実が青々と実っています。収穫時期が楽しみです。
それと、秋ナスが実を膨らませています。
まだ花も咲いていますし、“ ポツポツ1個ずつ ” といった調子で収穫できそうです。
我が家の土曜日の夕食は、決まってカレーライスです。ワイフがビーチボールに出かけるからです。今はコロナ禍で実施されていませんが。それでもカレーライスです。
そのカレーの具として入れるか、採れた日の夕食にバターで焼いたて食べるかです。
いずれにしても “ 旬 ” の味が楽しめるのは嬉しいことです。
生っているナスの取り具合を確かめるために、弱くぎゅっぎゅっと握って柔らかさをみ(診)る時なんかはなんとも嬉しいものですよ。
ちなみに、枝を剪定せず伸び放題にしていて、実が地面に着いているのもありましたので、写真のようにポールを立て、麻ひもで吊るしています。
ストレリチア(極楽鳥花)は今年も咲いてくれました。
知人に切り花にしてもらっていただいたりもしました。
株分けをした2鉢の株も良く育っていて花をつけてくれましたので、玄関でお客様を歓迎してもらっています。
写真は地植えの親株に咲いた花です。
こうして、この時季の植物の生長を楽しんでいます。
ただ、昨今の気候変動もあって、思わぬ生長を見ることもあります。
梨の花と桃の花が咲いているのです。一応、梨の花は受粉を試みましたが、おそらく途中でどちらも散ってしまうでしょうね。季節知らずはだめですからね。
それからハイビスカスです。これまでこのブログで紹介してきたハイビスカスの木が枯れてしまったので、ホームセンターで “ 捨て売り(!?) ” されていた苗を9月20日に買って4鉢植えています。
なぜ “ 捨て売り ” と表現したのかは次の通りです。
種苗店で買い求めようとしたのですが、苗を売る時期を過ぎていたので無く、その帰り道のホームセンターに “ まだあるかもしれない ” と寄ってみたのです。
そしたらあったのです! それも棚には並んでなく、棚横の地面に、いわゆる “ 陳列 ”ではなく、固めて置いてあったのです。
それに値札も無かったので、定員さんに聞きに行くと、棚の所でハイビスカスの苗を見て「傷んでいるし、安くできるか聞いてあげる。」と言ってくださり、結局、1,000円の苗が500円に、400円の小さな苗が270円にと値引されました。それぞれ2個ずつ購入しました。
実は、大きくなり枯れてしまったハイビスカスもこの店で、見切り品として500円で買ったものでした。
ワイフが他の買い物でそのホームセンターに行って見てみたら、まだ小さい方の苗が2本あったとのことでした。
やっぱり季節外れのものは売れないのですね。育てる気があれば “ 買い得 ” だと思うのですが。
その9月21日に鉢植えにした大きい方のハイビスカスにあった蕾(つぼみ)が花開いたのです。
今朝はご覧のように落ちていましたが。
ピンクのきれいな花でしたよ。
それに、まだ蕾がついているのですよ。まだ楽しめます。秋なのにね!!
季節外れに分類できそうなミニトマトにも実がつき、これも “ ポツポツ1個ずつ ” といった調子で収穫できています。
一旦収穫を終えたミニトマトの鉢植えの茎を根元で切っておいたら、鉢から地面に下りて広がりだしましたので、麻ひもで茎を吊るしました。通路を歩くのにも不便しますから切って根を起こしてもよかったのですが、せっかく実をつけ始めているのだしと吊って残したのです。
さて一方で、今・これからが季節の渋柿と甘柿(富有柿と品種不明の柿)ですが、ともに全滅です。3本もあるのに、実がついているのは、富有柿の木の1個だけです。残念!! 剪定が悪かったのでしょうね、きっと。ごめんね。
毎年、知人に「吊るし柿を作って!」と富有柿も添えて届けているのですが、今年はお休み。寂しい限りです。
それにしても、季節それぞれの時期ごとに “ 旬 ” の植物が楽しめたり、“ こんな季節環境だから” と育てる作物や種を播く時を調整してみたり、失敗もありますが、楽しんでいます。
歴史に疎(うと)い私ですが、だから “もっと勉強してから言え” と言われそうですが、堪(たま)らず書くことにしました。
なんで「大本営発表」の言葉が頭に浮かんでくるかと言いますと、構造的には、今が、戦前の政府と臣民の関係にとらえられるからです。
戦前は大日本帝国憲法の下、天皇の決めたことに臣民は従わざるをえない関係でした。
今、私たちは、日本国憲法の下、内閣総理大臣の決めることに国民は従わせられようとしています。
ですが、“欽定憲法”下ではなく “民定憲法”の下で生きている私たちは “物言えない臣民” ではなく “物言える国民” です。物言うことが保障され尊重される国民なのです。
とすると、“内閣総理大臣の決めることに国民は従わせられようとしています” こと自体、今の日本にはあってはならないことなのです。
そもそも “内閣総理大臣” も間接的にですが国民が選んで、“私たち(国民)のためによろしくね!” と政治運営を託した存在なのですから。
その “内閣総理大臣” が私たちの言うことをまったく聞かず、従わせようとすることはあってはならないことなのです。
ところが、東京オリンピック・パラリンピックの開催か中止かをめぐること1つをとってみても、新型コロナ禍の中であるにもかかわらず、世論の多数が反対しているにもかかわらず、開催で突っ走っているのです。
そして、特に自民党議員たちは大政翼賛的に “内閣総理大臣” を支えているのです。
ところで、なぜ、こう突っ走ることができるのでしょうか?
