昨年家を出て一人暮らしを始めた長男が元日夜に「ただいま~」と帰ってきた。
夕飯を食べてくつろいでいた私は “こんな時間に! 連絡もなしに!” と少しムッとした。
コロナ禍の中、営業で外回りの多い長男である。
私には言わなかったが、高校時代の仲間に「新年会をしよう」と誘われたのだとワイフには言ったそうだ。
夕飯はまだだということで、ワイフが準備した雑煮やおせちを食べて、しばらく私と食堂でテレビを観ていたが、そのうち自分の部屋であった部屋へと上がっていった。同居していた時と同じようにお互い無口であった。
私は今朝早くから、膨らんでくる長男の甘さに何と釘を打とうかと言葉を考えていた。
遅く起きてきた長男にかけたのは「今日、新年会やて!?」(うむ)「何人で飲むんや!?」(わからん) ムカムカときた。
「新型コロナ(ウイルス)に罹ったら会社に迷惑かけるし、お父さんたちも困るし、気をつけろ!!」とぶっきらぼうに言えただけだった。
頭の中では、論理立てた中身を、それこそ小学生を説得するようにていねいに話そうと描いていたのに。
“こんなものかもしれないなぁ”、“だから外出する人が結構いるんだ ” とTVの有名処の映像を観ていたことも理由に、自分をなんとかなだめようとしている。
それにしても、「新型コロナウイルス感染対策か経済か」と早い時点から二者択一を持ち出され、迫られ、言われるがままに “経済” 重視を植えつけられしまった私たち。
国民支配や憲法改正を目指す輩(やから)にまんまと乗せられたのではないか。
私たちは病気になったら、まず、仕事の合間にあるいは仕事を休んで病院へ行き、とにかく病気を治そうとするではないか! そうして職場(経済)復帰を果たしてきていた。
それぞれの企業や部署・立場、地域などでもっともがかせてほしかった。その方が病的な中ででも、もっと健全性を維持できたのではないか。
「自然淘汰」があるように「新型コロナ淘汰」があるのではないか? と新型コロナウイルス感染初期の段階から思っていた。でも、こんなことを言ったり書いたりすれば蜂の矢面に立たされるので今まで表現しなかった。
検証的に書けば、飲食関係に顕著に言えることだが、やっとテイクアウトや出前(訪問)調理などが考え実行されるようになっている。ネット販売を強化する企業も増えた。飛行機業界では、卒業旅行のかわりに富士山を上空から眺める空中散歩を企画実施したり。
旅館業でも新たな展開があるように考えられる。
本来的には、このような企業努力が先にあるべきなのだ。あるいは支援政策と並行してあるべきだったのだ。
いつのまにか、私たちの心の卑しい部分を広げさせられて、私たちは “物(お金)を欲しがればいいんだという存在” に貶(おとし)められたのではないだろうか!?
普段泊まれない高額なホテルに半額程度で宿泊できるという非日常体験を地方の日常に持ち込んだり。それも不平等な制度を利用して。感染の広がりに加担させられたのでもある。
まさに、なんでもありの「新自由主義」の政策の中で、「新自由主義」的存在にならされアップアップしている自分を客観視できないだけなのに得した気分になっているだけなのにである。
まさに、さらなる格差の拡大を肯定させられているのである。現実のものにさせられているのである。
生きづらい。でも生きていかなくては! そのためには…。また書こう!
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