私より先に弟が逝くとは・・・・。
昨年4月頃から、腹部に痛みを感じ、胃薬等を飲み通院検査していました。
その後の検査で8月上旬に膵臓癌と分り本人にも告知されました
膵臓癌は分りにくい癌で分った時には、すでに手遅れという場合が多いようです。
弟もその例にもれず、すでに手術はできず、抗がん剤治療をしていました。
入退院を繰り返して、治療していましたが、ついに昨日逝ってしまいました。51歳でした。
入退院を繰り返しながらも、最後(12月5日)まで仕事を続けました。
8月上旬に、私に「膵臓癌」であると報告がありました。
その報告に来た時、いつもと変わらずニコニコしながら話していたのが印象に残ってます。
最後までニコニコし、一切弱音を吐かず、仕事も続けていました、弟ながら感心しています。
このあいだ整理していたら弟の小学校の通信簿が出てきて
それには、ほがらか(明朗快活)で、人をよく笑わせる。
好き嫌いがはっきりしている、運動がよくできる、とありました。
私の弟に対する思い出は、3人兄弟の末っ子で、特に父母に可愛がられていたこと。
「おにいちゃん」「おにいちゃん」と呼んでいたので可愛い弟、反面しっかり者。
小さい時から運動がよくできて中学、高校とバスケット部で活躍していました。
しかし高校2年の時、大病(難病)にかかり、その後遺症で手足に麻痺が残りました。
それ以来、スポーツからは縁を切ったようです。
高校を終え、その後下関の水産大学を卒業しました。
それから下関の水産関係の新聞社に数年勤め、30歳から今日までの21年間、鳥取短大で事務員として勤務してました。
生涯独身でした。なぜ結婚しなかったのか、聞いたことがありません。
私も長男として嫁の世話をできなかったことに、後ろめたさを感じてました。
晩年はマイカー登山を趣味として、温泉につかりのんびりと過ごしていたようです。
2度の大病を経験しましたが、色々な恵みもあった一生だと思っています。
前々から少しづつ、信仰について話していました。
亡くなる2日前にイエス様を「信んじてみないか」と言ったら「大きくうなずき」私も救われたような気がしました。
弟の遺志により、葬儀等を省略して、家族のみで火葬埋葬しました。
従って弔問、弔電、香典、生け花、花輪など全ておことわりしました。