1つには、前安倍晋三内閣総理大臣の手法の存在が大きく影響していると考えています。
森友学園問題・加計学園問題、桜を見る会問題等々における対処の手法です。
“とことん言い切れば国民は従ってくるもの!” というものです。真相究明を求める私たち国民の声をまったく聞かない在りようです。
2つには、先にも書いた “自民党議員たちが大政翼賛的に内閣総理大臣を支えている” ことです。この自民党議員たちも国政選挙で選ばれた私たちの代表であるはずなのですが。
3つには、彼らに “国民は我らが強く当たり、引かなければ我らに従う” と認識させる私たち国民の在りようです。
しかし、“物言うことが保障され尊重される国民” である私たちには、いくつもの拠(よ)りどころがあります。友人知人しかり、職場や各種の団体しかり、新聞社等々のマスメディアしかり、国政選挙しかり、各政党しかり等々。
これらの中に “協調” や “連帯” などが生まれてきています。さらに生まれていくでしょうし、生まれていかなければなりません。“大同団結” も必要です。
そして私たちは、事実をあぶり出し、深掘りし、責任を追及し、正すことができるのです。暮らしやすい世の中に向かっていけるのです。
森友学園問題・加計学園問題、桜を見る会問題にしても、ボロボロと責任を追及される羽目に陥ることになっています。まだどれも責任を取ろうとはしていませんが。
河井氏への1億5千万円問題も少しずつその全容が明らかになってきています。この件では、自民党の二階幹事長が「責任は自らと安倍氏にある」と答えているにも関わらず、前安倍晋三内閣総理大臣は何も答えず無言を貫いています。彼はさらに窮地に陥ることでしょう。 “大政翼賛的に前安倍晋三内閣総理大臣を支えている自民党議員たち” もいるようですが。
今一番の課題は、広がっている新型コロナウイルス感染症の克服と、東京オリンピック・パラリンピックの開催か否かです。
これらには、安倍流も菅流も通じない! ゴリ押しすれば、待っているのは墓穴のみ!
私たちは、できるところでできるだけ大きな声を上げていこうではありませんか!!
「一律」が蔓延(はびこ)って「不公平」が蔓延(まんえん)しているコロナ禍の日本!
『1日6万円』にしても、大きな店では足りないが、小さな店では “もらいすぎ” になっている現実。
このありようはこれから何年も続くだろう。
コロナ禍を緩和する・乗り越えるために、まずすべきは “基本の基” の『社会保障制度』の活用とさらなる拡充であったのだ。今もこの活用と拡充を中心にすべきことは変わらない。
当然のこと、この『社会保障制度』は「社会保険」・「社会福祉」・「公的扶助」・「保健医療・公衆衛生」で国民の生存・生活を守ることを保障している。また当然、この中に生活保護を受ける権利も医療による予防・治療も含まれているのである。
では、なぜ、『社会保障制度』の活用とさらなる拡充での手当にならなかったのか、今もならないのか?
それは、政治の中枢に「憲法が根付いていない」ことが最大の原因であり、政治家が自分の地位に甘んじ、利己的利益を得ようとするありようを堅持しているからである。
今回は、『Go to トラベル』を実施するために「観光業界を真っ先に!」と目先を固定したためである。前回に書いている
『新型コロナ対策が先か、経済が先か』と同様に、 “コロナ禍を緩和する・乗り越えるため ”の看板のもと、国民に実行している政治家の最大の作為なのである。
さて、コロナ禍が減じてくる中、様々な貸与金の回収の問題が出てきて、回収するか否かから論議されることになるだろうし、さらに、財政回復が大きく私たちに立ちはだかってくる。
そのための「消費税を15%に」の声も上がってくるだろう。「累進課税制度」もあるが、政府はこの税率を見直すことはしないだろうし…。
当然、「一律」が蔓延(はびこ)り、「不公平」が蔓延(まんえん)する状態が何年も続く状態が生み出されるのである。
私たちにはていねいな検証が必要であり、これからの自らの生存・生活(豊かな生活・社会)を作るためには、国・社会・個々人としてどうあるべきかを見出さなければならいのである。