台湾南投県に川中島というがあります。本当の地名は清流といいます。
ここは日本統治時代に、抗日の霧社事件を起こして投降した、セデック族の人々を収容したところです。旧日本軍は、これらの人々と対立しているの人を使って、ここを襲わせたのです。結果は第二の霧社事件といわれるほど悲惨なものでした。
このように日本政府の同化政策によって、あの痛ましい霧社事件が起きた小学校でも事件が起きる前には、このようなあどけないセデックの少女たちが日の丸を掲揚していたのです。この写真は川中島の余生記念館に展示してありました。
余生記念碑はかつて川中島神社があった所に建てられています。
ここに住むセデック族末裔の人々は、あんなにひどいことをした日本人を、さぞ恨んでおられるだろうと覚悟して行きました。ところが全く逆で、村人はとても親切で、大歓迎をされました。バスを待つ我々に椅子を用意して、一緒に飲もうと言ってくれるのです。
帰りにはこのようなセデック族の衣装を着けた熊の縫いぐるみをお土産にもらいました。これには大感激でした。お礼に5ヵ月後の8月に再度ここを訪れることになりました。そのことはまた次の機会に報告します。