昔、と言っても昭和のはじめ、台湾は日本の統治下にありました。その頃さまざまな軋轢から、原住民セデック族の人々が一斉蜂起し、日本人を皆殺しにした霧社事件が起きました。私はその事件を描いた映画セデックバレをDVDでみて、本当に悲しくなりました。犠牲者は日本人だけにとどまらず、旧日本軍は蜂起したセデックの人々に対して全くひどい報復をして鎮圧をしました。この事件の犠牲者の霊を慰めるため今年の3月末、台湾の霧社と川中島(清流)へ行ってきました。霧社事件記念公園の門です。この奥にモナルダオ頭目像と立派なお墓があります。
事件のリーダー、モナルダオ頭目の銅像です。花を手向けて冥福を祈りました。原住民の人々の抗日運動像です。ここにも犠牲者が眠ると言われているから、おまいりしてきました。モナルダオ頭目の住居のレプリカです。
日本人犠牲者の記念碑や墓は戦後、蒋介石総統によって取り壊され、この石のテーブルの下にご遺骨があるとわれていますが、おまいりする事すら禁じられていたそうです。私はここに手を合わせ、翌日は 旧日本軍の陰謀とされている第二の霧社事件が起きた川中島というところにもおまいりにいきました。そのことはまた別の機会にブログアップします。
事件のリーダー、モナルダオ頭目の銅像です。花を手向けて冥福を祈りました。原住民の人々の抗日運動像です。ここにも犠牲者が眠ると言われているから、おまいりしてきました。モナルダオ頭目の住居のレプリカです。
日本人犠牲者の記念碑や墓は戦後、蒋介石総統によって取り壊され、この石のテーブルの下にご遺骨があるとわれていますが、おまいりする事すら禁じられていたそうです。私はここに手を合わせ、翌日は 旧日本軍の陰謀とされている第二の霧社事件が起きた川中島というところにもおまいりにいきました。そのことはまた別の機会にブログアップします。