自分の生活を大切にしたいなら、相手を許さないといけない。
許すことによって、自分が相手の束縛から解放されるからである。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
今朝は、自転車にやっと乗れるようになった孫(4月から一年生)とサイクリング。
近くの、種畜牧場(鳥取牧場)へ行く。
桜は、まだ咲き始めで、今度の週末(4月5日頃)が見ごろ。
孫は、桜の木に登り遊ぶ。
愛とは、とりも直さず、自分にしてもらいたいことを他人にしてあげる思いやりです。
親切です。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
どのような自分であろうとも、「これが自分なのだ」と認めて、
自分と"すなおに"出会う時、人は自由になります。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
自分でさえ時々わからなくなってしまう「自身」を、
自分以外の人にすっかり理解してもらえると思うのがまず間違いであり、
相手を理解しつくせると思うことは、大それた思い上がりである。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
計画していたことが、他人の干渉により、または思わぬ出来事により、中断されることが何と多いことだろう。
それに腹を立ててはいけない。それが人生なのだと知らねばならないのだ。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
たいせつなのは私たちが一人ひとりユニークなかけがえのない、
この世の中にたった一人しかいない私であり、あなたであるという感覚を持つことです。。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
たいせつなのは私たちが一人ひとりユニークなかけがえのない、
この世の中にたった一人しかいない私であり、あなたであるという感覚を持つことです。。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
今日は、彼岸で家内と、墓参りに。
赤碕の花見潟墓地(はなみがたぼち)の海岸では、サーファーでにぎわっていた。
このあたりは、波が良いようで連休には、大阪、岡山からやって来る。
死というものを目の前に置いて生きるということ、
つまり、人間は有限であるということを目の前に置いて生きるということはたいせつなことです。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
今日、テレビを見ていたら、
樋口一葉(五千円札の肖像)が、晩年に生活が貧窮し、24 歳で亡くなる間際まで質店に通っていた話題であった。
私も、大学時代(昭和45~48年頃)に、よく質店に通ったことを思い出した。
質草は、使い古したラジオ、時計、靴、レコードなどで、それでも二千円程度借りることができた。
現在では、リサイクルショップに持って行っても、引き取って貰えないような代物。「昭和は遠くになりにけり」である。
借りたお金で、パチンコに行き、稼いだお金で質草を取り返す、思い通りにはいかなかった。
アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。
主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。
主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。
創世記3:20~24